足元を見る

 先日満員に近い電車に乗った時のことである。幸い老人である私を見て席を譲ってくれた人がいたので、礼を言って座らせてもらった。座って楽になったので早速本でも読もうかと思ったが、老人だからと思われて席を譲ってもらったのに、すぐに元気よく本を取り出して読むのも何だか少しし気が引けた感じがしたので、鞄を膝に抱えたまま俯き加減にしばらくそのままじっとしていた。

 必然的に視線は下の方に向く。そうすると、車内は混んでいるので乗客の足元しか見えない。見るとはなしに見ていると、そのうちに気がついたのは、革靴よりもスニーカーのようなズックの靴を履いている人が多いことであった。昔の常識では、都心に向かう通勤時間からまだそれほどずれていない朝の電車であれば、背広や制服に革靴を履いた人が多いのが普通だったが、知らない間にこういう所でも時代は変わってきているのだなと感じた。

 見える範囲で数えてみると、数えられた二十人の中十五人までが革靴でなくスニーカーのような靴を履いている、中には背広を着ているのに布製の靴を履いている人もいる。女性でもハイヒールの人ももちろんいたが、らくそうなスニカーのような運動靴を履いている人が多い。

 足元を見るといえば語源は馬方や駕籠かきが旅人の足元を見て疲れているかどうかを判断し、料金を吹っ掛けて誘ったところにあるようだが、そこから転じて近代になってからも、客の履いている靴や服装からその人の値打ちを判断するのに使われ、客の方も足元を見られて安く判断されないように気を使うことが多かったようだが、今ではそういう風習も途絶えてきたのだろうか。

 ここではそんな取引などとは関係のない人々の普段の足元を偶然観察しただけのことであるが、文化や流行としての足元もいつの間にか変化してきているのである。スニーカーが流行りだしたのは近年スポーツメーカーが競ってスニーカーを売り出してからのようである。

  これはもちろん」足元だけでなく服装全体が昔と比べて随分ラフになっていることにも関係している。昔は日本ではことに都会では背広や制服に溢れ、アメリカなどへ行った時人々の服装の違いに驚かされたものであるが、最近は日本の服装もラフな格好が多くなり、ビジネスマンの服装さえ変わってきているようである。

 それに伴って靴も革靴が減りスニーカーのような軽くて履きやすい靴が活躍の場を広げてきているようである。先にもた二十人中十五人がスニーカーというのはいくらなんでも多すぎるのではないかと思い、その後も時に気をつけて見ていると、時には違っていたかと思う時もあったが、やはりスニーカー組が多くなったことは間違いないようである。

 人々の日常生活がラフになり、ビジネス分野でもラフな服装が広がりつつあるように感じる。クールビスのせいもあって最近では夏でなくてもネクタイをしていない背広姿も多くなってきている。退職後の服装にあまりこだわらない老人が増えたことも大いに関係しているのであろう。

 こうして電車の中や街を行く人々の服装や靴を見ているだけでも時代の変遷が感じられて興味深いものである。