86歳の夫87歳の妻を殺す

 最近滋賀県で起こった事件で、86歳の夫が87歳の妻を自宅で首を包丁で刺して殺害した事件があった。妻の方が認知症で物忘れがひどく、生活に支障が出ていると市に相談し、市は要介護に認定し、介護サービスを受けているということであった。

  短い新聞記事だけなので、詳しいことはわからないが、恐ろしいことである。記事を読んでまず思ったことは、これは夫も妻も両方とも被害者だということである。ここまで追い詰められて両者を傷害したのは社会だと言わざるを得ない。

 老夫婦だけが社会から隔離され、片方が認知症で体力のない相手が一人で面倒を見ようとすると、どうしても無理がある。介護保険を受けているといっても、今の制度では、ことに認知症に対しては、施設にでも入れない限り、家庭訪問ぐらいでは、ないよりはマシというぐらいで、あまり助けにはなり難いのではなかろうか。

 それに長年の夫婦で、お互いに相手の精神世界にまで踏み込むことさえ多いような関係が長年続いてきている夫婦の中では、遠慮が廃れ、冷静な判断よりも感情が先走り、両者の関係がうまくいっている時は良いが、認知症がありコミュニケーションがうまく取れない上に、自分も体力的に消耗すると、最早限界に達し、感情的な暴発に繋がりやすいのであろう。

 こうした問題では孤立した夫婦関係の中だけでの解決は困難で、社会的にも短時間の家庭訪問や在宅介護ぐらいだけでは無理で、夫婦を引き離してでも施設に収容するなりして、認知症の介護とともに、夫の負担軽減を図るべきであろう。

 長年の夫婦関係の後であれば、自然に以前の健全な時の関係が思い出され、こじれた感情は次第に勢いを増し、自分の体力の消耗も重なって、冷静な判断が出来難くなり、現状が惨めなだけに余計に感情が先走って腹が立ち、ついには「腹が立って刺した」という悲劇になったのではなかろうか。誰にでも起こりうることで、他人事とは思えない。

 夫婦や家族の介護の場合には得てして感情が先走って、客観的な冷静な判断が困難になりがちである。これはひと頃、施設の介護でも、親身を持って家族のように扱うことが勧められたが、「おじいちゃん、おばあちゃん」などと言って一線を超えて感情移入し過ぎると、変えて介護がうまくいかなくなった経験などからも言える。

 事件になってしまった夫婦の場合も、初めから家族や夫婦だけで処理しようとせず、社会の認知症に対する対応も施設に収容するなり、訪問時間を頻回にとか長くするなどし、家族や夫婦の介護負担を軽減し、社会の手をもっと借すことが出来ていたら、こんな悲劇は避けられたのではないだろうか。悔やまれてならない。