タイの洞窟の少年たち全員救助される

 認知症になっても喜怒哀楽の感情は失われないようで、そのために周囲の人たちがそれに振り回されて困ることもあるが、認知症でなくても、一般に老人になると理性面に対して感情面が出やすいことがあるのだろうか。

 あるいはそんなことに関係があるのかも知れないが、卒寿も過ぎ、仕事などでいつも急き立てられるようなことがなくなったので、ニュースなどを聞いたり見たりしても、以前より何かの出来事に対する感情移入が強くなったのかも知れない。 最近、二つの出来事で、いつになく強く心を打たれて忘れられないことがあった。

 正反対の出来事であったが、悲しかった方からいえば、この前の北大阪の地震の時、小学校の子供が学校のブロック塀に押しつぶされて亡くなった事件である。未だにその死が哀れで気になって仕方がない。もう学校のすぐ横まで行っていて、もう少しで校門にたどり着けるところ、しかも通学路を示す緑色がくっきり塗られた所を歩いていたのである。もうほんの一二分でも違っていたら、何事もなくいつものように学校に入っていたに違いない。不運というよりない。そう思うと、わが子が事故にあったように悲しい。哀れである。今だに失われた命が不憫でならない。

 それとは全く正反対に、今日のタイからのニュースは心から私を喜ばしてくれた。タイの洞窟探検?に行った子供達が引率の若いコーチと一緒に洞窟の奥深くまで入ったところ、雨水で出口を塞がれ、出られなくなっていた事件である。ニュースの解説によると子供達が閉じ込められている場所は入り口からかなりの距離があり、途中に起伏がって一部かなり長い部分が水で満たされ、そこを潜らなければ外へ出られず、しかもそこは狭くて人が一人通れるぐらいしかないので、潜水の経験のない子供には自力では通り抜けられないし、専門の潜水夫がいても二人並んでは狭くて通れないということだった。

 はじめ十日近くは水没した奥に閉じ込められていた彼らの安否さえ分からなかったのが、幸い皆無事だとはわかったが、その後いかに救出するかが問題になっていたものである。種々な条件を考えると、救出はなかなか困難で、果たしてうまくいくのだろうか、外国からも援助もあり、世界中の人をやきもきさせることになった。

 無事なことがわかって救出出来ないでは済まされない。ありたけの知恵を絞ったのであろうが、今朝のニュースによると、なんとか全員が無事救出されたようで本当によかった。思わず万歳でも叫びたくなるほど嬉しかった。サッカーのW杯がたけなわを迎えているが、そんな勝敗はどうでも良い。こちらのニュースの方がずっと良かった。

 テレビで、トラップされていた一人の子供の祖母が「抱きしめてやりたい」と言っていたが、私も「本当に良かったね」と助かった子供達を抱きしめてやりたいような気になった。