老人の忙しいわけ

 世間一般では老人は暇だろうと思われている。しかし、実際は先日書いたように結構忙しいのである。ただし、忙しいからといって多くの仕事をこなしているわけではない。

 何をするにもスローで、能率が悪いので、大したことをしてなくても、必要なことをするだけで忙しくなるのである。体が言うことを聞いてくれないので、何をするにも時間がかかる。

 朝、目が覚めても若い時のようにぱっと起き上がるようなことは出来ない。ゆっくりと、しっかり目がさめるのを待って上体を起こし、布団をめくって、両足をベッドサイドに下ろして、おもむろにパジャマを着替える。

 それも若い時のようにパッと立ち上がって、さっと着替えるわけにはいかない。座ったまま、ゆっくりしか出来ない。無理に急いだりすると危険なのである。特に立ったままのパンツやズボンの着脱は要注意である。ズボンを着替える時に転倒して骨折を起こした友人も一人ではない。

 それに体の動きが遅いので、パジャマを脱ぐにも、シャツを着るにも時間がかかる。目が悪いので、シャツなどの前後を確かめるのも遅い。歳をとると指先の微妙な動きが悪くなるためか、ボタンの掛け外しがスムースにいかないことも多くなる。

 朝だけのことではない。一日中万事がこうなのである。普通の日常動作も、若い時のようにはスムースにいかない。今述べたように指先の感覚や動作が鈍くなるので、新聞を読む時にもページがめくり難い。二枚の面がなかなか分離してくれなくて苛立つことになる。お菓子などのプラスチックの包装も開け難くなる。

  新聞といえば、電気を明るくして老眼鏡をかけないと読めないのも困るが、老眼鏡の管理がまた大変なのである。老眼鏡を頭の上に回したまま「老眼鏡がない」と言って騒ぐのはまだ初老の仕草である。

 百円ストアで買った老眼鏡を至るところに置いていても、かけたまま移動するし、使った所や外した場所を覚えていないので、いくらあっても、やはり老眼鏡がないと探さねばならない運命にあるようである。そんなことで無駄な時間が費やされる。

 探し物はメガネだけではない。序でにとか、ひょいと置いたような物はたちまち記憶から消えてしまうので、始終探し物をしているような感じである。「人は探し物をするために生きている」と言っても良いぐらい。探し物をしていることすら忘れて、二階まで階段を上がって来て、「はて、何しに上がって来たのだろう」と訝しむこともある。

 階段といえば、老人の自宅の階段での転落事故も時に聞く。私の知人もやっている。勝手を知った自宅の階段と思って気を許してはいけない。家の階段は大抵急である。上りは手をついて上がれるから良いが、下りは必ず手すりを持って一段一段確かめながら降りるようにしなければ危険である。急ぐのが一番良くない。

 老人の事故で一番多いのは自分の家の中での事故だそうである。玄関の上がり框や階段の他でも起こる。布団の裾や敷居、畳のヘリにつまずいた事故なども多いそうでる。老人はゆっくり行動するべしと分かっていても、若い時からのせっかちな性格は変わらないから怖い。

 また老人が何処かへ出かけるとなると大変である。髭を剃り、服を着替えて、戸締りや火の元のチェックをし、財布や鍵、メガネ、ケイタイなどの持ち物を揃え、時間をかけて靴を履き、玄関のドアの鍵をするというルチーンのことをしっかりした積りでも、忘れたのではないかと不安になって、同じことをまた繰り返さなければならないことにもなる。

 一番困るのは、一旦ドアを閉めて鍵をかけて、歩き始めてから忘れ物に気がつくことである。ただでさえ動作が鈍いのに、また鍵を開けて、靴を脱いで、お出かけのやり直しをしなければならない。時間がかかるわけである。

 こうして出かけても、若い時のようにはさっさと歩けない。昔は他人を追い越して歩いていたのに、今やスピードが落ちて、女性にまで抜かれる。急いで歩けば躓いて転倒し易くなるので危険である。

 家にいても、最近はパソコンやスマホまで必需品となり、テレビやクーラー、洗濯機や電子レンジと、色々なものを使いこなさねばならない。しかもこれらは年々新しいものに置き変わったりするので、それを使いこなすのも大変である。ここでも老人はまごついたり、余分の時間を取られたりすることになる。

 たまに電子レンジを使おうとしても、使用方法がわかりにくくてまごつき、時間を取られるし、パソコンの便利な使い方がわからなかったり、キイボードのブラインドタッチが出来ないので、老眼での五月雨打ちでは時間もかかるし、間違いも多くなる。短い文章を打ち込むだけでも大変である。

 それに歳をとると疲れやすい。長時間の作業や長距離の移動では、間で休憩を挟むことが必要になるし、1日の生活の中でも、短時間でもknapを取った方が良いことが多い。これもゆったりしているように見えても、老人にとっては生活に不可欠な時間なのである。

 更には、年寄りは大抵排泄の方に人に、他人には言えない色々な問題を抱えていることが多いものである。夜間に何度も起きねばならないことだけでなく、昼間でも、排尿や排便障害、頻尿や失禁、下痢や便秘などは老人にはつきもので、それに悩まされるだけでなく、その処理にも時間を取られるわけである。

 こんなことが何やかやと重なってくるので、何もしないで呑気にしているように見えても、老人はそれなりに結構忙しいのである。それでも、生理的に何をするにも行動に時間がかかり、忘れやすくて行動に無駄が多くなって、それなりに忙しかったとしても、最早九十歳も越えておれば、それらが何とか賄えている間は良しとすべきではなかろうか。