「頑張ろうなどいううな!」津波被害の魚師の言葉

 この3月11日で東日本大震災からもう10年になる。今でも町に津波が押し寄せて家が丸ごと流され、先に高場に逃れた人が、津波に追われて後から登ってくる人に「早く!早く!」と叫んでいるテレビを見ながら、人ごとではないように思われたものであった。

 この災害では原発の爆発という思わぬ災害までが加わり、多くの人たちが亡くなり、それらの人たちのご冥福をお祈りするばかりであるが、当時のSNSで、忘れ得ないものがあり、保存していたのでここに再録したい。

 東日本大震災が起こってから、日本国中から「頑張ろう、一緒に頑張ろう」などという声が一斉に起こり、新聞やテレビでも暫くそういった声が溢れていた。

 自分に出来ることは何か。歌を歌って一緒に頑張ろうといって帰って行くような人も増えた。皆、「可哀想に!何か助けてあげたい」と思って、自らの善意でされていることであり、それに反対するつもりはないが、政府やマスコミがそれを煽るようなことはよくない。

 大災害で危険な目に遭い、近親者を始め、身の回りの人達の死に遭遇し、家も何もかも失い、打ちひしがれて呆然としてPTSDに陥っている人に、「頑張れ」というのは一番よくない接し方だからである。絶望して死ぬことも考えているうつ病の人に頑張れというのが一番よくないのと同じである。

 事実、頑張れと言われた被災者の声もいくつかある。インターネットにこんなのが載っていた。

『頑張ろう、頑張ろうって言うけど、

家が流されたんだよ?

と、福島の兄に電話したら、言われました

おまえ、ちゃんと分かってるの?

超つらいとき、「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、

あの帰る家がね、全部流されたんだよ。

俺、もう、家ないの。

明日も頑張ろう!って決意するような場所がね、ないわけ。

今日も疲れた―!ってドア開けてホッとするような所がね、

全員、一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から消えたわけ。

おまえ、家ないのに頑張れる?

服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてたもんも、全部いっきに無い。

よし、頑張ろう!って思える?

すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。

ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!一人じゃない!」とか言うわけ。

いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。

仕事あるじゃんって。

おれ、船、なくなったんだぞって。

多分、漁師はもうできないと思ってる。

もう、なーーーんもない。

どう考えたら、今、頑張れるんだよ。

ちょっとでも頑張れる何かが、今、俺たちにあるのか?

「いや、今はこっちで頑張るから、おまえらは1年ハワイゆっくりしてきな」

とか言われたい

「おまえらが帰ってくるまでに片づけとくから。家も建てとくから

とか言われたい。そしたら、俺だって頑張るよ。

毎晩、うなされるし、夜いつまでも眠れない。

流された人を何人も見た。

顔見知りも流された。

その頭にある映像を何回も思い出す。

そのたび、津波がこうくるって分かってたら、あの人を助けられたかも、とか。

時間が戻せたら、隣のおばあちゃんちに寄ってあげたかった、とか。

1人でも助けて英雄みたくなったら、まだやる気が起きたかな、とか。

俺、1人で逃げてきたわけ。

誰も助けなかった。おばちゃんとか、何人も追い抜いて逃げた。重そうなもの持ってる人とかもいたのに。

もう100万回くらい、100通りくらい後悔している。

4日目にやっと町に行っていいと言われて、

どっから手をつけていいかからないどころか、

いっそもう何もしたくなくなるような町だった場所を見て、

ここを復興だなんて、微塵も思えない。今も。

蓋をしたい。見たくない。

町を見ると、死にたくなる。

自分人生は、もう終わったなって思うよ。

こっからは、もう、どう頑張っても金持ちにもなれないだろうし、

だって、もう、二度と持てる気がしない。

何も希望なんかないよ。

そんな俺たちがさ、避難所で、CMアイドル俳優を見てさ、

「一緒だよ、1人じゃない」とか言われるたびに、

ああ、あの世界は自分たちとは、もう全然違ってしまったんだと思う。

家がある人の言葉だなーと。安定してるなーと。

そんなCMとかして充実もしてんだろうなーと。

家が流されてなくてさ、帰る場所があって、仕事があって、

地に足が付いてる人が、すげぇ神妙な顔で、お洒落な服で、こっち見て何か言ってるな、と。

おまえに言われたくないと。ほんとに。何も言わないでしい

大丈夫なわけがない。

おまえらに大丈夫だよ、とか言われても、大丈夫なわけがない。

どう見たら、この状況が大丈夫になるのか、胸倉つかんで聞いてやりたい

でも、怒る元気もない。やる気もない。

ボランティアや取材のやつらも来て、色々写真とか撮って、

「実際みると、テレビとかとは全然いますね」とか言ってて、

数日たったら「元気出して頑張って!」とか言って、

自分たちの家に帰っていく。

正直、復興なんてクソ喰らえだと思うよ。

「何か、できることある?」

何を言っていいかわかんなくなって、兄に泣きながら聞いたら、

「正直、不幸になってくれたら嬉しい

と言われた。

「俺たちを幸せになんてふざけたこと思わないで

 俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれたらなー」

と言われた。

「俺たちを想って歌とか作られても今は不愉快から

 東京も全部流されて、それでも「頑張ろう」って言われたら、

 頑張るよ。その人の歌なら聴く。

 知らないやつに、馬鹿たいに「頑張って」とか「大丈夫」とか言われると、

 今は正直、消えてほしくなるよ。

 募金は嬉しいよ。で、ボランティアじゃなくて、ビジネスで、仕事として、

 町を復興に来てくれた方が、こっちも気兼ねなく色々頼めて気が楽。

 正直、ボランティア「ありがとう」とか言うのも苦痛。」

と。

兄と電話で話してからテレビを見てたら、すごくモヤモヤしてしまって、増田に書きなぐりました。』

 これを書かれた人やその兄さんが十年経った今、どうしておられるのか分からないが、兄さんが何とか復興されて、元気で漁業に復帰されておられることを願うばかりである。この文章が私にとって、今だに忘れられないものとなっていることも知って欲しい。

 私の子供の頃は、関東大震災の話をよく聞かされたものであったが、今では阪神大震災と、この東日本大震災のことばかりになっている。地震大国とも言えるこの国に住んでいる限り、いつまたどこで大地震が起こらないとも限らない。南海大地震の恐れなども言われている。天変地異は避けようがないが、せめて。少しでも上手な対処の仕方が出来ないものかと願うばかりである。