私の暖房の歴史

 ようやく今年の冬も終わり、もう桜も満開である。ようやく抜け出せたが、歳をとるほどに冬が寒く感じられ、春が待ち遠しくなるものである。それでも今は昔と違って寒いと言っても知れている。今の家は気密性が高いし、エアコンや床暖房などで室温もかなり温められる。

 昔はそうはいかなかった。日本の家屋は夏用に建てられているようなもので隙間だらけだし、セントラルヒーティングといった考え方がなかった。暖房は火鉢などの局所的なものだけであった。冬は布団に潜っていても肩から冷気が染み込んできて布団に潜ったりしたものであった。今でも平安絵巻など見るたびに昔は寒かっただろうなと他人事ながら心配したくなる。

 さすがに北海道だと局所暖房だけでは間に合わないので、家庭でも石炭ストーブが使われ、北海道の勤務者にだけには給料にも暖房代が上乗せされることが多かった。したがって気温の低い北海道から東京や大阪へ来た人は北海道よりこちらの方がかえって寒いと言ったものであった。

 そんな時代の暖房手段は主としてこたつと火鉢だけで、あとは厚着をすることと、外では焚き火にあったたり、酒を飲んだり、風呂で温まることぐらいであったろうか。そんな生活の結果が今でも風呂は温まるものだという習慣から抜けきれず、長風呂で風呂で死ぬ老人が多いことに繋がっているのかも知れない。

 戦前の都会では普通の家の暖房の中心は火鉢とこたつであった。昔は灰を入れた素焼きの箱に炭火を入れ、灰を被せて火が長く保つようにして、それを木のケージに入れ、上から布団をかぶせた「櫓こたつ」が普通であった。電気器具が普及するようになって電気ヒーターに取って代わられたが、いずれにしろこたつに潜り込むのが全身が温められるので一番気持ちの良い暖房方法であった。

 ただ背中は外に出ているので、厚着をするか、厚手のマントでも羽織って暖かくせねばならないことと、一旦入ると動きにくく、外は寒いので、コタツから離れるのに勇気が要ることなどが問題であった。しかしこたつに体ごと潜り込むと暖かくそのまま寝てしまうと快適だったりもした。厚着をして動きも鈍くなるので、若くても冬になると肩が凝りやすくなったものだった。

 しかし何と言っても部屋全体を暖めるわけではないので、こたつから出ると寒いので、用があってもつい出たがらなくなり、あまり生産的と言えないのが欠点であった。エアコンなどのない時代には、夜は湯たんぽやコタツを入れた布団に潜って寝ていたので、朝起きるのが大変であった。朝方は一番冷えるものである。もう時間なので起きねばと思っても、外が寒いので少しでも長く寝ていたい。それでも仕事や学校があるので起きねばならない。思い切って起きるのが問題であった。

 若かったので私は夜中に排尿に起きることがなくてよかったが、年寄り、それも東北地方などの人は、寒い夜中に起きて、当時は便所は大抵外にあったので、零下にもなる所へ出ていかねばならなかったから大変だっと思う。栄養も悪い当時の東北で脳出血の多かったのもそんなことも関係していたようである。

 朝起きても水道管から湯が出るようになったのはまだ半世紀ぐらい前からのことだから、それまでは湯を沸かして洗面器に入れた水に湯を差して温め、それを大事に使うよりなかった。子供の頃アメリカ帰りの伯父の家でガス湯沸かし器を見て目を見張って眺めた記憶がある。

 瞬間湯沸かし器といえば、1970年の大阪万博の時、外国からの客を泊めて良い条件として湯が使える蛇口があるかどうかというのがあったので、その頃から日本でも湯沸かし器が普及しだしたようである。

 エアコンが普及するまでの暖房はコタツを除いては火鉢が主で、電気やガスのストーブが後から徐々に普及してきた。石油ストーブの普及は日本では遅れ、初めの頃はイギリス製のものが重宝がられたことがあった。薪ストーブは昔からあったが、都会では普通の家の構造に向かないので事業所向きであった。練炭火鉢などというものもあったが、それで一酸化炭素中毒を起こして死亡する事件などもあった。

 私が学生の頃に使っていたものは、もっぱら小ぶりの瀬戸物の火鉢で、勉強する時など厚着をして火鉢を抱え組むようにして座り込んで火鉢に手をかざしながら本を読んだりしたものであったが、本読みながらついウトウトすると、手が炭火のところに落ち、「あちち」となって目を覚ますようなことがよくあった。今では懐かしい青春の思い出である。

 今の若い人たちはもう知らないであろうが「股火鉢」という言葉もあった。ただ火鉢の横に座って手をかざすぐらいでは上半身は多少温まっても下半身は寒い。火鉢で全身を温めようと思えば、火鉢の上に跨って下から炭火の暖かさが伝わってくるようにするのである。行儀は良くないが一番効率よく温まるにはこれが一番であった。

 また両親の家の居間には真ん中に掘りごたつが切ってあり、皆がそこへ足を突っ込むとともに、部屋の片隅にはガスストーブがあり、うっかり近づくと危ないのでその周囲は立方形の金網で区切られており、その金網に母がよく濡れた布巾などをぶら下げて乾かしていたものであった。

  そんな炭火暖房の事情が変わり始めたのは1960年代の高度成長時代からである。今の若い人たちにとってはもうエアコンなどはあるのが当たり前で、火鉢を抱え込んで暖をとることなど考えられないであろうが、今でも我が家の軒先には昔使っていた大きな瀬戸物の火鉢が捨てられずに置いてある。

 火鉢が使われなくなって、もう今ではそれに不可欠であった火箸とか五徳などは死語になってしまったし、股火鉢などどういうことか説明がないと理解できないかも知れない。今ではユニクロヒートテックなどの薄くて保温性の高い下着も普及していて、冬の厚着のために肩がこるようなこともないであろう。

 半世紀も経てば世の中は考えられないぐらい変わってしまうものである。格差拡大や貧困が社会的な問題となっているが、生活環境は昔と比べれば遥かに良くなっている。若い世代の人たちは私から見れば幸福である。ずっと快適な環境の中で暮らしていると言える。もちろん今もいろいろな問題で頭を抱えておられるであろうが、将来は決して暗くはない。未来に期待して生きていって欲しいものである。

 今後世の中がどう変わっていくかはにわかには予測できないが、ただ心配なのは最近の戦前復帰を望む勢力の台頭である。他国に従属したままでの戦前復帰がいかに危険なものか、再び戦争に巻き込まれでもしたら、折角築かれてきた環境もたちまち灰燼に帰してしまうであろうが、それさえなければ今より良くなっても悪くなることはないのではなかろうか。

 なんとか人々が英知によって最悪の事態を避けて、現在のような緩やかな環境の中で暮らし続けていけるように願うばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貧しかったこの国では

炭火を入れた櫓こたつ 湯たんぽ 電気こたつ 電気毛布

股火鉢 五徳  薬罐、鉄瓶 火箸 灰押さえ 餅網 おかき 煙管タバコ

田舎では囲炉裏 

湯沸かし 熱田の家

電熱器 電気すと−ぶ

万博時代

ガス暖房 ガス中毒 ガスサーキュレーター

 石油ストー

電気サーキュレーター 床暖房