私の子供の頃は夜空には満天の星が輝いていた。月の満ち欠けにも興味を持ったが、星を見るのも好きだった。満点の星は限りなく広々とした宇宙を感じさせてくれ、無限の夢をあたえてくれた。どこか遠い遠い未知の世界へ誘ってくれるようなロマンを感じたものであった。
北斗七星の最後の柄杓の縁の二点を結ぶ線を伸ばし、反対側の空に輝くカシオペア座のWの広い方の角度の二等分線を引いて、その二本の線が交わるところにあるのが北極星だと教えて貰い、あっちが北のだなあと正しい方角を知ったのは小学校の何年生の頃だったであろうか。
当時は星座表などというものがあり、それを片手に夜空の星座を見たりしたことを思い出した。しかし、星座表にはたくさん動物や鳥、ギリシャの英雄のような名前が出てきてロマンがあったが、実際の星座からそれらを認識するのはどうしても難かしかった。
当時まだ四ツ橋の電気博物館があって、そこのプラネタリウムにも何度か行って、短時間に、夕暮れから真夜中を経て空が明ける一夜を経験させて貰った。人工と分かっていても夜空に魅了させられたが、覚えられた星座は少なかった。
それでも、夏になると南の水平線の上に上がってくる巨大なさそり座を覚えてからは、その雄大な姿が好きになった。日本の南には広大な太平洋が控えている。その太平洋の真ん中に行ってこの星座を見上げたらどうなのであろうかと夢見たこともあった。
そして、冬になると、今度は嫌でも中天にかかるオリオン座が目についた。四角く囲んだ四つ星の真ん中に並んだ三つ星があり、いつも上から地上を見下ろしているような気がしたものであった。三つ並んだ星から上等兵星などとも言われていたが、昼間に上官である上等兵から散々虐められた初年兵が、寒い夜に歩哨に立たされて、嫌でもこの星を見上げて上等兵を恨み、自分の惨めさを感じたという話をよく聞いたものであった。
私にとっても忘れられないのは、四国に赴任していた頃のことである。単身赴任で寒い夜に帰宅する時に、嫌でも毎晩このオリオン座を見上げながら、誰も待つ者のいない寒い我が家へ帰る時に感じた寂寥であった。
そんなふうに星の輝いていた夜空にはいっぱい思い出が詰まっているが、今はもうすっかり変わってしまった。大都会の真ん中でもないのに、我が家からは夜空の星を見るかとが出来なくなってしまっている。
昔あれだけ輝いていた満天の星もすっかり姿を消してしまい、いつ夜空を見上げても、見えるのは月と金星だけである。時に他にも光があると思えば、飛行機が飛んでいるのだったりする。空自体も今では真っ暗ではなく、真夜中でも昔の夜空ではない。黒ずんだ背景に黄色がかった雲がたなびいて見られる。どうも今は街灯やマンションの灯りなどが空に照り返るためなのか、それらの光が雲に反射して雲が薄暗く映し出されているようである。夕暮れでもなく朝焼けでもない澱んだ薄明かりが漂っている。
やはり夜には満天の星が欲しい。あの無限に広がる広々とした空間に無数に散らばった星の姿が戻って来てくれたらどんなに素晴らしいことであろうか。毎晩もう一度見て見たいものだなあと思いながら、どんより曇ったような冴えない夜空を眺めながら、夜の窓を閉めている。