先日孫の大学卒業式にアメリカへ行って帰ってから、今日は循環器病研究センターへ行った帰途、久し振りで阪急千里山線に乗ったら、関大前からどやどやと関大の学生が大勢乗ってきた。
つい自然に、先日アメリカでの大学で見た光景と比較することになったが、殆どの学生が友人と話しながらもスマホを見ているようなところは洋の東西を問わず同じだが、両者では随分違った印象を受ける。
第一印象で日本の学生の方が皆幼く見える。アメリカの学生の方がずっと大人の感じである。これは日本の学生の方が幼稚だという意味ではない。人種的な外観の違いなのであろう。日本人の方がのっぺり顏なので一般に若く見えるのである。昔、私がアメリカにいた時も、当時もう三十を超えていたのに、小さくて若く見えるので、酒を買いに行ったら生年を聞かれたことさえあった。
それは兎も角、日本の学生とアメリカの学生で全くと言っても良いぐらい違っているのは、個々の学生間における多様性である。日本では極端に言えば、今でも制服を着ているかのごとくに、どの学生も同じような印象を受けるのと大きな違いである。
アメリカでは外観だけでも、背の高さや、横幅から始まって、顔貌、皮膚の色、骨格、肉付きまで、端から端までずいぶん多様なのが普通だが、日本の学生ではあまり太っている人もいないし、飛び離れた背の高い人や低い人も少ない。皆が標準的な寸法内に収まり、顔も似ているし化粧まで同じようである。
何も学生に限ったことではなく、普通の人でも同じか、学生以上にバラツキが多いので何も驚くことではないが、やはり世界中から集まった人々の大陸と島国とでは違うもので、こちらが普通であちらが違うのではなく、こちらが特殊なのだと認識しておいた方がよさそうである。
ついでに言うならば、日本の学生には、若い女性なのに、胸の膨らみを感じさせられる格好をした女性の少ないことも大きな彼我の違いであろう。
ただ、外観は随分違った印象の人たちでも、もし少し時間をかけて付き合ってみるとそれぞれに個性があって、この人は日本なら誰に似ているとか、あの人は誰それさんにそっくりりだということになって、人間とは面白いものだと感じることが多いものだということも付け加えておきたい。