憲法記念日

 今日は戦後の憲法の出来た記念日。政府はアメリカの要請を受けて安保体制を見直し、地球の裏まで派兵出来るようにしてまでもアメリカにより深く追随するため憲法を何とか変えようと足掻いている。

 ところが今の状態では議員の三分の二以上の賛成がまだ得られそうにないので、いきなりの大改正より先に、緊急時の立法など同意を得やすそうな条文の付加をして憲法改正に慣らしてから、九条などの全面的な改正を狙うという姑息的な方法を取ろうとしているようである。

 憲法は占領軍が作ったものだから改正しなければというが、その経緯がどうあろうと、戦後の七十年間この憲法がどれだけ日本の国民を守ってくれて来たことか。今これを変えねばならない必然性があるか、変えることでどれだけ得られることがあるかを考えれば、今はその時でないことが分かる。

 もともと政府が憲法を変えようとするのが間違いで、憲法は政府が国民を縛るものではなく、主権者である国民が政府を縛るためにあるもので、憲法にも九十九条で政府がこれを守らなければならないとはっきり書いてあるのである。政府が主導して憲法を改正しようという事は憲法違反なのである。

 この憲法のおかげで日本は朝鮮戦争にもベトナム戦争にも参戦しないで済んだし、アフガニスタンイラクでも自衛隊の戦死者が出なかったことを思い出して欲しい。

 長年の間世界中から日本はアメリカの目下の同盟国だが、戦争をしない平和な国だとして好意を持たれてきたのもこの憲法のおかげである。

 それに今は世界で戦争が差し迫っている時ではない。中東などでは問題があってもアジアで戦争の兆しはない。アメリカの元参謀本部長?だかも二〜三日前の新聞で現在はアジアでは戦争の危険性が最も少ない時だと言っていた。

 中国が成長し尖閣諸島竹島などの問題もあり、今や国際情勢が変化したとして、今にでも戦争が始まりそうに煽りたてる人もいるが、それに乗せられては道を誤る。

 尖閣竹島はどちらも殆ど価値もない岩礁のような島嶼で、そのためにどこの国も多くの血を流してまで争うことは考えられないだろうし、万、万が一に占領されたとしても、それほど国益が害されるとは思えない。

 それにこれらの問題は多分に人為的に作られた問題で、もっと大きな問題から目をそらすための目くらましの要素が強い。中国も北朝鮮も今日本と一戦を交えなければならないような必然性はない。

 政府が憲法を改正したい最大の理由はアメリカが全世界での矛盾を克服するために軍隊を使いたい時に、自国の軍の代わりに自国の命令で動く目下の同盟軍としての兵力を提供することであり、従来からのアメリカへの従属を一層強めて、アメリカのおこぼれにありつこうということである。

 それが安倍首相の言う地球規模のアメリカとの”対等な”安保条約体制であり、集団的自衛権の行使なのである。日本国民の安全保障は二の次なのである。

 折角の平和憲法の改正によってこれまで長年培ってきた平和国家日本の評価は一度に潰れるし、無用な敵さえ増やすことになるであろう。憲法を改正してこの国の人たちが得られる利点は何もない。

 政府には憲法改正よりもっと近隣外交に努力してもらい、近隣諸国との友好関係を回復してもらうことが先である。外交の失敗が戦争にも繋がるもので、戦争の出来る国にする前にもっと外交に力を入れることが安全保障の近道であろう。

 憲法の生まれた過程がどうあろうと、折角うまく働いてきて、七十年もの間一人の戦死者も出さずに済んだ大元の憲法を守っていくことが安全保障体制の改変よりも国民の生活を守るためにはるかに大切である。

 憲法記念日につくづく思うことである。