同じ世代

 朝日新聞の文化・文芸欄に色々な人の「語る・・人生の贈りもの」というシリーズ物が載っているが、今回は、金時鐘さんが「今年で90歳になった」という文を書かれていた。

 私と一つ違いなので、戦中、戦後の頃の事がよくわかる。「『皇国少年』になりきっていた私は、45年8月15日の日本の敗戦で地の底にめり込んでいくような墜落感を味わいました」と書かれている意味が嫌という程判る気がした。

 大日本帝国に純粋培養されたような私は、それこそ忠君愛国の熱情に燃えて、帝国海軍将校を目指す海軍兵学校の生徒として、まともに「天皇陛下のために命を賭して」と考えていたのが、敗戦で自分の全てが否定されてしまって生きる柱が無くなってしまったことを今も昨日のことのように覚えている。それから立ち直るのに何年かかったことだろう。私の人生に未だににその傷跡を残している。

 然し金氏の場合にはもっとひどかったであろう。自分のよって立つ国がなくなり、4.3事件で故郷を追われ、命からがら日本に亡命しなければならなかったし、それまでの自分の言葉である日本語を否定され、自国語である朝鮮語を必死になって学ばなければならなかったのである。天動地変のような時代の急変を乗り越えるのはそれこそ大変な事であったであろう。

 しかも、その後も、解放されたはずの朝鮮は南北に分断され、朝鮮戦争が続くという悲劇が続き、「私は一体何から解放されたのだろう」という疑問を自らに発せねばならなかった苦しみは、私の陥ったニヒリズムよりずっと深いものであったであろうと思われる。

86歳の夫87歳の妻を殺す

 最近滋賀県で起こった事件で、86歳の夫が87歳の妻を自宅で首を包丁で刺して殺害した事件があった。妻の方が認知症で物忘れがひどく、生活に支障が出ていると市に相談し、市は要介護に認定し、介護サービスを受けているということであった。

  短い新聞記事だけなので、詳しいことはわからないが、恐ろしいことである。記事を読んでまず思ったことは、これは夫も妻も両方とも被害者だということである。ここまで追い詰められて両者を傷害したのは社会だと言わざるを得ない。

 老夫婦だけが社会から隔離され、片方が認知症で体力のない相手が一人で面倒を見ようとすると、どうしても無理がある。介護保険を受けているといっても、今の制度では、ことに認知症に対しては、施設にでも入れない限り、家庭訪問ぐらいでは、ないよりはマシというぐらいで、あまり助けにはなり難いのではなかろうか。

 それに長年の夫婦で、お互いに相手の精神世界にまで踏み込むことさえ多いような関係が長年続いてきている夫婦の中では、遠慮が廃れ、冷静な判断よりも感情が先走り、両者の関係がうまくいっている時は良いが、認知症がありコミュニケーションがうまく取れない上に、自分も体力的に消耗すると、最早限界に達し、感情的な暴発に繋がりやすいのであろう。

 こうした問題では孤立した夫婦関係の中だけでの解決は困難で、社会的にも短時間の家庭訪問や在宅介護ぐらいだけでは無理で、夫婦を引き離してでも施設に収容するなりして、認知症の介護とともに、夫の負担軽減を図るべきであろう。

 長年の夫婦関係の後であれば、自然に以前の健全な時の関係が思い出され、こじれた感情は次第に勢いを増し、自分の体力の消耗も重なって、冷静な判断が出来難くなり、現状が惨めなだけに余計に感情が先走って腹が立ち、ついには「腹が立って刺した」という悲劇になったのではなかろうか。誰にでも起こりうることで、他人事とは思えない。

 夫婦や家族の介護の場合には得てして感情が先走って、客観的な冷静な判断が困難になりがちである。これはひと頃、施設の介護でも、親身を持って家族のように扱うことが勧められたが、「おじいちゃん、おばあちゃん」などと言って一線を超えて感情移入し過ぎると、変えて介護がうまくいかなくなった経験などからも言える。

 事件になってしまった夫婦の場合も、初めから家族や夫婦だけで処理しようとせず、社会の認知症に対する対応も施設に収容するなり、訪問時間を頻回にとか長くするなどし、家族や夫婦の介護負担を軽減し、社会の手をもっと借すことが出来ていたら、こんな悲劇は避けられたのではないだろうか。悔やまれてならない。

SUN77写真展

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 今年もまた私たちの写真展の開催期日になりました。今年の作品はここに掲げたものです。色々な素材の組み合わせですが、どれもカップルのものを選びましたので、標題を「ふたり」としました。

 上からプラタナスの幹の表面、落屑した樹皮、堤の茸、剥げ落ちた車避け、剥離した白線を素材にした作品です。

 ずっと底流として、人々の多様性(diversity)を表現しようとしてきたシリーズものです。昨年までの作品はこの同じBLOGのいずれも7月の部分に載っています。

ファシズムの始まり

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 今度の参議院議員選挙の街頭演説で、札幌で街頭演説の安倍首相に対して「安倍やめろ!」と野次った男性と、増税反対と叫んだ女性が、それぞれ周囲にいた北海道警察の制服、私服の警察官数人に腕や衣服を掴まれて、端の方へ連れて行かれて動けなくされた事件が新聞に載っていたと思ったら、今度は大津市でも首相の応援演説にヤジを飛ばした男性がスーツ姿の警察官によって会場端のフェンスに押しやられる事件が起こった。

 福島では「総理、原発廃炉に賛成?反対?」という手作りの質問ボードを掲げようとした主婦が、私服刑事と自民党スタッフに取り囲まれ、ボードを没収されるということも起こっている。しかも没収されたボードが教えた覚えのない勤務先に送りつけられてきたようなことまであったようである。

 また東京では、安倍首相の街頭演説の警護に、特別事態の時にのみ出動する特殊部隊まで動員されていたそうである。

 一方、京都市では、令和維新の山本太郎候補者の街頭演説に際して、マイクを持って妨害に入った男性に対しては、合法的だから構わないとして、むしろ4〜5人の制服の警察官に守られた形になって、最後までマイクでがなり通した由である。

 これらの事例については、今はどれも写真が撮られSNSで拡散されているので、誰にも見えるし、札幌の事例については余りにも道警のやり方が常軌を逸しているので批判の声が上がったが、それに対する警察の対応も二転三転している。

 札幌の例ではヤジを飛ばした本人のSNSの投稿もあるし、安倍首相の演説を記録したSNSにも動画ではっきりと状況が映し出されている。女性の拘束されている状況もはっきりした写真がある。

 警察が中立であるべきなのは当然である。これらの事象は明らかに警察による憲法にも違反する言論抑圧である。戦前、弁士の演説を臨席した警察官が途中でやめさせた場面を思い出させられた。もうすぐ先には、そこまで言論抑圧が進むのではないのかと思われ、ゾッとさせられる。もう白水の「廊下の端に戦争が立っている」という戦前の雰囲気が近いものになってきているのを感じさせられる。

 元警察官であった人も、この行き過ぎた警察の対応にSNSに遺憾の文を書いている。「こうした警察のやり方をみると、戦前の行政執行法(明治33年)1条の予防検束「暴行、闘争その他公安を害する虞(おそれ)のある者に対する処分」が復活したような気さえする。「やりそうなやつの身柄を拘束してしまう」という特高時代の代物だ。」と書かれている。

 警察が首相府などに忖度して過剰な警備をしているのであろうが、こういう警察の反応は決して許してはならないものである。戦前の日本の歴史を振り返っても、必ずこのような傾向は時とともにエスカレートして、気がついた時にはもうどうすることも出来ない所にまで来るものである。

 戦争も独裁政治も、急に起こるものではなく、次第に積み上げられていき、やがては誰しも引き返せない所にまで人々を追い詰めるものである。たとえ今回の選挙で勝てなかったとしても、終われば、国民の声を結中して、はっきりとした反対の声をあげなければならない。

中国人に助けられる

 先日の友人の話しから・・・。その友人は最近ようやく車の運転をやめて、公共乗り物を利用するよになったらしいが、長年車でばかり移動していたので、公共交通機関に慣れていないので、勝手がわからなくて困るそうである。車をやめて初めて電車で大阪まで出た時のことだそうである。

 帰りに地下鉄の切符を買おうとしたが、自動販売機は会社により操作の仕方が少しづつ違うので、どこをどの順番で押せば良いのか、慣れている人にとってはなんでもないことでも、初心者には分かりにくい。パソコンやスマホの操作でも同じである。ATM での送金でも初めはまごつくものである。

 私も、昔パリの地下鉄で、器械で切符を買うのに困ったことがあったし、ロスアンジェルスではわからないでまごついていると、親切な青年が教えてくれた。その時はお蔭でシニア割引のあることがわかり、ロングビーチまで安く行けたことなどを思い出す。

 友人の場合は、後ろに中国からの旅行者がやって来て、老人が切符を買うのにまごついているのを見兼ねて、助けてくれたそうである。最近は外国からの旅行者も多いが、初めての旅行者でも若い人の方が地の年寄りよりも機械の扱いには慣れていて強いものである。

 こうして漸く地下鉄に乗って、千里ニュータウンに住んでいるので、北大阪急行千里中央までは問題なく帰ってこれたが、そこでまた問題が起こった。

 そこから先、家の近くまで行くバスの乗り場がわからない。なるほど、千里中央のバスの乗り場は広いターミナルのあちこちに分散しているから、勝手のわからない人には見つけにくいのであろう。

 案内板もあるのだが、夜だと分かりにくい。夜になると昼間とは景色もすっかり変わるので、同じような建物の続く中では、慣れないと方角も定かでなくなり、何処が何処だかわからないことのなりかねない。

 足が悪いので気軽に歩き回るわけにもいかず、人の聞いても南の端と教えて貰っても、方角がわからない。どうしたものかと思案していたら、親切な青年がいるもので、杖をついた老人を労ってか、確かあっちだと思うがと教えてくれて、自分で走って行って確かめて来てくれたそうである。

 これまでは大阪から車で新御堂筋を走って、千里中央インターチェンジで出て、千里阪急ホテルの横を走れば問題なく家まで帰れたのに、こうして人に助けられて漸く家にたどり着いたそうである。車の運転を止めた老人には、自分の家に帰るだけでもしばらくは大変である。

 その大変さは同じ年の老人にはよくわかるだけに同情に耐えない。それでも、頭の回転も遅くなり、運動神経も鈍くなってくるので、運転を続けて事故など起こすより、不便になっても運転はやめた方が良いと勧めた次第である。

 

中国の経済成長率が6.2%に落ちた

 米中の貿易摩擦で、最新の中国の統計で、経済成長率が6.2%に落ちたことが報じられ、これはリーマンショックの後以来の最低値だと言われる。

 日本のメデイアでは、まるでざまあみろと言わんばかりの書き振りのところもあるが、中国の成長率はここのところ6%台で続いて来ており、米中貿易摩擦の影響はあるだろうが、それほど大きな落ち込みとは言えないのではなかろうか。

 それより日本の経済成長率を心配する方が先ではなかろうか。2018年の日本の経済成長率は0.81%で世界の中の順位でいうと、191ヶ国中166位なのである。

 他の国々と比べてみると、全体のGDP が小さいが、アフリカやアジアの国々は6〜7%成長しているところが多く、ヨーロッパの仏、独、英などでも1.4~1.5%の成長率は確保されており、、アメリカは2.86%となっている。

 最近の新聞によると、シアトルはアマゾンのおかげで建設ラッシュが続くなどで景気が良く、昨年の経済成長率が5.7%と全米トップだったそうである。

 これらの数字を比べると、成長率が落ちたと言っても6%台の続いている中国の経済成長率は、日本などと比較してまさに驚異的な値であることを知るべきであろう。

 それより現在ますますこじれて来た日韓関係問題に絡んで、韓国の成長率はを見ると2.67%と日本よりも大きく、戦時中の徴用工の補償問題など政治問題を経済制裁によって解決しようという試みがそう簡単に片附く問題ではなく、今後長くお互いの反目が続くことになるのではないかと心配である。

 中国や韓国を見る場合に、どうしても過去の歴史や政治的な思惑が絡んで来やすいが、将来の東アジアの平和や経済的な関係を考慮する時には、感情に左右されない冷静な判断をする必要があるのではなかろうか。

 もうそろそろアメリカ一辺倒の政治を見直して、将来的にますます巨大化していく中国を中心にした東アジアの平和をいかにして構築していくかということも考えていかねばならない時が来ているのではなかろうか。

中国映画「芳華」(Youth)

 知人に勧められて「芳華(Youth)」という中国映画を見た。

 表題通りの中国の青春ラブストーリー。フォン・シャオガンという有名な監督の映画だそうで、4000万人が涙したという広告があった。

 踊りの才能を認められて、毛沢東の時代の軍の文芸工作団に入った若い女性が、毛沢東の死、中国ベトナム戦争文化大革命の時代、鄧小平による資本主義を取り入れた発展の時代へと、劇的に変化した時代を経て、文工団も解散してしまうという長い生活の歴史の中でずっと秘めていた恋心を描いたもの。

 文工団における舞踊活動から、集団生活の中での色々な葛藤を経験しながら、精神を病んだり、従軍看護婦として活躍したり、紆余曲折を経て、文工団も解散して皆がバラバラになった後になって、やっと初めから憧れていた男性に愛を打ち明けて一緒になれたというような話。

 まあ言えば、よくあるストーリーだが、京劇と現代的なバレーを組み合わせた踊りが仲々良かったし、長い時間的なスパンの中でのそれぞれの時代がよく描かれており、見ていて飽きない映画であった。

 ただ外部からの私などからすると、せっかくのこういう映画だから、文化大革命などを含む世の急激な変化を人々がどう受け止め、それに適応してきたのか、その中での人々の生活や心の変化などがもう少し描かれておればよかったと思うのは欲張りすぎであろうか。