地球の温暖化?

暑い!暑い!暑い!

 大雨が続いて、西日本では各地で何十年ぶりかと言われる水害やがけ崩れで甚大な被害が起こり、その後片付けで大変なのに、今度は連日の猛暑で、昨日など二千人を超える人が熱中症で搬送されたそうである。

 これまでは、暑いと言っても30度を超える程度が最高であったが、昨日など京都では38.8度にまでなったそうである。大阪も37度とか。以前には考えられない異常な温度である。それが一日だけの例外的な暑さというのではなく、連日続いているのである。テレビは今日も38度と言っている。

 以前より確実に5度くらいは上がっている。38度などといえば、もう体温より高い。そのうちに40度を超える日がやってくるのではないかと恐ろしくなる。

 子供の頃に「サウジアラビアなどでは気温が40度もあるそうだ。それぐらい暑いともう体温より暑いので服を脱いで、裸になっても涼めない。逆に熱を遮断するために衣服を着たほうが良いのだ」などと知ったかぶりに言い合ったりしたものだが、昨日今日あたりの気温を見ると、日本も最早、温帯ではなく熱帯の仲間入りをしたのではないかと思われる。

 とにかく暑い。もう体温以上の気温なので、裸になっても間に合わない。外から逆に熱気が体の中へ入ってくる。アラブの伝統的な衣服のように、ゆったりした衣服でも纏ったほうが涼しく感じられるのかも知れない。

 門扉の金属の取っ手は焼け付く感じで思わずビックリしたし、トイレで手を洗おうとしたら水ではない生熱いお湯が出てきた。外気がサウナの中にいるようだと誰かが言った。こんな時に災害の後片付けなど出来たものではない。ご苦労様の限りです。気をつけてもらわないと熱中症にならないほうがおかしいぐらいである。

 きっと地球の温暖化で地球の気象条件が大分変わってきているためではなかろうかと思うのだが、新聞もテレビも、これだけ高温の日が続いているのに、「水を飲んで熱中症に気をつけてください」とばかり繰り返すだけで、一頃は盛んに言っていたのに、最近は地球の温暖化について殆ど何も言わないのは何故なのだろう。不思議に思えてならない。

 今日の朝日新聞の科学欄には、それとは真逆の「元気ない太陽、夏が消える」と題して、逆にこの数ヶ月太陽の黒点が観察されておらず、宇宙では太陽の活動が落ちて来る時相が近づいて来ているようで、そうなれば地球は冷えて、冷害が起こる恐れが出てくると書かれていた。

 ただ、地球温暖化と太陽の活動低下は相殺されるが、地球温暖化が進み、再び太陽活動が活発になると、気温上昇に歯止めがかからなくなる最悪のシナリオになる可能性のあることにも触れていた。

 暑いのも困るが、極端に寒くなるのも老人にとっては辛い。原因が何であるにしろ、やっぱり地球はこれまで通り、なるべく人類にとって住みやすい環境を続けて欲しいものである。老人はこれだけ暑いと、ただ冷房をかけて寝転ぶだけ。何も出来ない。

 

映画「焼肉ドラゴン」

 映画「焼肉ドラゴン」を見てきた。以前に見た映画「月はどっちに出ている」の脚本を書いた鄭義信(チョンウイシン)氏の原作で、戯曲、演出家として日本、韓国で舞台に乗せて、数々の賞に輝いた作品の映画化らしい。

 扱っているのは、1970年の大阪万博の頃の時代設定で、その頃まであちこちの見られたいわゆる”朝鮮部落”が舞台で、そこで焼肉屋をやっている一家の物語である。主人公の名前が龍吉なので、「焼肉ドラゴン」ということになっているようである。

 在日の朝鮮人には戦前から日本に住み着いている人に加えて、戦争中、徴用で日本に連れてこられた人たちで、戦後故郷に帰りそびれた人たち、また、殊に大阪では、1943年の済州島での4・3事件に絡んで命からがら逃げてきた人たちも多く、それらの人たちが部落を作って、お互いに助け合いながら生きてきた歴史がある。

 この映画の家族も、竜吉は済州島出身なのだが、戦時中に軍隊に取られ、戦争で左手を失い、戦後引き揚げの船が沈んで全財産をなくし、済州島の親族は皆殺され、日本で生きていく覚悟を決め、「昨日がどんなでも、明日は、ええ日になる」と強い気持ちで一生懸命働いてきた人として描かれている。

 細君は子持ちの寡婦で、前妻の娘が二人おり、この三人娘と二人の間の男の子が一人という家族。三人娘は男との関係でもめているし、息子は学校での差別に負けて自殺する。戦後のどさくさに主人公はある人物から自宅を買ったのに、部落は国有地だからといって立ち退きを強要されるなど、過酷な運命にも強い意志で暮らしていく。

 この国における在日韓国人に対する執拗とも言える差別、その戦後の歴史や社会をも知っているだけに、見ているだけで思わず胸がこみ上げてくるような感じにもさせられるところもあった優れた映画である。

 最後は部落の立ち退きで、皆が去って行くことになるのだが、三人の娘たちはそれぞれに相手を見つけ、一人は韓国へ、一人は北朝鮮へ、もう一人は日本で暮らすことになる。そして、残された夫婦がそれでも頑張るぞとリヤカーを引っ張って去って行くシーンで終わることになる。

  ただ、欲を言えば、高度成長の万博時代における、その時代の一般社会と、朝鮮部落という限られた世界との格差の移り変わりがもう少し背景に描かれていたら良かったのではないかという気がした。先日見た「万引き家族」とはまた少し雰囲気の変わった作品で、我々の世代には特に感動的な素晴らしい映画だったと言えるであろう。

 

 

大雨による災害を予防する手はないか

 今回の西日本の広範囲に及ぶ大雨による災害は思いの外ひどい被害を起こしてしまったようである。洪水や山崩れなどが起こった場所も多くの府県に及び、死者や行方不明者の数も三桁に達する。多くの家が潰され、田畑や家屋の浸水範囲も広く、広範囲の地区が泥に埋まり、猛暑で断水という悪条件の下では、復旧作業もなかなか進んでいないようである。

 今回のような大雨による被害は、前にも書いたが、あらかじめ予想がつき、テレビなどでも危険の迫っていることの警報が繰り返されていたにも関わらず、こんな結果になってしまったことは残念でならない。

 先に書いたように、自然の偉大さの前に人の努力はまだまだ小さなもので、仕方がないのかも知れないが、地震のように未だ予知の不可能な自然災害とは違って、大雨による洪水の被害などは、今回を見ても、十分予知出来ていたことであり、何度も警報が繰り返された上に、その通りに災害が発生したのである。

 しかも、水との戦いは人類が生きていくために、有史以来繰り返し対策が講じられてきたことで、その成果も数えられないくらい多く、それによって現在の文明も築かれてきたと言っても良い。

 あちこちに大小のダムや調整池を作ったり、堤防をかさ上げしたり、川幅を広げたりしてきたのもそうだし、大阪近辺でいえば、大和川の流れを変えたり、新淀川を作ったり、ずいぶんいろいろと工夫してきたものである。

 私の子供の頃は阪神間天井川がよく氾濫したものだが、六甲山の植林が進み、河川の整備がされて、戦後はほとんど問題がなくなったし、河内平野は水はけが悪く僅かな雨でも水に浸かったりしていたのが、排水設備の整備で最近はそういった問題を聞かなくなっている。

 そんな例を思い出すと、今回の災害も予知出来たことであるだけに、平素からもう少し予防的な手も打てたのではないかとも考えたくなる。いくら稀にしか起こらないことだと言っても、この国では同様な災害はそれほど珍しいものではない。

 土木事業の能力も昔とは比べようもなく大規模で強力なものになっているのである。その気になれば、もう少し予防措置も取れたのではなかろうか。大都会中心で地方切り捨てのような政策、軍事費の増強などによる民生予算の配分の低下なども関係しているのかも知れない。

 何十年に一度というような自然の猛威に適切に対処することが困難なことはわかるが、多くの人の命を守るためには、そこまで平素から準備すべきなのではないかとも考えられる。

 仮にどうしても抜本的な治水策が困難であるとすれば、氾濫の恐れのある地域には鉄筋などの強固な高い建物しか立てられないようにするとか、山崩れや崖崩れの恐れのある所には家屋を建てさせないなどして、万一の時にでも、命だけは守れるようにする予防手段も考えられはしないだろうか。

 何としても、今回のように、「大雨が予想されます」「川が溢れる恐れがあります」「地盤が緩んだいます」「最大限の注意を払ってください」とのニュースの警告通りに、やがて川が溢れ、崖が崩れて、大勢の死者まで出すのは、何としても情けない。

 まるで「B29の大編隊が大阪に向かっています」「警戒警報です」「空襲警報発令」「焼夷弾を落としました」「大阪は焼け野原になりました」という悪夢が蘇ってくるようでした。

 偉大な自然の力に対して小さな人類に出来ることには限りがありますが、これまでの努力を省みて、それに上積みをして、少しだけでもより優れた方法で、治水の効果を上げ、再び同じような犠牲者を出さない方策を考え、実行出来ないものでしょうか。

タイの洞窟の少年たち全員救助される

 認知症になっても喜怒哀楽の感情は失われないようで、そのために周囲の人たちがそれに振り回されて困ることもあるが、認知症でなくても、一般に老人になると理性面に対して感情面が出やすいことがあるのだろうか。

 あるいはそんなことに関係があるのかも知れないが、卒寿も過ぎ、仕事などでいつも急き立てられるようなことがなくなったので、ニュースなどを聞いたり見たりしても、以前より何かの出来事に対する感情移入が強くなったのかも知れない。 最近、二つの出来事で、いつになく強く心を打たれて忘れられないことがあった。

 正反対の出来事であったが、悲しかった方からいえば、この前の北大阪の地震の時、小学校の子供が学校のブロック塀に押しつぶされて亡くなった事件である。未だにその死が哀れで気になって仕方がない。もう学校のすぐ横まで行っていて、もう少しで校門にたどり着けるところ、しかも通学路を示す緑色がくっきり塗られた所を歩いていたのである。もうほんの一二分でも違っていたら、何事もなくいつものように学校に入っていたに違いない。不運というよりない。そう思うと、わが子が事故にあったように悲しい。哀れである。今だに失われた命が不憫でならない。

 それとは全く正反対に、今日のタイからのニュースは心から私を喜ばしてくれた。タイの洞窟探検?に行った子供達が引率の若いコーチと一緒に洞窟の奥深くまで入ったところ、雨水で出口を塞がれ、出られなくなっていた事件である。ニュースの解説によると子供達が閉じ込められている場所は入り口からかなりの距離があり、途中に起伏がって一部かなり長い部分が水で満たされ、そこを潜らなければ外へ出られず、しかもそこは狭くて人が一人通れるぐらいしかないので、潜水の経験のない子供には自力では通り抜けられないし、専門の潜水夫がいても二人並んでは狭くて通れないということだった。

 はじめ十日近くは水没した奥に閉じ込められていた彼らの安否さえ分からなかったのが、幸い皆無事だとはわかったが、その後いかに救出するかが問題になっていたものである。種々な条件を考えると、救出はなかなか困難で、果たしてうまくいくのだろうか、外国からも援助もあり、世界中の人をやきもきさせることになった。

 無事なことがわかって救出出来ないでは済まされない。ありたけの知恵を絞ったのであろうが、今朝のニュースによると、なんとか全員が無事救出されたようで本当によかった。思わず万歳でも叫びたくなるほど嬉しかった。サッカーのW杯がたけなわを迎えているが、そんな勝敗はどうでも良い。こちらのニュースの方がずっと良かった。

 テレビで、トラップされていた一人の子供の祖母が「抱きしめてやりたい」と言っていたが、私も「本当に良かったね」と助かった子供達を抱きしめてやりたいような気になった。

能勢の浄瑠璃

 大阪府の最北端にある能勢町には昔から受け継がれてきた浄瑠璃があると聞いていたが、先日初めてその浄瑠璃を見てきた。

 実際に行くまでは、大阪といっても山の中の昔からの純農村地帯なので、どこかで見た田舎の藁屋根の芝居小屋でもあって、建物の前の広場に観客が座って見るようなところでもあって、秋のお祭りの時にでも、浄瑠璃が開かれるのではなかろうかといった漠然とした印象を持っているに過ぎなかった。

 最近そこで浄瑠璃があるというので、実地を確かめるべく出かけて見た。能勢電山下駅で降りて、一日数本しかない定期バスに乗って、大きなダムの横を通り、山の中の部落を転々と回って、やっと能勢町役場前のバス停に着く。浄瑠璃シアターはそのすぐ横にあった。

 まずびっくりしたのは劇場というか、芝居小屋というか、その規模の予想に反した大きさであった。しかも、よくある田舎町の多目的ホールのようなものでなく、浄瑠璃に特化した、木造の悠に500人ぐらいも収容出来る立派な芝居小屋である。中のロビーも広く、昔からの能勢の浄瑠璃の歴史のわかる展示などもある。人口1万余の小さな町には不相応な建物と言えよう。

 そんな不便なところにある劇場だが、今はほとんどの人が車で来るの場所はあまり問題にならないのであろうか。劇場の中は人が一杯で、全席満員の盛況であった。

 何でも能勢の浄瑠璃は、江戸時代の文化年間に、能勢の住民が大阪の浄瑠璃を学んで帰って始めたものだそうで、もう200年からの伝統があり、農閑期に農民同士が師匠からマンツウマンで技を受け継ぎ、ずっと素浄瑠璃といって、語りと三味線だけの座敷芸として続けて来たもののようである。

 それにしてもよく根付いて伝わってきたものだと感心させられるが、孤立した農村であったから余計に皆で大切にされ、保存されてきたものであろうか。「浄瑠璃一つ語れぬ家には嫁にやれぬ」といわれる如くに普及していたものだそうで、今もその伝統は受け継がれ、人口1万に過ぎないこの旧能勢村に浄瑠璃の語り手は現在200名もいるそうである。

 その様なことから、1993年には大阪府無形文化財に、1999年には国の無形民俗文化財に指定されているそうである。町が無理をして立派な芝居小屋を作ったわけも分かる気がした。

 この小屋も出来て今年で開館25周年を迎え、20年前からは人形も揃えて、本格的な浄瑠璃となり、能勢人形浄瑠璃鹿角座という組織になっているようである。しかも、ただ伝統を受け継ぐだけで満足せず。2年ほど前からは、漫画調のモダンな人形二体も拵え、映像と組み合わせた新しい演出まで試み、兵庫県の出石での浄瑠璃の出張公演までしているようである。

 浄瑠璃の劇そのものについては詳しくないので、大阪の本場の浄瑠璃に比べてどうのこうのとは言わないが、素人が見る限りでは、特段けなすようなしくじりなどもなく、木戸銭を払って見るだけの値打ちは十分あったとして良いのではなかろうか。

 ただ、なにせ不便な場所にあるので、車を持たない我々にとっては、帰途を考えれば、公演終了を待たずに、バスの時間に合わせて小屋を飛び出さねばならなかったのが辛かったが、思わぬ拾い物をした感じの午後であった。

 この芝居小屋がこれでまともにペイするようには思えないが、村人たちの希望と楽しみなどが日頃の努力と相まって、昔ながらの伝統文化を守り、それを町なり、府が支えてなんとか維持出来ているのであろう。折角これだけのものが出来たのだから、是非何とか続けて発展させてもらいたいものだと思わずにはおれなかった。

 

雨止まず

 雨止まずあちこち氾濫地獄絵図

関西ではなく関東のことではあったが、今年は例年よりも22日も早く梅雨明けしたというニュースを聞いて驚いていたら、そのすぐ後の3〜4日前から日本中がずっと濃い雨雲に覆われ、強い雨が降り続き、一向に止まないどころか、まだ明日も激しい雨が降り続くという。

 強い雨が何日も続くので、これではまたあちこちで川が氾濫したりして、被害が出るのではないかと恐れていたが、案の定、今朝からテレビはあちこちの川の氾濫や崖崩れを報じている。川に流されたり、山崩れで押し潰された家に閉じ込められて亡くなられた犠牲者の報告も続く。まだ行方不明とされている人も何人もいる。

 地震は急に来るから仕方がないとしても、大雨による被害は気象予報によってある程度予想可能で、しかも徐々に危険が迫って来るものだから、もう少し何とかならないものだろうかとも思うのだが、昔から分かっていて何度も繰り返しているのに、今だにどうにもならないようである。

 有史以来人類にとって治水は一番の政治的課題であり、堤防のかさ上げに始まり、ダムや池の造成、川の付け替えその他あらゆる努力を繰り返してきた結果がこれである。自然の力の偉大さと、人間のささやかな抵抗のの結果が現状である。

 家の近くを流れる猪名川も一昨日ぐらいには、もういつも散歩している堤防の下の川縁の道は濁流に隠れてすっかり見えなくなっていたので、その後も豪雨が二日も続いているので、そのうちに堤防を越える高さにまで水が溢れるようになって来るのではないかと心配したが、幸、今のところ何とか持ちこたえているようである。

 川沿いの高速道路の建設に伴って、川西側の方の堤防が嵩上げされたので、堤防の高さが池田側の方が低くなったので、川が溢れるとすれば池田側ということのなるだろうと密かに気になっていたのである。

 それは兎も角、テレビでは何十年振りかの大災害になる恐れがあると言って注意を促しているが、天候のような一見、単純そうに見える自然の変化も、人知の及ぶ規模を超えて、まだまだ人がコントロール出来るようなものではなく、人々はただ静かに観察して被害が最小になるように神に祈るより仕方がないのかも知れない。しかし、これだけ人による科学の理解や技術の進展の現状と照らし合わせれば、こんな予測可能な災害ぐらい予防する手はないものかと歯がゆくも思わざるを得ない。

 しかし、他方では、それこそが人間の傲慢さの徴候であり、人の小さな努力などとは桁外れの自然の偉大さ、複雑さを謙虚に受けとめ、自然の災害をも神の人に対する懲罰と知るべきなのかも知れない。

負けてよかった

 このところ新聞もテレビもサッカーのワールドカップ一色と言っても良いぐらいだと書いたが、今回は日本チームが予選を勝ち抜いて2年ぶりに決勝トーナメントにに進出したので、これまでになく熱が入ることになったのであろう。

 日本チームが勝ち進むのは嬉しいことだが、時差の関係で試合の中継がいつも真夜中なのが問題である。ついテレビにかじりついて見ていると朝起きるのが大変である。昼間適当にサボれる学生なら良いが、普通の勤め人なら、ただでさえ長時間労働で寝不足気味な上に、この夜間のサッカー観戦は体にこたえる。見ないと余計に気になって眠れないし、仲間の話題の中間はずれにもなる。

 そうかと言って見れば興奮して徹夜ということにもなりかねないし、あくる日が大変である。そんなのが続いたらもうやってっれない。それでも試合があれば気になって眠れない。電車の中で居眠りするぐらいなら良いが、車の運転で事故を起こしたり、大事な仕事でしくじったりしては元も子もない。

 私はサッカーそのものにはあまり関心がない方だが、やはり日本チームが勝ち進んで決勝トーナメントにまで出るようになると、その勝敗が気になる。昨日は4時ごろ目が覚めたのでテレビをつけてみると、日本が2対0で勝っているではないか。 それももう後半戦のようだ。

 決勝トーナメントでは勝つのは難しいのではないかと思っていたが、勝っているではないか。これは素晴らしいと思ったが、同時に、勝っていることは嬉しいが、これではますます応援がヒートアップして大変なことになるぞ、日本が負けるまで止まらないのでないかといささか心配にもなってきた。

 しかし朝起きてニュースを見ると、後半で引繰り返されて日本が負けていた。折角ここまで来たのだからもう少し勝たせてもやりたかったけれども、これぐらいのところが実力なのではなかろうか。ここまで来ただけでも歴史も浅い日本チームとしては上出来だったのではなかろうか。

 加熱したサッカー応援が落ち着けば、これで会社の仕事も普通に進むことになるであろう。これからオリンピックで、政府はますますスポーツを盛り上げようとしているが、スポーツはあくまで娯楽であり、リクリエーションの範疇のものであることを忘れないで欲しい。『頑張れ!日本!』も良いがあまり加熱せず、適当に時に頭も冷やして楽しみ、スポーツに振り回されることのないようにしたいものである。

 見ている時には興奮して応援するのも良いが、勢い余って他人にまで同調を強いたり、必要以上に盛り上がって国の名誉などにまで結びつけず、終わったら冷静になって静かに振り返って余韻を楽しむようにしたいものである。

 それにサッカーの嫌いな人も、関心のない人もいることも忘れないでほしい。スポーツはするのも、見るのも、楽しむためのものであり、国の名誉をかけるようなものではない。これ以上の加熱は周りに迷惑を及ぼすものである。そういう意味で負けてよかったとつくづく思った。