大雨による災害を予防する手はないか

 今回の西日本の広範囲に及ぶ大雨による災害は思いの外ひどい被害を起こしてしまったようである。洪水や山崩れなどが起こった場所も多くの府県に及び、死者や行方不明者の数も三桁に達する。多くの家が潰され、田畑や家屋の浸水範囲も広く、広範囲の地区が泥に埋まり、猛暑で断水という悪条件の下では、復旧作業もなかなか進んでいないようである。

 今回のような大雨による被害は、前にも書いたが、あらかじめ予想がつき、テレビなどでも危険の迫っていることの警報が繰り返されていたにも関わらず、こんな結果になってしまったことは残念でならない。

 先に書いたように、自然の偉大さの前に人の努力はまだまだ小さなもので、仕方がないのかも知れないが、地震のように未だ予知の不可能な自然災害とは違って、大雨による洪水の被害などは、今回を見ても、十分予知出来ていたことであり、何度も警報が繰り返された上に、その通りに災害が発生したのである。

 しかも、水との戦いは人類が生きていくために、有史以来繰り返し対策が講じられてきたことで、その成果も数えられないくらい多く、それによって現在の文明も築かれてきたと言っても良い。

 あちこちに大小のダムや調整池を作ったり、堤防をかさ上げしたり、川幅を広げたりしてきたのもそうだし、大阪近辺でいえば、大和川の流れを変えたり、新淀川を作ったり、ずいぶんいろいろと工夫してきたものである。

 私の子供の頃は阪神間天井川がよく氾濫したものだが、六甲山の植林が進み、河川の整備がされて、戦後はほとんど問題がなくなったし、河内平野は水はけが悪く僅かな雨でも水に浸かったりしていたのが、排水設備の整備で最近はそういった問題を聞かなくなっている。

 そんな例を思い出すと、今回の災害も予知出来たことであるだけに、平素からもう少し予防的な手も打てたのではないかとも考えたくなる。いくら稀にしか起こらないことだと言っても、この国では同様な災害はそれほど珍しいものではない。

 土木事業の能力も昔とは比べようもなく大規模で強力なものになっているのである。その気になれば、もう少し予防措置も取れたのではなかろうか。大都会中心で地方切り捨てのような政策、軍事費の増強などによる民生予算の配分の低下なども関係しているのかも知れない。

 何十年に一度というような自然の猛威に適切に対処することが困難なことはわかるが、多くの人の命を守るためには、そこまで平素から準備すべきなのではないかとも考えられる。

 仮にどうしても抜本的な治水策が困難であるとすれば、氾濫の恐れのある地域には鉄筋などの強固な高い建物しか立てられないようにするとか、山崩れや崖崩れの恐れのある所には家屋を建てさせないなどして、万一の時にでも、命だけは守れるようにする予防手段も考えられはしないだろうか。

 何としても、今回のように、「大雨が予想されます」「川が溢れる恐れがあります」「地盤が緩んだいます」「最大限の注意を払ってください」とのニュースの警告通りに、やがて川が溢れ、崖が崩れて、大勢の死者まで出すのは、何としても情けない。

 まるで「B29の大編隊が大阪に向かっています」「警戒警報です」「空襲警報発令」「焼夷弾を落としました」「大阪は焼け野原になりました」という悪夢が蘇ってくるようでした。

 偉大な自然の力に対して小さな人類に出来ることには限りがありますが、これまでの努力を省みて、それに上積みをして、少しだけでもより優れた方法で、治水の効果を上げ、再び同じような犠牲者を出さない方策を考え、実行出来ないものでしょうか。