今年はどんな年になるか

 先ずは「新年おめでとうございます、今年も良い年になりますように」というのが正月の普通の挨拶言葉であるが、今年は色々波乱な年になるであろうかとは予測できても、実際にどのようなことが起こり、どのように進んでいくかは誰にもわからない。

 早起きの私は新年早々にも五時前には起きて、お屠蘇を済ませ雑煮を食べてから、例年のごとく三社廻りとして近くの三つの神社を廻った(無神論者であるが散策と見物のため)が、最近気がつくのは、まだ明けやらぬ早朝に神社で出会うのは、ほとんどが若い男性の集団かアベックだということである。彼らはひょっとしたら大晦日を徹夜で過ごして、神社のお参りをしてから家に帰って寝るのかも知れない。三社目に行ってようやく中高年の人や家族連れと顔を合わせたぐらいである。

 それはそうとして、近年はどの神社でもお初詣りの参拝客が増えているのも確かのようである。元旦の午後に、すぐ近くの神社を覗いても、ここ数年は神社の外の道路まで長い長い列を作って参拝の順番を待っているのが普通の景色になっている。

 昔は初詣で混んでいると言っても、並んで拝む習慣がなかったせいもあるかも知れないが、境内は人にあふれていても、神社の外まではみ出して長蛇の列を作るよううなことは見たことがなかった。

 戦後廃れかけていた神社信仰が復活してきたのであろうか。大臣の大多数が神道政治連盟の会員であることから見て、神社関係者や右翼勢力からの働きかけが盛んなのであろうか。それとも、おそらくこれが最大の要因と思われるが、先の見えない時代の不安が昔ながらの神頼みで、人々を神社へ向かわせるのであろうか。

 今年の日本はどうなるのであろうか。内政的には少子高齢化で人口が減り、社会保障制度が行き詰まりを見せ、労働人口が減り、アベノミクスの失敗が明らかになり、いつまでたっても不況から抜けられないのに、高度経済発展政策から抜けられず、将来の展望も明らかでない。日本的な忖度が進んで表現の自由も次第に侵されてきている。

 一方国際的にも、アメリカの凋落、アジア諸国の興隆などの情勢の変化にもかかわらず、アメリカ従属を一層強め、一昨年あたりから秘密保護法や安保関係法案、TPP法案、カジノ法案などの強引な採決を進めてきたが、裏目に出たアメリカ大統領選挙クリントン支持、自衛隊南スーダン派遣、原発再開や沖縄問題での住民の意思の無視など、内外の政策を進めるほど矛盾が大きくなってきてもいる。

 ただ国民の多くの反対を抑えた強引とも言える政策遂行にもかかわらず、世論調査における安倍内閣の支持率が依然として高いことにも注目しておかなければならないだろう。かって大阪で橋下氏の選挙の時の街頭での多くの人の高揚感を見てもわかるが、不安な時代には安易な解決に望みをつなぎやすい人々をポピュリストが利用しやすいこと

にも注意すべきであろう。

 ヒトラーが民主主義的な選挙によって首相になりそれが独裁につながった歴史を忘れてはならない。イギリスがEUから脱退し、思いもしなかったトランプが大統領になることも昨年の大きな出来事であるし、今年選挙の多いヨーロッパで右翼勢力が政権を取る可能性もあると言われる。

 内外ともに今年がどんな年になっていくのか全くわからないが、肌で感じるこの国の状態は段々戦前に似てきているということである。戦争は決して急に始まるものでなく、一段一段と積み上げられて、もはや誰も反対できなくなった挙句が戦争であった歴史を忘れてはならない。

 さらに、この国では今でも社会より世間が幅を利かせ、個人がしっかりとは確立していないことも危険因子であろう。まだ「兵隊が廊下の隅に立っている」ところまで行っていなくとも、「兵隊がすでにこっそりと暗い木陰から覗き始めている」ようではある。

 私はもはや余命も少ないが、若い人達にもう一度あの無残な戦争や、それにまつわる生活の苦しみだけは何としても味合わせたくない思いが痛切である。

思慮の足りない稲田防衛大臣

   安倍首相が真珠湾へ行った時一緒に行った稲田防衛大臣が帰国後翌日に靖国神社に訪問し中国や韓国ばかりかアメリカのメディアからも叩かれている。

 安倍首相の訪問の結果についての緊急世論調査での結果が84%の高い評価だということで驚いたばかりであったが、この稲田大臣の行動はそれを完全に打ち消しているような結果になっている。アメリカのNBC Newsは「安倍首相の画期的な真珠湾訪問を台無しにするものだ」と報じているそうある。

 真珠湾で寛容と和解を説いたのに、その翌日に真珠湾攻撃の時の首相であった東条英機や直接指揮した山本五十六が祀ってある靖国神社に日本の防衛大臣がすぐ後で参拝することは真珠湾での出来事を全く打ち消しているような行為としか言いようがない。

 ひょっとすると稲田大臣は今年の敗戦記念日が大臣就任直後だったため毎年行っている靖国神社の参拝に行けなかったので、真珠湾での犠牲者への慰霊で靖国神社を思い出して、年も押し迫ったので慌てて今年中にと出かけたのかもしれないが、時期の選び方も誤ったようである。

 中国や韓国がともに日本の閣僚が靖国神社を訪問することに強く反対していることは当然承知の上での行動であるが、両国との外交的な協議が進んでいることもあるようだが、それらを無視し、米国はじめ世界の反応のことも考えずに、自分の思惑だけでの行動は大臣という立場からしてあまりのも思慮に欠けていたのではなかろうか

 最近の大臣は国会の答弁や繰り返される失言から見ても大臣にふさわしくないような事例が多くなって大臣の資質が問われるが、国を代表する大臣であれば、自分の思惑だけでなく、世界の情勢、そこに置かれている国の立場も考えに入れて慎重に行動してもらいたいものである。

 付記:アメリカ政府も暗に稲田防衛相を批判しているようである。米国務省報道担当者は29日、「歴史問題は『癒やしと和解』を促す形で取り組むべきだ。我々はその重要性をすべての当事者に強調し続けてきた」と慎重な対応を求めた由である。

今年はどんな年だったか?来年は?

 正月が近づいてくると毎年にように「今年はどんな年だっただろうか」「自分にとって良かっただろうか」という反省とともに、「来年はどうだろう」「良い年になって欲しいものだなあ」という思いがするものである。

 新聞や雑誌などでも、それに応えるように、年末から正月にかけては、今年の思い出や反省、来年の希望や抱負が語られることになる。その嚆矢として今朝の新聞には土曜日のページに、「2016年の自分に合格点をあげる?」という質問に対する読者の答えの統計が載っていた。

 それによると「はい」が56%。「いいえ」が44%でほぼ拮抗していた。特別に急激な変化のなかった一年を振り返ってみると妥当な結果のような気がした。すぐ下に参考として2015年度の同じ質問に対する答えも乗っていたが、それを見ると、今年「はい」と答えた人の79%は昨年も「はい」と答えており、今年「いいえ」とした人のやはり79%は昨年も「いいえ」と答えている。

 これをみると、本当の今年の運命の成り行きも良かったり悪かったり、人によって色々であったのであろうが、、過去を肯定的に捉えがちな人と否定的に傾きやすい人など、人による捉え方の違いも反映されているようである。結局のところ、新聞が見出しに使っているように、あまり代わり映えのしなかった「平凡な一年」の評価になったのであろう。

 ただ興味深かったのは添えられていた「来年2017年が今年より良くなると思うかどうか」の統計の方であった。日本について「かなり良くなる」「比較的よくなる」を合わせても13%にすぎず、「あまり変わらない」が43%で、むしろ「悪くなる」ことを恐れる人が44%と半数近くなっているのが今の世相を反映しているように感じられた。

 世界についての見通しもあったが、こちらはもっと悪く、「悪くなる」のを危惧する答えが半数以上の57%にもなるのは、イギリスのEU離脱や、アメリカ大統領選挙、いつまでも治らない中東の戦乱や、相次ぐテロの報道などを見れば、当然の結果とも言えるかもしれない、

 あまり明るい来年を期待できそうにはないが、ただ、添えられていた「2017年が個人的に今年より良くなる?」の返事で、「今年より良くなる」とした人が64%と3分の2近くあったことは、「なんとか来年は今年よりもちょっとでもよくなってくれたら」という人々の切ない望みを表しているものであろう。

 

 

年末の箕面

 毎月一回は箕面の滝まで歩くようになってからもう10年ぐらいになる。いつもは大抵月の初めに朝早く行くのだが、この12月は何やかやで遅くなってしまい、年の瀬も迫った29日に、それも10時ごろにやっと出かけることができた。

 もう文字通りの年末で誰しも忙しい頃だろうから空いているだろうと思って登り始めた。いつもと違い、10時ごろで遅い朝日がようやく谷にも届く時分であったが、思ったよりも滝道を歩く人が多いのに驚かされた。

 12月の29日といえば本当の年末である。昔なら一家総出の大掃除や正月の準備など何処の家でも一年で一番で忙しい時であったが、時代もすっかり変わってしまった。今では大掃除もなくなり、正月の準備も簡素になり、仕事や学校も休みとなると、年末の片付けといっても、家ですることは昔ほどにはない。

 故郷へ帰る人も多いが、今や次第に帰るべき故郷を持たない人も多くなっている。私が子供の時に既に帰るべき故郷というものがなく、友達たちが田舎へ帰るというのが羨ましくて仕方がなかったものなので、一世代も二世代も違う今の若い人たちには故郷のない人もはるかに多くなっているはずである。

 滅多にない纏まった休みの取れる正月を利用してヨーロッパなどへ旅行するのも良いが、あちこちでのテロ騒ぎで、物騒な感じがするので海外旅行もひと頃のような活気はないようである。せいぜいアジアの近隣国へ行くぐらいのことになりやすい。景気も良くなく、老人が増え、人口が減ってきていることも正月の人々全体の動きに関係していることであろう。

 そうなると年末は久しぶりで自宅でゆっくり休養をとったりするぐらいで時間を持て余す人も出てくるのではなかろうか。せいぜい子供達でも連れて近くの散歩にでも出かけようかということで、箕面の滝あたりが最適の場所として選ばれるのであろうか。事実いつもより家族連れに出会うことが多かった。

 今年はもう終わるが、来年はどんな年になるのであろうか。道で出会った人や滝の前で休んでいた人たち、ジョッギングで追い抜いていった人たち、どの人たちにとってもちょっとは良い年になって欲しいものだと思いながら今年の箕面の滝への月参りを終えた。

 

安倍首相は南京へも行くべきだ

 安倍首相は真珠湾を訪問し、オバマ大統領とともにアリゾナ記念館で犠牲者の霊に花束を捧げ哀悼の辞を述べ、戦後の時代に区切りを付けようとしているようである。

 日米が仲良くするためには悪いことではないが、沖縄の基地移転問題などでは国民である沖縄の人たちの長年の願望には全く耳を貸さずにアメリカに忠実な首相のハワイ訪問は、まるで植民地の首領が宗主国のご機嫌を取り忠誠を誓いに行った感を拭えない。

 戦後の時代にけじめをつけたいのであれば、ハワイよりも先に中国に行くべきではなかろうか。日米戦争が始まるより遥か以前からの中国への侵略があり、それが行き詰まった末が日米戦争となったのであり、戦争でアメリカとは比べものにならない多くの人たちの犠牲を強いたのは中国においてであるのが歴史的事実である。

 15年も続いた戦争の10年以上は中国を中心とするアジア大陸での戦いであり、太平洋での戦争が加わったのはその最後の4年にも満たない期間であったことを見ても、日中戦争の重大性が分かる。

 しかも中国は隣国である。あの戦争や戦後の時代にけじめをつけて、真の平和な環境を作るためには中国や植民地支配を続けてきた朝鮮半島の政府や人々との仲直りが必須である。アメリカからの真の独立を勝ち取ることと、中国や朝鮮半島との戦後のけじめを確実に成し遂げなければ今後のこの国の発展も望めないのではなかろうか。

 そのためには、ハワイへ行くなら中国へも行って無数の犠牲者の霊を弔い、侵略行為を謝罪し、真の友好関係を確立すべきではなかろうか。アメリカの映画監督のオリバー・ストーンや大学教授たちも安倍首相に上記のような趣旨の手紙を送ったそうであるが、誰から見ても、まるで日本とアメリカが戦っただけで、中国との長い戦争がまるでなかったかのような政府の見方は手前勝手な解釈に過ぎず、このまま時代を乗り越えようとしても世界はそれを許さないであろう。

  この国はもはや超高齢化、人口減少の時代に入り、不況はすでに20年にもおよび、一人当たりのGDPも3位から27位に転落している。他方、中国は今では経済的にも日本を遥かに凌駕し、韓国をはじめアジアの国々の発展も著しく、アジアの環境は戦前とはすっかり変わってしまっている。そうした中でこの国が今後生きて行くためにはアジアでも戦後のけじめをはっきりつけて、アジアの国々との友好関係を強固なものにして行くことが不可欠であろう。近隣諸国、中でも中国を無視して今後のこの国の繁栄はありえない。

 そのためにも安倍首相はハワイの次には、是非世界の賢人たちの意見も聞いて、南京へ行って欲しいものである。

人間天皇

 天皇が高齢のため退位の希望を表明されてから政府はどう対応すべきか委員会を作って検討してきているが、いろいろな意見を踏まえながらも結局、現天皇一代に限る立法によって処理しようということになるらしい。

 天皇の意向を多くの国民が支持しているので無視する訳にもいかず、そうかと言って根本的な解決も憲法皇室典範が絡んでくるので容易ではない。委員たちの意見も分かれるので、今回はどうもひとまず一時しのぎの法律で済まそうということのようである。しかし、この問題は現在の象徴天皇制を続ける以上、いつかは解決しなければならなくなることは明らかである。

 先日来、この問題で政府に集められた委員の意見を新聞で見ていると、象徴天皇制をいかに維持していくかという議論ばかりで、現実の人間天皇に対する配慮が全くと言って出てこない。

 もちろん憲法皇室典範を踏まえた天皇制をどうするかの議論は大事で、そのために委員も集められたものであるが、昭和天皇が戦後に人間宣言を行って以来、天皇も普通の人と同じ人間なのである。人間天皇を前提とした天皇制を考えなければ将来にわたって象徴天皇制を維持していくのは困難ではなかろうか。

 右翼の論客ほど天皇の退位を認めたがらないようであるが、彼らにとっては人間としての天皇よりも、自分たちが利用できる天皇制に関心が深いように見受けられる。

 天皇が人間であるからこそ、高齢になれば人並みに体力も衰え、公務をこなすのも次第に困難になるのである。天皇の人権も尊重すべきであり、ならば天皇の自己決定権も当然認めるべきであろう。

 この件に関してはすでに、戦後間も無く、新憲法に伴う皇室典範の改正を審議されていた当時、昭和天皇の弟の三笠宮からの意見書が当時の枢密院に出され、問題が提起されていたようである。それによると、「皇位継承」の章では「『死』以外に譲位の道を開かないことは「新憲法の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』とする精神に反しないか?」と疑問を投げかけられた由である。いかに国民の象徴といえ、人間である以上当然それには人間としての人権が伴うものである。

 その人間としての天皇が退位を望んでられるのであり、人間天皇を認める限り、同様なことは当然将来も起こることであり、人間としてのその他の問題も予想できることである。この機会を契機として、国民と同じ人間としての天皇をいかに象徴として維持していくのかを根本的に考えるべきではなかろうか。

 象徴天皇と人間天皇との折り合いをどう撮っていくかが象徴天皇制を維持していく要となるであろう。

アメリカ軍には何も言えない政府

 沖縄でアメリカ軍のオスプレイが墜落し、その救援に行ったオスプレイまでが基地に帰えった時に胴体着陸する事故があり、沖縄県民の不安を高め知事の申し入れや、そのいかんによらず、アメリカ軍自体の原因究明などのためもあり、事故以来しばらくオスプレイの飛行を見合わせていたが、アメリカ軍はわずか9日後には飛行を再開することになった。

 当然事前に日本政府にも連絡があってのことであるが、日本政府は直ちにアメリカ軍の主張を全面的に受け入れ、再開に同調して、稲田防衛大臣も「アメリカ軍のいうことには理があるとして」何も反対しなかったようである。

 沖縄の人たちがオスプレイの配置前からこぞって反対し、毎日のように騒音に悩まされ、しかもいつ落ちるかわからない恐怖に怯えながら我慢を強いられてきた挙句が現実も事故となったのである。沖縄の人たちがこぞってこれ以上我慢ならないというところまで来ているこのは当然のことであろう。

 そういう事態で知事が先頭に立って飛行停止を要望し、沖縄の自民党の議員までが反対しているのに、それに全く耳を貸さず、アメリカ軍の言いなりに文句も言わずに思い通りの再開を許してしまっている政府の態度は、翁名知事でなくても「法治国家ではない」と言いたくなる。

 日米安保条約でアメリカ軍の行動にはいささかでも日本政府は意義を挟むことができないのである。それは理解できても、国民の安全を考えるなら、その中でも少しは交渉の余地はあるはずである。アメリカに媚をうる政府はそれすらやろうとはしないのである。あまりにも情けないではないか。

 今やこの国はもはや従属国家というより、文字どおりの植民地であり、政府は国民のためではなく、宗主國のための傀儡政府だとも言えるのではなかろうか。沖縄だけの問題ではない。これを正すには真の独立よりないことを示しているものであろう。日米安保の改正を目指して声を上げなくてはならないのではなかろうか。