沖縄の人の苦しみ

 自分の畑にヘリコプターが落ちて火災を起こしても、本人はおろか警察に行っても、警察も燃えたヘリコプターを調べたり、指一本触れることもできない。

 沖縄でまた米軍のヘリコプターが私有地に墜落、炎上した。まだオスプレイが墜落大破した事件から一年も経っていないのである。今回は住民にも乗組員にも怪我がなかったが、過去には今度と同じ大型ヘリコプターが沖縄国際大学に墜落する大事故もあった。

 米軍の飛行には何の制限もないので、沖縄の人たちは四六時中騒音に悩ませられている上に、頻繁に起こるこうした事故に恐怖を感じさせられるが、それに対して警察も政府も何もしてくれない。県や政府が同型機の飛行停止を求めても、米軍の処理が済んだら住民の要望など無視されて、飛行はまたすぐに再開される。今回も小野寺防衛大臣が飛行停止を求めても、米軍は96時間停止すると言うだけである。こうしたことが永年の常態となっているのである。

 日米安保条約がすべての日本の法律より優先するので、住民は泣き寝入りするより仕方がないような仕組みになってしまっている。しかも、こんなことがもう七十年以上も続き、さらに将来もいつまで続くか際限もない。主権がないというのはこういうことだと、何か事件が起こるたびに思い出させられる。直接危険に晒される沖縄の住民にとってはたまったものではない。

 沖縄へ行って少し高いところから周囲を見渡してみるとよくわかる。緑豊かに見える良さそうな場所は皆アメリカの基地やその関連施設であり、その間にぎっしりと詰まった市街地が沖縄で暮らす人たちの住んでいる所なのである。いかにアメリカ軍がゆったりと使い、沖縄人が狭いところに押し込まれるように暮らしているか、その格差の大きいのに驚かされる。

 これが東京や大阪だったらどうだろう。日米安保条約も基地の問題も法的には何も変わりがない。羽田を飛び立った飛行機は急上昇してアメリカ軍の管理空域を避けねばならないし、アメリカ人はパスポートもビザもなしに横田基地から日本国内に入ることも出来るのである。遠く離れた島に基地を集中するなどによって、皆の目をごまかしているに過ぎないことに気付こう。そうすれば沖縄の人々の苦しみもわかろうというものであろう。

 ここでは事故のあった沖縄のことだけを取り上げたが、見えにくくされているだけで、同じような不条理なことは日米安保条約が存在し、それが続く限り、日本中どこででも起こっていることなのである。日本の憲法より優先する日米安保条約を廃止しない限り、日本が完全に独立し、日本人が日本のことを決める日は来ないことを知るべきである。

 自分たちの事を自分たちで処理できないこんな不条理なことがいつまでも続いて良いわけはない。政府の隠蔽やごまかしに騙されないで、皆で理解して改善の声を大きくしていかねばならないであろう。

 復古主義憲法を変えたい人がよく「平和ボケ」などというが、「平和ボケ」より「植民地ボケ」の方がずっと怖いのではなかろうか