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和式トイレ

 最近はどこへ行っても公衆便所が整備され清潔になり、殆どが洋式で、昔と比べると本当に利用しやすくなった。

 こんな山の中のお寺でもという所でも、もう昔のような溝や穴だけあって臭気が漂い蝿が飛び交うような便所は殆ど見かけなくなり、場所に不似合いな感じさえ受ける洋式の水洗便所でウオシュレットまで付いている所さえある。

 駅のトイレでも都会なら殆どが洋式となり、和式のトイレはどんどん少なくなっているようである。一頃は他人の座った便器に座るのは嫌だからやっぱり和式の方が良いというお年寄りもいたが、世代が変わればもう小さいときから和式便所を利用したことがない人が増えてきたのではなかろうか、何といっても洋式の方がずっと楽である。

  昔訪ねてきたアメリカ人が日本のトイレはEducationalでないと言っていたが、確かに洋式トイレだとゆっくり本でも新聞でも読めるが、和式トイレだとそのうちの足がしびれてくるので長クマ留まるわけにはいかない。私なども洋式トイレを使うようになったおかげで、トイレでどれくらいの量の本を読むことが出来たであろうか計り知れない。我が家のトイレには書棚まで備わっているのである。

 和式と洋式で使用する体の負担にこれだけ差があれば和式から洋式への転換は最早止めようがないであろう。

  ただ蹲踞の姿勢を長く保つ和式トイレは知らず知らずのうちに足腰を鍛えることには役立っていたのかも知れない。私は以前から密かに日本人の力士が弱くなったのには和式トイレを使わなくなった日本の生活習慣の変化が関係しているのではないかと思っている。

 一頃は地方都市などで多かったようだが、駅前の広場などで地元の不良学生が何人も揃ってうずくまり、いわゆる「便所座り」(ヤンキー座りとも言われていた)をして、屯している光景を目にしたものだが、最近はとんと見かけなくなってしまった。その頃は「近頃の学生は長時間立ってられなくなったのであんな格好をして屯しているのだ」と言われたものだが、近頃はもう西洋流に地面に尻を下ろして座ってしまっているのであろうか。

 「便所座り」はただ「しゃがむ」姿勢といっても良いであろうが、まだ日本の「上と下」を区別した生活の伝統の名残で「立っているのはしんどいが地面に直接座るのは汚い」という感覚から起こったものであろう。「しゃがむ」ことが普通であれば和式トイレが広く使われたことも当然の成り行きであったのであろう。

 最近はそんな光景も見なくなった。地方の疲弊が進み若者が減ったことも関係しているのかもしれないが、津々浦々にまで洋式トイレが広がった現在ではもう「便所座り」をして時間を潰すことなど若者にも出来なくなってしまったのかも知れない。

 先日旅行して田舎の駅で乗り換えに随分時間があったので、その間にと思って駅のトイレに行った。所がそこには和式トイレしかない。「まあ仕方がないや」と思ってズボンを下げ屈んだのは良いが、脚が痛くて十秒ぐらいも我慢ができない、仕方がないので立ち上がろうとしたが立ち上げれない。水洗の管をもち周りの壁で支えてようやく立ち上がることが出来たもののもはや生きた心地もしなかった。

 昔は毎日のように平気で利用していたのに、使わないと筋肉が弱るのか筋肉の使い方を忘れるのか、昔の日常動作がこんなに難渋しなければ出来ないものかと改めて驚かされた。

 あまり衝撃が強かったので、その次の日から朝テレビの体操をする時に少しづつ練習してみることにした。それまでも体操の時に相撲の四股を踏む真似のようなことをして蹲踞することは出来ていたいたのだが、かがとを挙げてその上に尻を下ろす蹲踞としゃがむ「便所座り」とはまた違うようで、「便所座り」は足をもう少し拡げてかがとをつけ膝をもう少しきつく曲げて尻を下ろすことになり足腰の負担がより強くなるのであろうか。

 最初の日は駅のトイレの時と同じく十秒も我慢できず立ち上がるのもやっとであったが、毎日繰り返して「便所座り」の格好で五秒、十秒と少しづつ時間を延ばして我慢するのを繰り返してしていると、十日ばかりで少しは苦痛なくしゃがんで「便所座り」の姿勢を続けることが出来るようになったきた。

 まだまだ長時間続けることは無理であるが、これならそのうちに和式トイレも利用出来るようになるのではないかという自信がついてきた。習慣というものは恐ろしいものである。使わなければ使わないだけ必要な筋肉の動きが衰え、筋肉が萎縮していくものであることを教えられたようなものである。年寄りのサルコペニアもこれと同列のことであろう。

 それだからといって今後和式トイレを取り入れようなどとは思わない。やはり清潔で楽なウオッシュレット付きのトイレで本を読みながら用をたす楽しみを捨てるようなことは出来ない。足腰は鍛えるとしても、トイレはこのまま愛用し続けることであろう。