原爆記念碑の碑文の意味

 8月6日は広島の原爆投下記念日である。多くの犠牲者の霊に応えるべく、広島原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)が建てられ、その碑文には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。

 この碑文の趣旨は、広島市の公式解釈によると「碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」とされている。

 しかし、この碑文の意味については、この「『過ち』は誰が犯したものであるか」について、建立以前から議論があり、被害者である日本が「過ち」を犯したかのような文言となっており、改めるべきではないかという意見も多く、「あくまで原爆を投下したのは米国であるから、『過ちは繰返させませんから』とすべきだ」とする意見もあり、碑にトルーマンの写真が貼られたようなこともあった。

 また、講演に訪れた極東国際軍事裁判で判事だったインドの法学者ラダ・ビノード・パールは「広島、長崎に原爆が投ぜられた時、どのような言い訳がされたか、何のために投ぜられなければならなかったか。」と、原爆投下を正当化する主張を強く批判したが、慰霊碑を訪れた際、碑文の内容を聞き、「原爆を落としたのは日本人ではない。日本人が日本人に謝罪している」と非難した。

 これに対し碑文の作成者である、自身も被爆者である雑賀広島大教授は

広島市民であると共に世界市民である我々が、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」と抗議した由である。

 広島市の見解は「わずか一発の原子爆弾が引き起こした、この悲惨な出来事を体験した広島市並びに広島市民は「核兵器は人類滅亡を引き起こす"絶対悪"である」という人類にとって最も重要な真実を直観し、「二度とヒロシマを繰り返してはならない」と決意しました。そして、原爆犠牲者の冥福を祈るとともに、戦争や核兵器の使用という過ちを繰り返さず、人類の明るい未来を切り拓いていくことを誓う言葉として、刻まれたものであるという。

  つまり、碑文の中の「過ち」とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指しているのだという。

 碑文の意味はそれで良いとして、ただ、私がいつも思うのは、原子爆弾は平和な世界に突然落とされたものではないということである。その背景にあった長期にわたる残虐な戦争の最後の場面で起こった悲劇であることを忘れてはならない。

 原爆について、日本では被害ばかりが強調され、日本の戦争加害について、忘れられ勝ちである。この戦争はアメリカとの戦争だけではなく、そもそも、日本の大陸侵略から始まったものであり、その戦の手段として最後に落とされたものである。

 原子爆弾は日本やドイツでも開発が研究されていたものであり、アメリカが先行したに過ぎないのである。まかり間違えれば、日本が使用した可能性も捨てきれない。

 そうでなくとも、日本のアジア大陸での残虐で非人道的な侵略に続く、アメリカとの戦争で使われたもので、日本の中国大陸における幾多の加害をも忘れたはならない。被害は忘れ難くとも、加害は忘れれ易い。原爆被害が忘れ難いのと同様に、中国人にとって、例えば、南京大虐殺が忘れがたいことをも理解すべきである。