映画「判決、二つの希望」

 表題の映画を見た。コロナの流行で途切れていた国立民族学博物館の「みんぱくワールドシネマ」の久しぶりの復活であった。

 1990年の内戦終結後も、根深い遺恨がくすぶり続けるレバノンの首都ベイルートを舞台に、キリスト教徒のレバノン人とイスラーム教徒のパレスチナ人との個人的な諍いが、やがて国家全土も巻込む大論争へと膨らむ顛末を描いた人間ドラマである。

 難民キャンプに住み、不法労働ながら建設業の現場監督をしているパレスチナ人が、現場でトラブルになったレバノン人の自動車修理工場に謝罪に赴くが、パレスチナ人への憎悪むき出しの侮蔑の言葉に耐えかね、殴り倒して重傷を負わせてしまう。

 その結果裁判になるのだが、原告、被告双方の思惑や複雑な要素が入り混じる厄介な裁判となり、それに伴って、当事者二人の悲痛な記憶までが次第にあぶり出されていくこととなる。

 レバノンは宗教的にもマロン派カトリックフェニキア人の子孫としての誇りを持った人たちや、パレスチナから逃れて流民として暮らす人の他にも、シーア派スンニ派イスラムの人たちが混在し、そこにフランスによるシリアとレバノンの分離の歴史も絡み、日本では考えられないような複雑な世界である。

 政治体制でも、大統領はマロン派、国防相はドルーズ、国会議長はシーア派などから選ぶことになっていると言う宗派主義が採られている。社会的にも、歴史的に父権が尊重され、一族の有力者が全てを取り仕切ってきたという社会で、そこにPLOによる虐殺なども絡む複雑な歴史的背景も存在しているのである。

 裁判でも、両者の弁護士が親と娘で、父親の方は昔の歴史までほじくり出して何としてでも勝とうとするのに対し、娘の方はパレスチナ難民の窮状を救おうという立場で、傍聴席も色々な立場の人がおり騒ぎが続く。

 しかし、裁判が進むうちに、当事者同士は色々なことがわかり、個人的には次第に相手を理解するようになる。裁判の方も紆余曲折の末、結論として傷を負わせたことは許せないが、その原因となった侮蔑の言葉も絶対に言ってはならない暴力の値する言葉であり、両者を考えて無罪となったというストーリーになっている。

 日本では考えられないような複雑な社会であるが、それでも人々は本質的には理解し合うことが可能であり、ともに一緒にやっていけることを示しており、非常に印象深い秀作であった。 (2020年9月18日)