新元号「令和」

 昨日は新元号の発表で大騒ぎ、今朝の新聞の一面には特別大きな字で「令和」と書かれており、紙面も新元号のことで埋め尽くされて、選挙のことも、ブレグジットのことも、その他の政治や経済のことも、何処かへ行ってしまった感じである。

 「一回伝えればわかるよ。元号変わって世の中変わるんだったら誰も苦労しない」というSNSの書き込みもあった。「メディアがこんなに乗せられるのなら、戦争だという時にも乗せれれるのでは」と心配する声もあった。

 日本国は昔の大日本帝国と違って、天皇国家元首の国ではない。天皇に関わる伝統を残すことに反対はないが、日常生活で行政が年号を強制するのには反対である。

 国民主権の時代であり、実生活の上では世界的に使われている西暦に統一するのが便利であり、年号の使用は煩雑で、間違いの元にもなりかねない。外務省ですら、文書での年号使用を止め、西暦一本にするようである。

 私はこれまでも年号は必須の時以外は使わず、許される時にはいつも西暦で通してきたし、今後も年号を進んで使う気はないので、どのような年号になろうと構わないが、どんな年号になるか野次馬的には興味があった。

 日本会議など右翼の希望で、隆盛する中国に反発して、今回は中国の古典からではなく、国書から取りたいということが言われていたし、安倍の安の字が入るという説が囁かれたりしていたからである。

 日本書紀ぐらいが原本になるのではないかと思われたが、決まったのは万葉集からのものであった。万葉集は万葉仮名で書かれているので、そこからは無理だという気がしていたが、その中の序の漢文から拾ったものとなった。(流石に安の字は採用されなかった。)

「于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。(時に、初春の令月にして、気淑よく風和(やはら)ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。」

 これで日本の古典からとった画期的なものだなどとも書かれているが、実は万葉集の時代には中国の古典を踏まえて書かれているものが多く、この万葉集巻5、梅花の歌32首の序自体は、王羲之蘭亭序および文選巻十五記載の張衡 (科学者)による「帰田賦」の句(於是仲春令月[15]時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮)を踏まえていることが新日本古典文学大系萬葉集(一)』(岩波書店)の補注において指摘されているのだそうである。

 これまでの年号が全て中国の古典に由来しているのだから、皇室の伝統を守るためには、何も無理をして日本の古典に拘ることはない。日中韓など東アジア文化圏で共有されてきた年号文化の伝統を守った方が良いのではなかろうか。

 折角の「令和」という穏やかな感じの元号が選ばれたのであるから、その字の通りに平和で穏やかな時代になって欲しいものである。「令」には命令の意味もあるが、上から目線の「命令には和しておとなしく従え」などということにならないことを願って止まない。

 台湾では令和の中国語発音が零核と似ているので原発ゼロを意味することになるとかとも載っていた。また、菅官房長官が示した「令和」の「令」の字の書き方が、最終画が左にはねているのが気になった。