老人の寿命と電気機器の寿命

 テレビやエアコン、冷蔵庫などの耐久家電といわれる電気機器しても、いずれも耐久消費財であり、何年かすればいずれは寿命がきて買い換えなければならない。現在使っているものも、いずれもいつかは買い換えており、現在使っているものは皆それぞれの何台目かのものである。毎日お世話になっている大事なマックのパソコンももう初めから数えて5台目になる。

 しかし、寿命がそこそこに長い機器類は、長年身近で当たり前のように毎日使っていても、故障することもなく、ずっと一緒にに暮らして来ているようなものなので、平素はついいつまでもそのままあるような思いで使っている。そうすると、最近のように使い手のこちらが歳をとって来ると、ふと何かの拍子に、これらの耐久家電とこちらの寿命とどちらが先にお陀仏するのだろうかと思ったりすることがある。

 最初はLED電球が出た時のことであった。それまで電球というものは時々切れて新しいものに買い直すのが普通であったのが、LEDなら10年保つと言われ、それならこちらの寿命の方が先に切れて、自分が死んで誰もいなくなった家にLED電球だけがなお煌々と点いている図が頭に浮かんだものであった。

 LED電球がそうなら、他の耐久家電のエアコンや冷蔵庫にしても、いつもトラブルもなく機嫌良さそうな顔をして動いてくれていると、何となくもうこのままこちらが死ぬまで変わりがないような気さえしていたが、こちらが長生きしたためかもしれないが、機器の寿命が切れる方が先のことが多かった。

 我が家では、最近これらの電気器具類が立て続けに動かなくなって、買い換えなければならなくなった。まず最初はこの夏に冷蔵庫が作動しなくなって買い換えたのを皮切りに、次いで電子レンジが壊れ、次いでオーブントースターも具合が悪くなって新調しなければならなくなった。さらには師走になって追い討ちをかけるように、今度はインターネットが繋がらなくなり、ルーターを入れ替え、ノートパソコンまで更新しなければならなかった。

  ところがそこでまたふと思いだした。もうこれだけ入れ替えたら、あとはこちらの命のある限りこのまま行ってくれるのではなかろうかと。百歳まで生きるとしてももう10年に過ぎない。新しい機器はそのぐらいはゆうに保ってくれるのではなかろうか。そうだとすると LED電球と同じで、こちらの命がなくなる方が先で、こちらが死んだ後もこれらの器具は健全にまだそのまま動き続けるのではなかろうか。

 残った機器の運命を心配してやらねばならないのではなかろうか?死人の手を離れたエアコンや冷蔵庫などは器だけなので、使われなければ、朽ち果てる運命を待つだけとなろうが、パソコンでは少しばかり事情が違う。

 主人のいなくなった後まで、多くの情報を抱え込んだままである。私の書いた多くの文章や写真などをぎっしり詰め込んだまま、だんだん古くなっていくのを待つことになるのであろうか。それともはハードディスクごと潰されて、全ての情報も一瞬のうちに無に帰するのであろうか。女房もやがていなくなるであろうし、跡を継ぐ者が誰もいない我が家では、最早全て成り行きに任せるしかないであろう。ここは割り切って考えておくべきであろうと思っている。