「もう一度日本」

 テレビをつけると毎日のように「もう一度日本」と言い、そう書いたテロップが流れる。「もう一度」というからには暗に昔のある時点をさして、そこへ戻りたいということなのだろうが、いつの時代に戻りたいのかについては何も言わない。

 最近やはりテレビでよく聞かれる「美しい日本」というキャッチフレーズや、それと一緒に流れる戦前の日本の自然の風景やお祭りなどの画像や説明と合わせて考えると、どうも「もう一度日本」の以前の日本とは戦前の日本を指しているように思われる。

 戦前の日本を知らない人たちにとっては、歴史に中のファンタジーとして憧れのようなものを感じるのかも知れないが、私は戦前の日本と聞いただけで頭からまっぴら御免だと叫びたくなる。もう一度あの暗い上から押さえつけられたような時代など二度と来てほしくない。戦後にあの時代を否定した上で、ようやくその後から今に至る自分の精神生活の基礎が出来ているのである。それを今更決して元へ戻したくない。

 過去に対してはとかくノスタルジアを感じたくなるものであるが、現実の戦前の日本は殆どの人にとって決して「もう一度」などと懐かしがられるようなものではなかった。当時を知らない若い人たちにとってはその実態を知ることは難しいかもしれないが、戦前の日本の実情を少しは学んで欲しい。

 戦前の日本は民主主義とは程遠く、全てが神がかりな国で、生活はまだまだ野蛮で貧

しかった。現人神(あらひとがみ)の天皇がいつも強調され、どこの家にも天皇、皇后の写真があり、学校には奉安殿があり教育勅語が収められており、忠君愛国が何にも勝り、学校が焼けても教育勅語は持ち出さねばならないことになっていた。奉安殿の隣には二宮金次郎の銅像が建っていた。先生は愛の鞭と言って生徒を殴るのが普通であったし、親も先生に我が子を殴ってくれと頼んだものであった。

 教育も大学進学率はまだ低く、貧しい田舎の小学生がつつっぽの着物を着て裸足で通学している姿も見られたし、大阪の近くでも一度も汽車に乗ったことのない友達もいた。それでも国粋主義の教育は盛んで、祭日には学校へ行って国旗掲揚君が代斉唱、宮城遥拝などの後、頭を下げて教育勅語を聞かねばならなかったし、訳も分からず教育勅語神武天皇から124代の天皇の名前を暗記させられた。

 身分制度もあり、天皇を初めとする皇室が頂点で、華族や軍人、財閥などが威張り、門閥、閨閥が幅を利かせ、会社でも社員、工員の区別が明確で、田舎では庄屋や地主と小作の身分が違い、村社会の掟に従わない者には村八分という罰まであった。朝鮮人や部落の人たちに対する差別も強かった。忠君愛国と言われ、親孝行よりも天皇に忠義を尽くすことが先だと教えられ、天皇陛下と言われたら直立不動で聞かなければ殴られた。

 軍国主義が盛んで、「君が代」や「海行かば」を始め軍歌がやたら歌われ、国民の管理も厳しく、兄に頼まれて兄の友人に本を届けただけで「特高」に尋問された人もいた。中学校には配属将校がいて教練という軍事訓練もあり、生徒が映画に行くだけで「教護連盟」に指導されるようなこともあった。

 また当時はこの国の衛生状態も悪かったので、子供の栄養状態も良くなく、いつも鼻汁をすする子も多く、腺病質と言われた子供たちは肝油を呑まされ、回虫や十二指腸虫に侵されている子も多かったので検便もよく行われた。今では栄養問題といえば肥満をいかに痩せさせるかなどが問題であるが、当時は栄養学といえばビタミンを始め、栄養不足をいかに補うかが主なテーマであった。

 伝染病もよく流行り、昨日まで一緒に遊んでいた友達があくる日には疫痢でもう死んでいたことも経験したし、腸チブスや赤痢、その他の感染症が多かったので子供の時には氷やアイスクリームなどは食べさせてもらえなかった。抗生物質などがなかったので感染症の主な処置は隔離だけであった。

 隔離といえば、結核ハンセン氏病で隔離されっぱなしのような人もいた。お寺や神社のお祭りなどへ行くとどこへ行っても乞食が並んでいたり、物貰いをせびったりしていた。埃まみれ垢まみれの襤褸を纏った人たちだったが、乞食でなくても似た格好の人もよく見られた。凶作の時には娘を女郎に売らねば食っていけない小作人もいたし、戦争に行く若者は男にしてやれと女郎屋に連れて行かれることが多かった。

 その上戦前の日本は絶え間の無いごとくに戦争をしていたので、軍人が横柄で政治まで牛耳っていたが、徴兵制度で人はいくらでも集められるが馬はそうはいかないので兵隊より馬のほうが大事だという話も聞かされた。徴兵を何とか逃れたいために金持ちは伝手を頼って奔走したし、貧しいものは醤油を大量に飲んで貧血に見せたり、こっそり胸に銀紙を張ってレントゲン検査で胸に影のあるように見せたり、耳の聞こえないふりをしたりと色々涙ぐましい努力もしたようである。

 一旦軍隊へ召集されると当時の野蛮な軍隊では古年兵による初年兵いじめが当たり前で意味もなく殴られたり、不当なことをさせられたりもした。さらに戦場に駆り出されたりすると、戦争に慣れさせるためとして意味もなく人殺しさえさせられたようである。

 戦争の体験記などを紐どくとよくわかるであろうが、あまりひどい目に遭った人は口を閉ざしたまま亡くなっておられる方も多いらしい。こうして今ざっと思い出しても戦前の時代は今よりずっと劣っていた時代で、決してもう一度来て欲しいなどと言える時代ではなかったことははっきり言える。

 確かに戦前の日本の田舎の自然の風景やお祭りなど今でも懐かしく感じられるものもあるが、それらはかっては華やかであっても」今では地方の疲弊でお祭りを行う人手もままならず、多くの古い伝統はすでに消え失せ、一部のお祭りなどが観光目当てに残っているに過ぎないことが多い。自然の風景も列島改造以来の広汎な開発で変化し、昔の面影を止める所はほんの一部に限られるようになってしまっている。滅びてしまった風景や催しは今では郷愁の中にしかない。

 どう考えても「もう一度日本」は今更無理である。いくら宣伝して情緒的に「美しい日本」に引きつけて戦前回帰を図ろうとしても過去に戻るのは無理で、それに踊らせられることなく、むしろ正しく現状を認識し、現在から将来に向かっていかに新しい日本を作っていくかを考えるべきであろう。