看護の将来

 朝日新聞の声欄に『「看護」とは何か 議論を深めて』という投書が載っていた。(2015.2.7.)看護の大学院生からのものであったが、法律による看護業務は「療養上の世話」と「診療の補助」とあるが、最近では前者は介護士や看護補助者が担うことが増え、後者については医師独占の医療処置の一部を「特定行為」として看護師にも出来るようになるが、「医師のお手伝い」に時間を割かれて本来の「看護」がますます出来なくなるのを危惧しての発言のようである。

 そもそも医療の始まりは病人の近くにいる人の看護から始まったものである。そこからあらゆる手当をしても反応の悪い病人をも何とかして救いたい一心から、神に祈ったり、知識のある人の意見を聞いたり、特別な技術を持った人に助けてもらうようにしたのであろう。その過程で専門家である医師が生じたようである。

 大切な人を何としてでも助けたい思いから頼った専門家の中には占い師や祈祷師なども当然入っていたし、宗教も大きな役割を果たしてきた。古代日本の悲田院や中世のヨーロッパの修道院などが病人の看護に大きな役割を果たして来た歴史を見てもわかる。医師は必要に応じてそこに招かれることによって治療に貢献したのであった。

 現在の医師を中心とした医療制度は近世になってからのものでまだ歴史は浅い。科学知識の普及や技術の発達により現在のような医師中心の近代の医療体制が築かれてきたが、ここへ来て、高齢化が進み医師主導の技術的アプローチの限界が明らかとなり、人生の終末期における医療のあり方が問われるようになって、再び医療における看護の重要性が認識されるとともに、広範な看護力に支えられなければもはや医療が成り立ち得ないことから、介護士や看護補助者などの助けを借りねば医療がなりたたなくなった。

 また医師の担ってきた技術的な医療の分野でも医師の専門分野の分化のみならず、医療工学士、検査技師、X線技師、理学療法士作業療法士、心理療法士、保健師助産婦、栄養士、療養指導士その他多くの分野の専門家の知識や技能の協力が必須のものとなってきた。

 このように広い範囲の医療の領域の分化が進んでこれら多くの職種の共同でしか医療が成り立たなくなっても、あくまでも医療の中心は個々の病人である。これだけ分化した医療体制の中に放り込まれた病気の知識に乏しい病人にとっては病人の全体の利益を代弁し病人の立ち場に立った医療を受けられるためのまとめ役が必要になる。

 現在では一番医療技術や知識に優れている医師がそれに当てられているが、分化がさらに進むと狭い分野の専門家が必ずしもまとめ役の中心とはなり得ない。総合内科医などが求められるのもそのためである。ただ、医師は病人を暖かく抱いても冷たく判断して技術を施さねばならない運命にある。病人に寄り添った全人的な理解や共感と分化し進歩する学問や技術とのバランスを如何にとるかは必ずしも容易ではない。

 まとめ役として最適任はあくまで病人と接触を密にして病人を理解し、病人の立場に立って病人の利害を代理でき、しかも医学や医療の全般的な知識を持ちながら、広範に分化した医学医療の領域の人たちとうまく情報を共有でき、それらを纏めることの出来る人ということになる。具体的にはそのように特別に訓練された”総合医”か、それよりむしろそのために訓練された"高度の看護師"ということになるのではなかろうか。

 言わば法の世界における弁護士のごとく、医療の世界に詳しく、病人と医療界とを仲介してすべての情報がそこを介して流れ、相談され、決定、実行される、理想を言えば”病人と一心同体”の要となるのがこの”代理人”の任務である。