天満天神繁昌亭

 大阪の天満天神の旧境内に繁昌亭が出来てもう十二年にもなるそうである。桂米朝一門の努力で、現在の桂文枝などが中心になり、落語の常設館を作りたいという念願が叶って出来たものである。

 出来た当時から一度行ってみたいと思いながらも、これまで天神さんへは二〜三度行ったことがあったが、繁昌亭は外から見るだけで、まだ一度も中へは入ったことがなかった。

 そんなところに、先日夕刊で繁昌亭での面白そうな出し物が目についた。三十ぐらいの若い女性の落語家で、比叡山延暦寺で、クリスチャンの曲芸師と異宗教結婚式を挙げ、ハワイへの新婚旅行から帰ってから、本人は出家し、2ヶ月の修行を経て僧侶になったという、異色の落語家の独演会があるいう記事であった。興味をそそられたので、これを機会に繁昌亭を覗いてみることにした。

 繁昌亭は天神さんの限られた敷地に建てられたもので、200席ぐらいの小さい寄席である。広い玄関ホールもないので、開場時には、客は前の道路の両側の歩道で待って、切符の入場番号順に入る様になっており、中は全て自由席になっている。

 ただ小屋の端に、小さな待合室の様なものがあり、そこでも待つことが出来る様になっており、机や椅子が並べられており、自動販売機などもある。狭い所だが、大勢の人が待っていた。

 最近も大阪近辺では落語が結構流行っているようで、池田市には落語ミュージアムなるものもあるし、素人落語日本一を決める大会も毎年開かれている。街中の公民館などでも若手の落語会をやっている所もあるようである。

 繁昌亭へ来ている人たちの顔ぶれを見ても、中年以降の町のおっちゃん、おばちゃんといった普段着の人が多く、落語が結構、庶民の間に定着していることがわかる。ただ休日であるにもかかわらず、若い男女は思いの外に少ない印象を受けた。

 出し物は上記の落語家の「第4回露の団姫(マルコ)独演会」というもので、人気があるのであろうか200の座席は満杯であった。同門の後輩による「開口一番」に始まり、本人の古典落語と仏教落語をメインに、助っ人の桂春団治の落語を加え、それに団姫夫婦による二人羽織があり、結構楽しい一時を過ごすことが出来た。

 このような落語などは、本来の姿のように、こじんまりした芝居小屋の方が舞台と客席の距離を縮め、一体感を強くするので、大きな劇場などで聴くよりも良いものだなとも思わされた。

自衛隊は国民を守ってくれるか?

 自衛隊はあちこちで災害が起こった時など、真っ先に出動して、瓦礫を除いたり、道路を確保したり、直接住民を救助したりして、被害にあった住民たちにとっては頼もしい存在である。当然自衛隊のこのような働きには感謝すべきである。

 しかし、それなら自衛隊はどんな時にでも頼りになるであろうか、平時は良いとして、もし戦争になっても、いつでも必ず、国民を守ってくれるのだろうか。

 軍隊は国家を守るためのものであり、国民を守るためのものではない。民主主義国家では国民が主権者であり、国の主人公であれば、国民を守ることになるのではないかと思われるかも知れないが、どんな組織でも、組織は組織の利害が優先するもので、直接所属する政府の命令に従うものである。国民の利害とは常に一致するものではない。国民の利害に反しても、政府の指示、命令に従わねばならないものである。警察と同じである。

 しかも、自衛隊はその本質や実態は軍隊と同じ国の戦闘部隊であるが、大日本帝国の軍隊と異なるのは、今の日米関係を見るとわかるように、もし大きな戦争になったような時には、自衛隊アメリカの許可がないと勝手に単独では戦えないし、戦う能力もない。

 それでも外国の軍隊が国に攻め込んできた時には、日本の軍隊だから日本の住民は守ってくれだろうと考えるのは当然であろうが、個々の軍人ではなく、軍隊という組織は国家の暴力組織であり、組織として命令に忠実に政府の指揮のもとに、アメリカの意向によって動くものである。自衛隊と国民の利害が一致した時には守ってくれるが、上の記述にもあるように、いつでも利害が一致するわけではない。

 自衛隊の前身とも言える大日本帝国軍隊が国民を守ってくれたか、どうかを見ればよく分かる。沖縄戦では住民が戦闘に巻き込まれ、1/4の住民が亡くなったが、皆がアメリカ兵に殺されたわけではない。日本軍に壕から追い出されたり、自決を強いられた人さえ多かったのである。

 戦後に親を失って孤児になり、街頭に放り出された子供達も、ある統計によると12万人に及んだと言われているが、誰も助けてくれなかった。戦争に負けて、軍隊は解散させられ、国にも助けるだけのゆとりがなかったには違いないが、国からの弔慰金や補償金は旧軍人にはあったが、空襲の被害者や戦災孤児には全くなかったことも知っておくべきであろう。

 これらの事実は敗戦までのことで、今は違うと思われるかも知れない。しかし、自衛隊になってからも、こんなことがあった。まだ冷戦時代で、旧ソ連からの侵略が想定されていた頃、自衛隊と米軍でソ連が北海道へ侵入してきた時を想定した机上作戦が立てられた。

 それによると、ソ連軍が札幌近くまで攻めてきた時には、住民などの避難には時間も手もかかるので、日米軍は一旦札幌は見捨てて、周辺の山岳地帯に退却し、そこで体勢を立て直して戦おうということになったそうである。

 実際に戦となれば、こういう作戦は当然考えられることである。軍隊は住民を助けることよりも戦いに勝つことが目的である。国土や住民を守るためには戦争に勝たねばならない。そのためには大きな犠牲を払わなければならなくなることも当然起こる。個々の住民を守るためではなくて、国を守るために軍隊は存在するものである。

 それを知れば、沖縄戦での住民と軍隊との関係もわかるし、沖縄や石垣島をはじめとする南西諸島への自衛隊の基地建設が住民の危険性をいかに増すであろうかも容易に理解できる。

 敵を攻撃できる基地を造ることは、当然、基地が敵の攻撃目標になることを意味している。小さな島の基地が攻撃されれば、そこに住む住民が安全でないことは沖縄戦の経験が嫌という程教えてくれたことである。

 しかも今後、万一、本当の戦争が起これば、科学技術の進歩から考えて、戦争は質量ともに前回などとは比べ物にならない、大量殺戮になるであろうことは容易に想像出来る。軍備増強すればするほど、国民の被害も大きくなることを覚悟しなければならない。軍備や軍隊は決して国民を守るものではない。

 軍備増強よりも、外交を重視して、近隣国との交流を盛んにして、平和な共栄関係を築く努力をすることが先である。軍隊は決して国民を救ってくれる組織ではないことを知っておくべきであろう。

「肩を並べて兄さんと今日も学校へ行けるのは兵隊さんのおかげです。お国のために、お国のために戦った兵隊さんのおかげです。」子供の時にこんな歌がありました。それが全く嘘だったことは現実の戦争が教えてくれたことでした。

アベノハルカス展望台

 

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 今のところ日本一を誇るアベノハルカスのビルが出来てもう3年ぐらい経つのではなかろうか。昔その近くの天王寺茶臼山に住んでいたので、アベノ界隈は馴染みの深い所である。

 戦争で近鉄百貨店まで焼けて、あたり一面焼け野が原となり、天王寺駅前には闇市が広がっていたのも、今ではもう遠い昔の話となり、その近鉄百貨店が建て替えられてアベノハルカスとなったのである。その西側にはQ'sモールも出来、阿倍野筋の道路も拡幅され、あたりに高層ビルも多くなって、往時とはすっかり変わってしまった。

 天王寺公園には美術館があるので時々行くが、アベノハルカスには、中の美術館で何か催しのあった時に、一度か二度行って、16階の庭園風になっているテラスから外をのぞいたことはあるが、最上階の展望台まではまだ一度も上ったことがなかった。

 ビルが出来た時から一度は天辺まで登って見たいと思っていたが、完成したのが春だったので、初めは混むだろうし、春は霞んでいるので、秋の方が遠くまで見晴らしが良いだろうから、秋になったら行ってみようと思いながら、いつしかそのままになってしまっていた。

 ところが最近たまたま、知人がこのビルの24階にある大阪芸大のサーチライト・キャンパスにような所で展覧会をやることになり、案内状を貰ったので、この機会に屋上の展望台にも行ってみることにした。折角上がるのであれば、昼の展望とともに夜景も見てやろうと日暮れ前の5時頃に行った。

 16階から屋上の展望台への直通エレベーターがある。超高速エレベーターで、ガラス張りの天井を見上げると、遥かな高所に点滅する光があり、動き出すとそれを目指して、まるでテイクオフする飛行機のように瞬く間に60階まで連れて行ってくれる。

 以前に16階へ行った時には、展望台に登る人が入り口に長蛇の列を作っていたが、今回は幸か不幸か、関空なども襲った台風の直後だったので、外国からの観光客の出足が遅れたためか、がら空きで、待ち時間もなく、空いたエレベーターで楽に登ることが出来た。

 屋上も思いの外空いていた。それに展望台といっても屋上のビルの端から端までをぐるりと廻れるようになっていて結構広いし、おまけに一階下がオープンなテラス風になっており、そこへ降りても周囲を見渡せるので、思いの外、ゆっくり時間をかけて楽しむことができた。

 まだ明るいうちに一周して周囲の世界を見下ろし、ベンチに腰掛けて休んでいる内に西側の大阪湾の方に綺麗な夕焼けが広がり、しばらく見とれていた。その時の写真が上に掲げたものである。

 そのうちにとっぷりと日が暮れるとともに、下界の灯りが一斉に灯り、美しい夜景に変わっていった。下界は知り尽くした世界なので、暗い中でもオリエンテーションは十分で、大阪の天井から見る夜景を十分楽しむことが出来た。

 女房に、いつまでたっても「高い所とピカピカ光るのが好きだね」と冷やかされたが、やっぱり一度は行って見る値打ちはある所だと思いながら下界に降りた。

 

 

 

 

 

議会のいじめ

 熊本市議会でのことである。女性議員が演壇にあがって演説しようとした時、風邪を引いていたので咳止め飴を舐めていたのを、議員たちが問題にし、議会の品位を汚す行為だとして懲罰委員会にかけ、議場から追い出したという報道があった。地方議会での出来事とはいえ、今だにそのようなことがあるのかと、呆れ返ったのは私だけであるまい。

 丁度、それを知って誰かが流したのかも知れないが、SNSにはイギリスの党大会で演説していたメイ首相が急に咳き込んだのを見て、近くにいた財務大臣がのど飴を提供し、首相が財務大臣なののタダでくれたと冗談を言って演説を続けた動画を見たところであった。

 その熊本の女性議員は、昨年だったかに長男の赤ん坊を議会に連れて来て非難され、一時議事の進行がストップするという問題を起こした議員であった。ところが、その時の結末は、女性の活躍が期待されている世の趨勢もあって、国内ばかりか、海外からも議会の方が返って批判を浴びる結果になっていた。

 恐らく、それが尾を引いているのであろう。今だに”九州男子”?などと思っている男社会の議員仲間の陰に篭った怨念のようなものが底流にあったのに違いない。そうでなければ、咳止めにのど飴を使っているのを、規則にもないのに「ルールはルールだ」「議会の品位を損なう」などと言ったりして、懲罰まですることはあまりにも子供じみた行為で、議会の態度として考えられない。

 これは今だに昔ながらの”むら社会”の雰囲気が残っていて、それになじまない輩は排除したいという議員たちの起こした”村八分”であり、いじめである。議会の品位と言うのであれば、国会同様、議場で居眠りしている議員もいるだろうし、それより、このような些細なことを取り上げて大騒ぎすることの方が品位を傷つける行為ではなかろうか。

 この国には今だに古い”むら社会”の伝統が牢固として残っているようで、それが時々あちこちで問題を起こしているようである。政治家の世界もそのようだし、最近問題となったスポーツの世界や、貴乃花親方の相撲の世界からの引退などを見ても、同じような遅れた社会を見せつけられる気がする。

 

 

 

漢字の読み方

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 安倍首相が国連の演説で「背後」と原稿にあったのを「セイゴ」と言ったそうで、以前に「云々」を「デンデン」と読んだことと合わせて、多くの人の顰蹙を買っているようである。

 一国の総理大臣が公式の場で、自国の国語を読み間違えるのは何といっても情けないことだが、誰しも漢字を初めから読み間違えて覚えてしまっていることもあるだろうから、あまり人の揚げ足をとるのも良くない。

 SNSでは、これをきっかけに麻生大臣の読み間違えの例を上の表のように並べたものまで出回っている。暇な人もいるものだが、こちらの方が安倍首相よりもっと酷いように見える。そう言えば森首相の ITをイットとした発言も思い出される。

 勿論これらは教養の問題も絡んでいることだが、漢字の読み方は難しいもので、昔から読み間違いが多い言葉もあるし、時代によって変わることもあり、本来は間違った読み方だったのが、皆が間違って読むので、それが正しい読み方になってしまったような例もある。

 喫茶は本来は「キッチャ」だったのだろうが、いつしか「キッサ」が正しくなってしまった例ではなかろうか。中途半端なものも多い。麻生大臣の表にも出てくる順風満帆は「ジュンプウマンパン」が正しくても「ジュンマンポ」と読む人が多いので。辞書にもわざわざ間違った読み方の注意を促している。

 播種などは播種性転移などと医学領域でも使われるが、今では正しく「ハシュ」と読む人より「バンシュ」と読む人の方が多い。完遂とか遂行も「スイ」と読まずに「ツイ」と読む人も結構多い。

 またどちらが正しいとも言えず、両方の読み方が入り混じっていることもある。頭部と書けば誰でも「トウブ」と読むが、頭痛は「ヅツウ」と読む。当然偏頭痛は「ヘンヅツウ」である。ところが頭部外傷というと、「トウブガイショウ」というのが正しいのだろうと思うが、「ヅブガイショウ」という医者も結構いる。

 こんな具合で、決まった読み方があっても、業界言葉などになると外の人にはわかりにくいものも多く、麻生大臣の表にもあるが、前場の取引は知らない人なら「マエバ」と読んでも仕方がないだろうし、後場「ゴバ」はどう読むのかまごつくであろう。同じ市場と書いても、「イチバ」と「シジョウ」の使い分けは関係のない人には分かりづらいことかも知れない。

 また、漢字をある時に違えて覚えてしまった場合には、何かの時にそのまま喋ってしまって恥をかくこともある。昔いた病院の事務長が診療圏について役人に説明するのに「シンリョウエン」と繰り返して困った覚えがある。

 そうかと言って私自身も若い頃に、一石二鳥を「イッコクニチョウ」と覚えていて、女房に笑われたことがあった。最近のように漢字を使うことが昔より減り、しかも自分で読んだり、書いたりする機会が少なくなってくると、益々読み方の間違いなども増えてくるのではなかろうか。地名や姓名に読み難いものがあることはよく知られているが、普通名詞でも日本の漢字の読み方は難しいものである。

憲法改正より先に日米地位協定に改正を!

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 安倍首相は総裁選の時から強く打ち出したように次の国会にでも憲法改正を打ち出したいようで、自衛隊の隊員が胸を張って仕事が出来るように、それをしないのは国会議員としての怠慢とまで言い出している。

 憲法を守ることが義務づけられている政府の長がそんなことを言い出すのも問題であるが、国民が憲法改正をそれほど緊急の課題だと思っていないのも現状であろう。

 それに仮に憲法を改正したところで、自衛隊が不平等な日米同盟に縛られている存在である限り、胸を張って行動出来るであろうか。自衛隊はあくまで基本的には米軍の意向に従ってしか行動出来ないからである。

 沖縄の現状を見ても、米兵の犯罪が繰り返されても日本政府は何ら有効な対策を取れていない。沖縄の選挙では自民党などが支持する候補者の陣営からさえ問題とされていることである。しかも、それは沖縄だけのことではない。基地を沖縄に集中することによってごまかしているが、本土においても法的には何ら変わりがないのである。

 しかも日米安保条約やそれ伴う日米地位協定は日本の憲法より優先するものであり、憲法を変えてもそれによる制約は変わらないものである。

 自衛隊が安倍首相の言うように胸を張って行動出来るためには、自衛隊が自らの意思によって行動出来ることが前提となることは明らかであろう。憲法を変えても事情は変わらない。憲法よりも安保条約が優先するからである。日米地位協定を変えて平等な条約にすることが不可欠であることが分かるであろう。

 諸外国とアメリカの条約を見ても、上表のように日米の条約はドイツやイタリアなどとの条約と比べても明らかに異なるし、フイリピンや、さらにはアメリカが占領していたイラクアフガニスタンアメリカの間の条約と比べても、日本に不利な不平等条約となっているそうである。

 それらを考えれば、何も日米同盟を止めることまで考えなくても、もう少し平等な条約に変更することは出来るであろう。憲法改正よりも国内からの反対もはるかに少ないに違いない。政府は国民の期待に答えて、憲法改正より先に、日米地位協定の改正のために交渉を始めるべきではなかろうか。

 

ベンサン

 この頃の若い人たちはどんな言葉でも簡単に縮めて、それをカタカナでいうものだから老人には中々ついていけない。

 今度は朝日の夕刊に「奈良産ベンサン」という見出しの記事が出ていた。「ベンサン」などと言われても、理解する手がかりもない。しかし「便所サンダル」と言ってくれれば、老人たちにとっては今の若い人などよりよっぽど昔馴染みのものである。

 新聞の記事は「便所サンダル」と言っても、便所で使う履物の一部をさすもので、飲食店のトイレで見かける「便所サンダル」といわれるもので、ポリ塩化ビニールの樹脂を型に流し込んで成形したサンダルのことで、それを製造している奈良の会社が、最近安い外国製に押されて振るわなくなっていたが、飾りなどをつけて可愛い魅力的なものにして売り出したという話であった。

 ところが、このベンサンの歴史は古く、サンダルだけでなく、日本の家庭では古くから使われてきたトイレ用の履物で、日本の文化の一部だと言っても良さそうなものである。

 歴史を辿れば、日本家屋の便所は母屋から離れて外にあったので、便所に行くには必ず履物が必須であった。近代になって、便所が屋内に取り込まれるようになってからも、勿論未だ水洗式ではなく、便所は不潔な場所であるとされていたので、風水上鬼門の位置を避けて造られるなどの配慮もされ、不潔な場所なので便所専用のスリッパなどの履物を履いて使用するのが普通であった。

 そんな歴史から、やがてどこの家でも便所が水洗式となりトイレと言われるようになって、トイレが綺麗になりマットなどが置かれるようになっても、スリッパはまるで未だに必需品のように残ることが多かった。トイレは依然として不潔な場所という観念が抜けないからであろう。

 したがって、普通家の住人がトイレを使う時には利用していなくても、客のある時には礼儀としてお客様用にトイレには、今だにトイレ専用のスリッパを揃えているところが多い。ホテルや旅館でも、部屋用のスリッパとトイレ用のスリッパを分けて備えているところが多い。そのため、つい間違えて、トイレで履き替えたトイレ用のスリッパで部屋へ出てきてしまうようなハプニングも起こる。

 アメリカなどでは、便所専用のスリッパなどを見かけることはない。トイレに対する考え方が違うので、スリッパがないだけでなく、ビジネスホテルのようにトイレはバスタブと同じ部屋にあることが多いし、便器の蓋も必ずしもあるとは限らない。トイレの扉は使わない時には開けておくのが普通である。日本では「臭いものには蓋」の続きで、未だに使用しない時には閉めておくのが普通であるが、アメリカでは扉が閉まっていることは使用中ということの暗黙のサインなのである。

 こう見てくると飲食店などのトイレは殆どがタイル張りかコンクリートの床になっているので、便所の履物はスリッパではなくてサンダルということになる。ここでも面白いのは、靴履きのままの廊下に続くトイレにも「ベンサン」が置いてある所が多いことである。やはり日本では不潔なトイレの伝統は続いているのであろう。

 序でに書いておくと、公衆トイレで一番不潔な所は、多くの人が気にする尻を乗せる便器の蓋ではなくて、個室の扉の取っ手だということである。