拉致問題を政治的に利用するな

 今般トランプ大統領が来日した際、拉致家族の横田さん夫妻らを大統領に面会させた。本人たちが面会されてどのように感じていられるのかはわからないが、それが拉致問題の解決の糸口になるとは到底思えないのに、老父婦まで引っ張り出したことに私は怒りを感じる。

 横田夫妻は政府から言われれば、藁にもすがりたい気持ちだろうから、これまでの経緯を見ても断るわけにいかないだろう。政府はこれを問題の解決に結びつけようとしているわけではなく、拉致問題を広くアピールすることによって北朝鮮の悪行を広く世界に宣伝する絶好の機会だとして捉えているに過ぎないのではなかろうか。

 政府には最早拉致被害者を本気で連れ戻そうという積もりはないのではなかろうか。どう見ても最早遅すぎるのではなかろうか。本気で連れもどす気があったのなら、もっと早い時期に少々の犠牲を払ってでも、もっと手を打つべきであった。現にアメリカの場合、抑留された自国民を連れ戻すためには、元の大統領などが直接北朝鮮まで赴くようなことまでして、何回も成功させている。

 日本も過去にそういうことをすれば、全員でなくても、もっと多くの被害者を連れ戻せたはずである。時が経てば経つほど連れ戻すことが困難になることは自明であるし、今となっては仮に交渉出来たとしても、被害者がどのような状態になっているのかわからないし、生死や高齢化の問題もあろうし、長期間に及ぶ本人の生活や人生の絡む問題も考慮しなければならないであろう。

 どうしてもっと早く犠牲を払ってでも国民を救出しようとしなかったのか、個人の救出よりも大きな政治的な立場が優先したことは返す返すも残念であるし、国民の命に対する政府の冷淡さに腹が立たざるを得ない。

 ましてや、今のように北朝鮮の核やミサイルの開発に対する世界的な制裁が行われている時期には到底拉致問題の解決など当分考えられないであろう。そんな時に拉致問題をわざわざ取り上げて宣伝することは、政治的な効果はあっても、拉致の被害者やその家族にとっては悲惨な思いを倍増させられるだけであって、心の傷をますます強くすることになっても、とても世界が自分たちの事を知ってくれることを喜ぶことにはならないであろう。

 実際に北朝鮮に働きかけて被害者を取り返すために動くのでなければ、政治のために被害者の家族をいじめるようなことはやめて、何も出来ないのならむしろそっとしておいて欲しいと言いたくなる。拉致被害者の奪還にはミサイルや核以上に圧力は効果がないであろう。本気でやるなら話し合いしかないことは明白である。政府にはもう少し個々の国民のことも真剣に考えて欲しいものである。

日本人の体型が変わった

 時代劇などでは色々な時代の人々が出てきて色々と活躍する。誰も実際にはその時代の人を知らないので、誰も不思議に思わないが、人々の体つきは時代によって違っているだろうから、実際には当時の実像とはだいぶ違った人々の印象を見ていることが多いのではなかろうか。

 私の知っているここ100年ぐらいの範囲だけで見ても、日本人の体格は違った人種といっても良いぐらいずいぶん変化している。

 私が子供の頃の、戦前の日本人は平均的に今よりも背が低かったし、殆どの人が痩せていた。栄養失調気味で痩せた人が多かったが、体はよく使っていたので、今より肉が引き締まった感じの人が一般的であった。外で働くことが多かったので顔も浅黒く、今より引き締まった感じで、歳をとれば長年の紫外線暴露などの影響で、皮膚の深い皺やしみが多かったし、鼻は低く、鞍鼻といってもよい人も多かった。

 栄養が悪く、胃腸の伝染病や結核が流行り、ことに戦争末期から戦後にかけては餓死者が出たほどであるから、背も低く痩せているのが普通で、栄養失調で手足が細く腹だけ出ているような子供さえいた。寿命も短く人生五十年と言われていた。

 それが変わり出したのは戦後を経て、高度成長時代などと言われるようになり始めてからである。朝鮮戦争の頃はまだあまり変わっていなかったが、1961年にアメリカへ行った時には、在留邦人に「最近の日本人は昔のように身が引き締まっていない人が多くなった」と言われたことがあるので、その頃から少しづつ日本人の生活が変わり、体型も変わり始めていたのであろう。

 そして、ベトナム戦争の頃になると、テレビのニュースなどで出てくるベトナム人を見る毎に、戦前の日本人と同じだなと思ったものだから、それからすると、その頃には日本人の平均的な姿はすでに大分筋肉の引き締まらないぽっちゃり型に変わって来ていたのだと思われる。

  さらにその後、80年代頃になって、大陸の残留孤児が問題になった頃には、日本では最早長年の農作業の結果の皺の多い日焼けした顔の人は田舎でも少なくなっており、帰ってきた孤児の人たちとは違ってしまっていた。その頃には田舎の若い女性も厳しい農作業から解放されていたので、化粧した可憐な顔ばかりか、もはや節くれ立つた手を見ることもなくなり、すらりとして都会の女性の手と変わりなくなってしまっていた。

 そんなことより、その間に日本人の外観で最も違ってきたのは身長が伸びたことであるが、それについてはすでに書いたのでここでは省略する。しかし、身長とともに男性や中年以降の女性では体重も増え、今や戦前とは逆に、肥満が問題とされる時代となり、車の普及もあって体を動かす量が減り、飽食も加わって腹の出た、しまりのない体型の人が増えた。

  身長や体重とともに、顔つきや手足も生活習慣で変わってくるものである。興味深いのは戦後日本人の鼻が高くなって、鞍鼻の人を見かけなくなってしまったことである。戦前には、それこそのっぺらな棒な顔に、口の上に鼻の穴が二つ開いているだけとでも言えそうな人までいたが、今や殆どの人の鼻筋は高く通り、鷲鼻傾向の人さえ見られるようになっている。どうも身長の伸びなどと同様、戦後の日本人のたんぱく質の摂取量が増えたことと関係があると考えられているが、時代によって顔つきまで変わるようである。

 こんな風に生活環境の変化で、日本人の体型や外観が変わってしまっているので、時代劇などで昔の日本を忠実に現在の俳優で再現しようとしても最早難しい。例えば、戦後の闇市を描こうとしても、飢えた時代にぽっちゃり体型の俳優では様にならないし、明治時代の庶民の姿を表現しようとしても実際より背の高い俳優ばかりでは、その時代の実態とは違った姿にならざるを得ない。

 ただ劇や映画はいづれも創作物であるから、事実との乖離も許されることであり、制作者も観客も実際を知らない劇中のやりとりなので、成り立っているものであろう。あまり気にかける人もいないであろうが、実際には時代が変わればそこに生きる人々も、同じ民族で、同じ場所の住民であっても、実像は常に変化しており、それに伴って時代の文化も変っていったものであろう。 

 

若者の新語

 先にカタカナ略語について書いたが、その時取り上げたのは名詞ばかりだったが、新聞を見ていたら第二回現代人の語彙調査というのが載っていて、それを見てまた驚かされた。高校生から60代の3130人を対象にしたインターネットでの調査で、最近の新語を含む540語について、意味を知っているかどうかを質問したものである。

 それによると、高校生が親の世代より知っている割合の高い言葉として、「りょ」「わずした」「イミフ」「とりま」「ディスる」などの語が並んでいる。我々老人にはさっぱりわからない言葉ばかりである。「イミフ」は意味不明の略ではないかと想像できたが、あとはわからない。「りょ」は了解したの意味だと聞けばそうかと思うが、「とりま」は「とりまとめる」ということかと思ったら、「とりあえず」とか「まあ」ということらしい。「わずした」とか「ディスる」などとなると説明してもらわなければ理解出来ない。

「わずした」というのはわからないはず、英語のwasから来ているそうで、「勉強した」というのが「勉強わず」になるのだそうである。「ディスる」というのはSNSで見たことがあるが、新聞にも説明が載っていないのでなぜかわからないが、「けなす」意味だそうである。グーグルで調べてみるとdisrespectを略したもので「無礼、軽蔑、軽視」や動詞で「無礼なことを言う」とか「無礼なことをする」などの意味で使われるのだそうである。

 そのほか新聞の記事の中には「ワーママ」(働く母)や「なる早」(なるべく早く)なども載っていたが、「グルチャ」と言うのが「グループでのメッセージのやり取り」と書かれていたが、グループの中でのチャットから来ているのであろうか。

 主としてこれらはSNSのやりとりで使われるうちに生まれて来た新語のようであるが、こうなるともう別世界のようなもので老人にはついていけない。今後日本語がどうなっていくのかいささか心配になり、なんとか美しい日本語を伝えていってほしいものだとは思うが、言葉というものは生き物で、使われているうちに変化していくものだからある程度はコントロール出来ても、大きな流れは成り行きに任せなければ仕方がないであろう。

 もう百年も経てば、この国で喋られている言葉はもう我々には全く理解できない言葉になっているかも知れない。

 

人の振り見て我が振り直せ

 昨日は二年ぶりで大学時代のクラスの同窓会に出た。卒業以来六十年近くなるので、皆もう九十近い年齢になっている。近頃は旧友たちも毎年二〜三人ぐらいの割で亡くなっていっているので、実数も減って来ているし、生きていても、どこかの具合が悪くて出席出来ない人や、たまたま都合のつかない人もあり、元々の百名のクラスメートのうち今回の出席者は十四、五名で、うち奥さんの付き添えが必要な者が五名ということであった。

 学生時代には名簿の順で、六名ずつのグループに分かれていたが、私のグループの友人に至っては、もう皆いなくなってしまい、私だけということになっている。歳が行けば仕方のないことだが、年々出席者が減り寂しくなるばかりである。もうこの会も今年で終わりにしようかという声も出る始末である。

 そう言えば、近年、私の関係していた他の同窓会もだんだんなくなってしまっている。小学校のは今年の春で終わったし、中学校と旧制度の高等学校のそれはもう何年か前に消滅してしまっている。その他でも、親しい仲間で毎年桜の時期にしていた集まりも殆どの人が死に、今年から開けなくなってしまった。昔の病院関係者の同窓会も今年で終わりということになった。もうそういう時期に来ているのである。昨日の集まりで来年はとにかくまたしようという結論になったのがせめての救いであろうか。

 昨日クラス会に出席した旧友たちを見ていて、つくづく思ったのは、それぞれ人によって違いはあるが、「あいつも歳をとったな」と思わずにはいられない例が多いことだった。眼鏡をかけているので誰かなと一見わかりづらい人もいたし、耳が遠いので正面を見ないと聞こえづらい人もいた。足腰が悪くて立ち上がるのに時間を要する人や、背中の丸くなった人、杖の要る人、歩くのが遅くなったと言う人、トイレに行くにも奧さんの付き添ってもらわなばならない人さえいた。

 それらに比べれば、私など特段悪いところもなく、まだ元気で普通に暮らしてられることは密かに自慢出来ることで、感謝すべきだと考えなければならないであろう。ただし、自分では以前と大して変わらず、そう思っていても、本当にそうなのだろうか。

 外観では、他の旧友たちとあまり変わりないに違いない。自分のことは毎日鏡に映る顔を見たり、入浴時などに自分の身体を見て、時には老化した肉体を意識することもあるが、日常生活の中では急に変わるわけもなく、いつも同じ見慣れた姿が続くだけなので、自分の変化をさして感じないが、例えば、最近は電車に乗っても席を譲られることが多くなったようなことを見ても、外見では自分の思いよりも老けて見られているのかも知れない。

 この頃では、どこへ行っても接する人が自分より若い人ばかりなので、つい自分もそれらの人たちとあまり変わらないような気になり勝ちであるし、いつも会う女房や親しい友人からはつい変化に気付きにくいが、時にこのクラス会のように月日を開けて会う同年代の友人を見ると、老いの現実を改めて認識させられる。

「人の振り見て我が振り直せ」という諺があるが、自分ではまだまだ元気な積もりでも、クラス会のような機会に同世代の人の振りを見て我が振りを考えて見ることも大事なのであろう。

駅や車内での中国語やハングルによる案内表示

 Facebookを見ていたら、最近多くなった電車などでの案内表示の中国語やハングルでの標記に文句を言っている人があった。写真は大阪の地下鉄のようであったが、最近の駅や電車の表示には日本語に続いて、英語、中国語、ハングルが順に出てくる案内がある。

 それに対して、その人が書いているのは、「御年寄が狭い駅の電光掲示板の前で中国語や朝鮮語が日本語に変わらず(*日本語表示が出るまで*)立ち尽くす光景をよく見かけます❗️電車に乗り遅れるばかりで無く非常に混雑した人口密度の高い駅の中で身体がぶつかり怪我をして居るのです‼️日本國民が迷惑して困っているという切実な願いが何故国土交通省に届き改善されないのかサッパリ理解出来ません。」という文章で、それに対するコメント欄には他の人が「次の駅どこか全く分からない。本当にやめてくれないかな?英語併記すれば事足りるだろ」「日本人が読めない、聞いてもわからない国民の生活を不便にして何をする気?」などと書いている。

 最近は観光日本というかけ声のもとで、政府も地方自治体も観光に力を入れており、事実、観光客も増え、心斎橋通りなどでは「今日は」というより「ニーハオ」といった方が通じるぐらいに中国や韓国からの観光客が増え、殊にデパートや薬、化粧品の店などが潤っているようである。

 大阪だけでなく、どこの街を歩いても、電車に乗っても、外国人を見かけるのが当たり前になってきた。私の住んでいる池田市でも、中国人の団体客がラーメン博物館などに来ているのを見かける。これだけ外国人、ことにアジアからの観光客が増えれば、当然それらの客に対する対応も必要になるので、どこでも中国語やハングルでの表示や説明が多くなっている。

 上記の人はどうも地下鉄の駅や車内での案内板の表示で、日本語が英語、中国語、ハングルと順に変わって行くので、それらの表示の途中で日本語が出ていない時のことを言ってられるようであるが、そんなに長い周期で変わるものではないし、さらに中国語の時なら簡体文字なのである程度想像がつくことも多い上、同じ漢字のこともあるので、そのために電車に乗り遅れたり、困ることは実際にはあまり起こらないのではなかろうか。また人混みの中で、そのために人とぶつかったりする危険性を言うならば、スマホを見ながら歩いている人の方がはるかに問題であろう。

 折角、外国からのお客さんが大勢来てくれるのだから、もっと色々サービスをして、お金を落としてもらうように努力することの方が大事ではなかろうか。観光客といっても8割ぐらいはアジアからの人たちだからそこに焦点を当てるのが当然であろう。

 そうとすれば言葉の問題は大きい。英語だけでは間に合わず、一番多い中国人や韓国人に焦点を合わせて対応し、なお余裕があるなら、需要に応じてベトナムやマレーシア、インドネシアその他の国の言語にも対応して行くべきであろう。

 上記の様な表示のおかげで日本人が大そう不便になったと考える人は少ないのではなかろうか。日本人の観光客なら、上記の様な表示でも多くは一瞥で判断出来るだろうし、他にも多くの表示があるし、他人にも聞けるので判断材料が得やすいであろうから、短時間だけ日本語の表示が切れたからと言って実際に困る人が出るとは考えにくい。

 おそらく文句を書かれた方は中国や韓国が嫌いなのではなかろうか。私などは書かれた中国の簡体文字やハングルを見て、日本語と比べられるので、ゆとりのある時には興味津々で、眺めては少しづつ中国の簡体文字やハングルを覚えたりするのを楽しみにしている。少しでも会話が出来るようになったらもっと楽しいだろうにと思ったりもしているが、おそらく大勢の中には外国人、ことに隣国の人をあまりよく思わない人もいて、こんなことにも文句の一つも言いたい気持ちになる人もいるのであろう。

 将来のことを考えれば、どうかするとこの島国に閉じこもりがちな日本人も、もっと広い心を持って、他所の国の多様な人々とも一緒にやって行くことを考えなければいけない時代になって来ているのに残念な気持ちがする。それは兎も角、さしあたりは観光立国で、出来るだけ多くの外国人に来てもらい、出来る限りのサービスをして、気持ちよく帰ってもらい、しっかりと儲けさせてもらうのが良いのではなかろうか。

ネットで拾った二題

 最近は嫌でもネットに繋がって情報を得なければならない世の中になってしまっている。毎朝起きたらパソコンの電源を入れて、メールに始まり、FaceBookTwitterなどに目を通している。自分なりに情報を絞っているつもりなのだが、要らない情報を消したり、飛ばして読んだりしているが、結構時間を取られて、何とかもう少し上手に必要な情報にだけ近づけないものかと考えているが、周囲にパソコンに詳しいものもいないので、おそらく随分無駄なことをしているのだろうが仕方がない。

 見る情報のほとんどは役にも立たないで、消すのに時間を取られているようなものだが、いい加減に選択しているからかも知れないが、時には思わぬ話を聞いたり、気の利いた商品にお目にかかったりすることもある。

 今回はそのようにして偶然でくわしたものだが、是非記憶にとどめておきたいなあと思った話を二つ書き留めて起きたい。

 一つはある飛行機の客室での出来事である。短い記事からの転記なので大雑把なことしか書けないが、ある機内で白人の女性がたまたま黒人の男性と隣り合わせの席になってそうである。その女性は黒人を嫌っていたのでキャビンアテンダント(CA)に席を変えてくれるように頼んだところ、CAは機長に聞いてくるから少し待って下さいということだった。やがて CAが戻ってきて、『ファーストクラスに空きがあります。機長は『そんなゲスな客の横で旅を強いられるなんてあり得ない』と言って謝っております」と告げた。それを聞いて我が意を得たとばかりに立ち上がろうとした女性を制して、CAは黒人男性に「どうぞこちらへ」と誘導して行ったという話。

 二番目は、ある小学校での話である。

この学校ではいつも放課後にその日にあった出来事を発表したりする「帰りの会」という 場を設けている由。そこで一人の女子生徒が話したそうである。

「わたしは今日 少し嫌な事がありました。 ◯◯くんとうさぎ小屋の当番でお昼休みに小屋の 掃除をしていたら、 ◯◯くんが掃除をせずに違う友達とサッカーをし て遊んでいました。 『ちゃんとやってよ』 そう◯◯くんに注意すると、ボールを顔に投げられ て鼻血が出ました。 嫌だし辛いし悲しいけど、わたしにボールを投げた 事はもう怒っていません。 一緒にうさぎ小屋の当番をやるはずなのに ◯◯くんがやらなければうさぎさんが可哀想で す。 二人でやればもっとうさぎさんのお部屋をキレイ にしてあげられたのに、 わたし一人でやっていたのでは限界があります。 ◯◯くんだけではなく、みんなもうさぎさんの事を 考えて、 ちゃんと当番の人は責任を持ってやって下さい。 よろしくお願いします!」

  これには先生も「何でうさぎ小屋の当番をサボったんだ。 皆で決めた役割を放棄した上に、 ボールを投げるとはどういう事だ!」かなり強めに声を張り上げてこの男子生徒を怒ったようです。

 ところが翌日、この出来事が大問題へと発展してしまいま す。 朝の職員室。 女性が怒鳴る声が響き渡ります。 「うちの子に体罰をしたんですって!? 大きな声で怒鳴ったら子どもが恐がる事くらい わからないの!? これは体罰よ!うちの子に土下 座して謝りなさい!」と。 昨日うさぎ小屋の当番をサボって 先生に怒られた男子生徒の母親であった。

 学年主任、教頭先生、校長先生を交えての大騒動。 さらに、事実確認を行うために昨日帰りの会で この事実を報告した女子生徒もその場へと呼び出されたようである。 「うちの息子がうさぎ小屋の当番をサボったくら いで なんで怒鳴られるの!?体罰にあたいする事件 よ! この学校は体罰が常習化しているんじゃないです か? 早くうちの子に謝罪して下さい。」 こう強く求める母親に 先生はどうすればいいのか分からず返答に困っていまし た。

 すると事実確認で呼ばれていた女子生徒が この母親に向かって 「◯◯くんのママも私と同じ女の子でしょ?  男の子に叩かれたり、物を投げつけられたりした ら嫌じゃないの? 悲しい気持ちにならないの? じゃあ、悪い事をした◯◯くんを怒った先生が悪 くて 謝らなきゃいけなくて、ボールを投げつけてきて 謝らなかった◯◯くんは謝らなくていいの? そ れを注意したり、ダメだって教えてくれた先生に 怒る ◯◯くんのママは変だと思うよ。」

 その言葉はそこにいた全ての”大人”が ぐうの音も出ない程的を射た言葉であった。母親もそれ以上文句も言えないでその場が収まったというモンスターペアレントの話であった。

どちらにもコメントをつける必要はないように思われるが如何であろうか。

投票日直前の首相の秋葉原演説

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 今回の衆議院選挙の最終街頭演説でも、安倍首相は秋葉原を選んだ。首相は都議選の時にも秋葉原駅前で街頭演説をしたが、大勢の聴衆から「安倍帰れ」の声を浴びせられ、「こんな人たちに負けるわけにはいかないんです」と言って一般の人たちからの顰蹙を買い、選挙でも敗退したので、そのリベンジをしたかったのであろうか。

 実際に現地で立ち会ったわけではないので詳しいことはわからないが、現在はSNSなどが色々な映像まで見せてくれるので、文字だけではわからないある程度の臨場感さえ感じさせてくれる。

 今回は、前回に懲りてか、あらかじめ大勢の警備員を配して聴衆をコントロールし、支持者を動員して、特大の「頑張れ自民党」と書かれた横断前を張って、反対のスローガンを首相の側から見えないようにし、前方に支持者を集めて日の丸や旭日旗を林立させ、できるだけ一般聴衆を遠ざけ、反対の声の通らぬようにしていたようである。

 こうなると選挙演説というより、まるで国粋団体の右翼の集まりのような雰囲気になる。支持者に言わせれば、日の丸は国民の統合の象徴だからというが、誰かも書いていたように、「自民党支持者が林立させる日の丸は、国民の統合の象徴ではなく、自分たちに従わない者に対する排除のシンボルに見える。だから気持ち悪く映るんだと思う。」というような雰囲気になっていたようである。

 首相が直接街頭で一般市民に訴えるのであるから、当然出来るだけ色々な考えを持った多くの聴衆に話しかけるべきものであろうが、これでは自分たちに都合の良い人たちだけを囲い込み、それ以外の人たちを初めから排除することになってしまうのではなかろうか。 

 安倍首相は未だに「こんな人たちに負けるわけにはいかないんです」と言って顰蹙を買った意味が分かっていないのであろうか。自分の政策を多くの国民に説明しようというのではなく、広く国民の声を聞こうとせず、自分の取り巻きだけでことを進めようとする独裁的な方策を取ろうとしていることを示すものである。

 しかも、FBの写真を見て驚かされたのは、日の丸に混じってアメリカの国旗まで何本か見られたのは何を意味しているのであろうか。アメリカとの協定を決める選挙ではなく、日本の将来の政治を決める選挙のはずである。まさかアメリカの植民地として今後ますますアメリカのご意向に従って行きますという方針の表わすためではあるまい。

 選挙の結果からすると、憲法改正で、ますますアメリカへの従属関係を深め、ひょっとすると、特別緊急事態法などで独裁政権が誕生するという恐ろしい事態にまで進んで行きかねない気さえする。

 私自身は百まで生きるとしても後10年、幸か不幸か、子や孫が日本にはいないので、この国がどうなろうと関係がないと言えるかも知れないが、前の戦争やその周辺の惨めな世界を経験して来ただけに、この国の人たちが再び同じような目に遭わされるのは耐えられない気がしてならない。