時代とともに変わる日本人

 安倍首相や日本会議の人たちは憲法まで変えてもう一度戦前の日本を復活させようとしているようだが、歴史は不可逆的なもので、戦後70年も経てば、今更元に戻すことは不可能である。それに同じ日本人といっても戦前と今とでは日本人そのものが既にすっかりといっても良いほど変わってしまっていることも知るべきであろう。

 体格だけ見ても昔の日本人は多くの人が痩せ型で、今より引き締まった体型で、一般に背も低く、太っている人は少なかった。それに今ほど人々の間のばらつきも大きくなかった。

 体格だけでなく服装なども、学生は学生服、サラリーマンは背広、労働者は作業服、主婦はエプロン姿が多かったし、季節によって夏服、冬服、合服など皆が同じ時期に同じように一斉に衣替えをすることが多かった。今よりずっと一様な風景であったともいえよう。この風習は 戦後になってもかなり長く残っていたので、来日したドイツ人に日本には色がないと言われたことを思い出す。

 1961年に私が初めてアメリカへ行った時、驚かされたのは上陸したサンフランシスコで通りを歩く人を見て、毛皮のコートを着た女性のすぐ横をまるで水着のような格好をしていく人の姿があるという多様性であった。それ以前に日本で見ていたアメリカの漫画などに描かれていた極端な痩せや太っちょ、のっぽにちびなどの人々のばらつきの大きさが殆どの現実の姿であることにも驚かされたし、初めて望んだ国際学会に集まった人々のあまりにも多彩なばらつきに圧倒された記憶が今も鮮明である。

 当時はそれほど日本とアメリカでは人々の間のばらつき加減が違い、日本ではほぼ皆が一様に見えていたのに、アメリカではあまりにもばらつきが大きい当時の彼我の違いが明らかであった。

 ところが、それから半世紀以上も経った今では、日本の街で見かける人々の姿も当時とはすっかり変わってしまった。体格で言えば、背の高い人が多くなった。昔は稀に電車のドアに頭がつかえるような人を見ようものならおったまげたものだが、今ではそんな人は日常いくらでも見られる。女性も昔は大根足だの、六頭身だなどと貶されたりしたものだったが、今や惚れ惚れするようなスマートな長い脚をした人が多い。

 肥満はまだまだアメリカで見るような極端な肥満の人は少ないが、それでも腹が出てたるんだ中年男はもはや平均的な姿となっている。そうかと言って、今でも小さな人や痩せすぎの人も結構おり、昔と違うのは全体としてばらつきが大きくなったことであろう。

 体格だけではない。服装も男でも最近は勤め人でも昔のように皆が背広を着ているわけではなくなり、比較的ラフないろいろな格好をしている人が多くなり、背広を着ているのは管理職かセールスマンぐらいに限定されてきている。女性も今ではスカートを履いている人よりスラックスやパンツ姿が多くなったし、時の流行があるものの服装のばらつきも昔の比ではない。

  それに最近は外国からの観光客が急増し、日本で働いている外国人も増え、どこへ行ってもいろいろな人種の人を見かけ、日常生活でも昔の街の姿とはすっかり変わってしまっている。大阪の郊外都市である池田でも、アジア系、コウケジアン、アフリカンなどの”外国人”の一人や二人に会わないことはない。一番多いアジア系の人たちは言葉を聞かなければ区別できないことがあるので、実際にはもっと多いのではなかろうか。

 インバウンドと言われる観光客も増えたが、それだけでなく日本に住んで働いている外国人も確実に増えている。新生児29人に一人はどちらの親もか、一人は外国生まれという統計が二、三日前の新聞に出ていたので、これからそうした日本人も増えていくことであろう。

 テレビに出てくるレポーター、芸能人、スポーツ選手などにも随分”外国人”や外国生まれが多くなり、もはや大和民族だとか単一民族だとか言ってられない状態である。昔と比べたら外見も背の高さも体重も皮膚の色もいろいろな人がいるのが日本人ということになりつつあるのである。同じ日本人だと言ってもその内容は昔とは違っているし、今後その傾向はますますつおくなっていくであろう。

  もともと単一民族などと言っていた方が間違いで、歴史的に見ても縄文人がいた所に弥生人がやってきて混血が起こり、一部の縄文人が北や南に追いやられた古い歴史があり、その後も大陸や半島から次々と渡来人がやってきて混血していった結果、日本人なるものが出来たのであり、単一の民族がずっと住んでいたわけではない。

 これまでも外見上からオカメ型と般若型の違いなどが言われており、こんな経験もある。昔アメリカにいた時、車の運転免許証に人種を記載する欄があり、外見から係官が適当に判断してつけるものだから、私は見るからに東洋系の顔なのでOrientのOなのに、女房は般若型の顔貌からかMiscellanous(その他いろいろ)の Mとなり、人種別なんていい加減なものだなと笑ったことがあったものだった。

  遺伝的なものだけでなく、生活環境や食事などのよっても願望は変わるもので、日本人の顔も今では昔多かった鞍鼻が減り一般に鼻梁が高くなってきているし、人々の生活も変わっていくし、外国人との混血も増えていくので、それだけ容貌のばらつきも更に大きくなっていくであろう。

 もはや単一民族なのだとか言って自慢する時代ではない。いろいろな遺伝子が混じり合い、いろいろとばらつきが大きくなるほど発展する可能性が大きくなるものである。

  最近の社会の分断や排外主義にもかかわらず、単に外見だけからしても、日本社会の多様性は着実に進んでいっている。世界の交流も強くなり、人々の移動も激しくなり、混血も進み、人々の間のばらつきが大きくなっていく傾向を止めることは出来ない。どこの国でも同様で、地域による違いも薄められていく。

  東京五輪の基本理念として「多様性と調和」が挙げられ、「あらゆる面での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合うことで社会は進歩する」と謳われている。もはや明治の日本への回顧は無理である。それより新しい日本人が新しい国や社会を作っていくことに政策の目標を合わせるべきである。

 右翼勢力がいかに大日本帝国の復活を強引に進めても、受け手の国民がもはや明治とは違う多様な日本人になってしまっているのである。戦前の日本の形でまとめようとしてももはやそれは儚い夢に終わるであろう。

 新しい多様な日本人を認め、そこに焦点を当てるより仕方がないであろう。多様性こそ貴重な社会の財産である、未来の発展はこれにかかっているといっても良いのではなかろうか。