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御手洗

 御手洗といってもトイレの話ではありません。ミタライと読んで瀬戸内海に浮かぶ大崎下島という島にある昔瀬戸内の交通で大事な位置をしめて栄え、今に古い町並みを残している町の名前です。

 菅原道眞が大宰府に流されるときにここに船を止め、手を洗ったところからこの名前がついたと言われているようで、小さな町ですが立派な天満宮もあります。この大崎下島芸予諸島の東の方に属し、多くの島に囲まれ瀬戸内交通の中間地点にあたるためか、昔からここを通る舟が立ち寄ることが多く、風待ち潮待ち港町といわれて栄えたのだそうです。

 港町にはつきものであった遊郭などもあり最盛時には百人もの遊女がいたそうです。その痕跡を残すお茶屋の建物も残っています。いつかの新聞にこの町の紹介記事があり、それまで知らなかったので是非一度訪れてみたいと思ったのがことの始まりです。

 広島県の竹原からフェリーがあると書いてあったのでその通りに行こうかと思っていたのですが、地図を見るとこの大崎下島を含めた芸予諸島はいつの間にか幾つもの橋で繋がっており、御手洗から広島までの直通バスがあることも分かったので、そちらにも興味をひかれ、福山からしまなみ海道大三島まで行き、以前から行きたかった大三島の宗方にある三つのミュージアムを巡った後に、フェリーで隣の岡村島へ渡り、そこから車で橋を渡って大崎下島の御手洗に行くことにしました。

 御手洗は小さな町で一〜二時間もあれば全てが見れるぐらいの所ですが、ここは飛び飛びに古い建物が残っているようなものではなく、表通りから裏道まで町全体が古い町並みといって良いぐらいで、殆どの建物が戦前ぐらいまでに建てられた家で昔懐かしい家並みが続いています。

 観光のためかどこも良く修復されており、あちこちに花と句の短冊をつけた小さな簾が格子窓などにぶら下げてあります。なまこ壁の旧家の屋敷や薩摩藩だったかの船待ち宿、江戸の船宿が並んだり、江戸の街並みの続くところもあるかと思えば、懐かしい昭和の初めの映画館、明治から続き今尚現役の時計屋さんもある。明治維新の立役者三条実美蛤御門の変から逃げる時に立ち寄った七卿落遺跡という屋敷もあったが、その庭に公衆便所があり、入り口に御手洗と札がぶら下がっていた。まさに御手洗の御手洗である。

 ただ、強く印象づけられたのは、いかに観光に力を入れ、古い建物を修復したりしても、時代の流れで地方の疲弊は隠しようもなく、人口が五百人が二百人に減ったと町の老人が言っていたが、それではこの町を維持していくのが大変だろうと思われたことである。観光の目玉のお茶屋は中にも上がれるが受付一つなく誰ひとりいない。通りの人影も少ない。

 昔の写真では海に多くの小さな船がひしめいていたが、いまでは港に船さえまれである。住民の生活がどうなっているのかわからないが商店もほとんどないし、バスの時間も稀である。コンビニも一つも見なかった。

 せっかく古い町を保存し、観光で魅力ある町にしようと努力されているようだが、これから先どこまで維持していけるのか見通しはつかないのではなかろうか。

 御手洗からバスに乗って広島まで行きましたので、結果として福山を立ってから尾道を経て本州を出、向島因島生口島大三島岡村島、中ノ島、平羅島大崎下島、豊島、上蒲刈島下蒲刈島と経て安芸灘大橋を渡って本州へ戻りましたので瀬戸内海の十一の島を通り抜けてきたことになりました。そのうち一箇所だけがフェリーでしたが後は皆橋で繋がっているのです。

 橋のなかった大三島岡村島の間も柏島、大下島、小大下島などが近いので、ここに橋がかかるとしまなみ海道ととびしま海道が繋がり十四〜五の島を島づたいに尾道から呉まで行くことが出来るようになるわけです。

 こうなれば海と島の瀬戸内の景色を満喫できる絶好な観光資源になるのではないでしょうか。いつかその日が来ることを願いたいものです。