中野弘彦展

 これまで知らなかったが、新聞の紹介記事で、この中野弘彦氏という人は、京都の何必館の館長である梶川芳友氏がずっと伴走者として見守り続けて来た作家で、村上華岳、福田平八郎に続く、真の日本画の精神を継承し、これからの日本画を考える上でも重要だというので、見に行って来た。

 何必館の冷房が効いておらず、あまりにも暑くて長時間絵の前に止まれなかったのが残念であったが、中なか見応えのある展覧会であった。「無常」というタイトルどおり、よくある日本画と違って、描写力や技術ではなく、思想や哲学といったものをどう表現するかといった問題に答えようとした作品であることに惹かれた。

 この作者は藤原定家鴨長明種田山頭火、それに松岡芭蕉らの思想を絵画として視覚化し、無常観を探求しようとしたのだそうである。

 大きな画面に横に一筋の小川が流れているだけとか、上の方に庵が描かれその前方に池が描かれているだけとか、薄くかすれた枯れ木と風の風景など、どれも描写は細やかなであるにも関わらず、全体の印象としては単純な薄暗い感じの、明暗も明らかでないぼんやりと霞んだ中に対象をやっと掴めるような感じの絵で、寂寥と世の無常を感じさせる日本画である。

 そこから、その奥にある人間とは何か、それを絵にどう表現するのかと静かに哲学的な物思いに佇ませてくれる奥の深い感じのする絵であった。

 この作者は美校を出てから、大学で哲学も学んだ人のようで、日本的な無常や死を思う心が根底にあり、いかに生きるかを問いかけていたのであろうかと思われた。最近見た日本画の中ではユニークな作品群で印象深かった。

徵兵制への道

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 我が国で徴兵制がまた行われるようになるといっても、まだ、まさかと思う人が多いかも知れない。しかし安倍内閣を中心とする右翼勢力は、上の写真のように、何とかこの国にまた徴兵制を引こうと策略を練り、事を進めようとしていることにき気づくべきであろう。

 徴兵制のために憲法改正をしようとしているのだといっても良いぐらいである。日米安保条約によって、アメリカは自衛隊を増強し、アメリカの従属部隊として組み込もうとし、安倍政権はそれに応えて大量の武器をアメリカから買い、軍備を増強しているのが現状であるが、これ以上事を進めるには憲法改正が必要となるので、何とか憲法を変えようとしているのである。

 しかし制度を整え、装備は出来てもは自衛隊員が集らなければ事は進まない。そのためには自衛隊が自国を守るためではなく、日米同盟による米軍への貢献のためであることを隠し、国民を守るためのものであるとを認知してもらわなけらばならない。そのために災害救助活動などを盛んにし、「国民のための自衛隊像」をう打ち立てようとしているのである。

 それでも自衛隊の評判は芳しくない。自衛隊への応募者は2013年、3万5千人だったのが、2017年には2万7千人と減っており、25万人体制を維持するのが困難な様子らしい。

 そこで採用年齢を26歳から32歳に引き上げ、自治体に働きかけて高卒名簿を手に入れたり、貧困学生へ紐付き奨学金を出したり、或いは会社に対しても、予備自衛官を雇ったら法人税を控除するるとしたり、入社後一定期間の自衛隊入隊による新人教育をするよう提案したり、自衛隊での技能資格取得、優先就職斡旋などを考えたりと、隊員集めに余念がない。

 それでも少子高齢化の世の中で、人口減少、ことに兵役に適する年代の若者の減少には如何とも対応し難い。 兵役が志願制のアメリカのように貧困青年を狙った、いわゆる経済的徴兵制度が当座の手法であろうが、それにも限界があり、アメリカなどの要求に応えるには不十分である。

 あとは憲法を改正して徴兵制を引くしかない。こう見てくると、徴兵制が決して遠い将来の夢物語ではなく、冒頭の安倍首相の決意と合わせて考えるならば、憲法が改正されるならば当然その中には徴兵制度が含まれるものと考えねばなるまい。

 つい先日も、木津川計氏の「私は貝になりたい」の一人芝居を見たが、再び同じような市井の人が召集され、上官の命令によって敵兵を殺したばかりに絞首刑になるうというような悲劇を繰り返すことにもなりかねない。それを防ぐためにも、憲法改正を絶対に阻止し、徴兵制が復活するようなことを許してはならない。

 最後に三句をあげておく。

渡辺 白泉 戦争が廊下の奥に立っていた

 寺山修司 身を捨つるほどの祖国はありや

塚本邦雄 春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状

老人の転倒

 昨年の夏、知人宅で飲んでの帰り道、家の最寄りの駅で、階段を踏み外して転倒し、前額部を横の壁で打つという事故以来、階段を降りる時には、必ず手すりを持って、ゆっくり降りるように気を付けている。

 老人で転倒して、それが元で寝たきりになったとか、命をなくしたという話も時に聞くが、自分のことは勿論自慢出来る話ではないし、自分の体の衰えをあからさまにしたくない心理も働いて、いつもは黙っている。

 しかし、同じ老人仲間が転んだ話を聞くと、同病相憐れむような気持ちとともに、自分だけでなく誰にでもあることなのだなと、妙に安心感のようなものが得られる。

 つい先日、以前の私の事故の時に一緒に飲んだ仲間と、また一緒になる機会があったが、その人も最近転倒して前額部に傷跡を残していた。それを知って何だか親しみを感じさせられた。私より若いのに、やはり歳をとると誰しも転びやすくなるものらしい。

 先週末の新聞の書評欄を読んでいると、黒井千次氏の「老いのゆくえ」という本の評を柄谷行人氏がしていたが、この本の中にも転倒する話が幾度も出てくることを紹介しながら、評者も70歳を越えてから、転倒を経験するようになり、老化の兆候だということを認めざるを得なかったと書いていた。

 人は立っていてこそ人間としての権威を保てるものが、転倒を繰り返すことによって、嫌でも自己の尊厳を保てない立場に追いやられて、老いを認めざるを得なくなるのである。自分だけでなく、実際に周囲の老人も結構転倒していることを知ると、少しは自分も慰められる。

 そして、今度は周囲の老人と比べて、相対的に考える。彼らはまだ若いのに転倒しており、自分の方がマシだとか、周囲より自分の方がこれだけ歳をとっているのだから、まあ仕方がないかとか、比較して安心感を得ようとすることになるものらしい。

 通りや駅で歩いていても、最近はどこでも老人が多くなったが、見ていると、どうも老人は必ずと言って良いぐらい老人を見るようである。はっきり意識していなくても、どうもその度、自分と比べて安心感を得ようとしているような気がしてならない。

同じ世代

 朝日新聞の文化・文芸欄に色々な人の「語る・・人生の贈りもの」というシリーズ物が載っているが、今回は、金時鐘さんが「今年で90歳になった」という文を書かれていた。

 私と一つ違いなので、戦中、戦後の頃の事がよくわかる。「『皇国少年』になりきっていた私は、45年8月15日の日本の敗戦で地の底にめり込んでいくような墜落感を味わいました」と書かれている意味が嫌という程判る気がした。

 大日本帝国に純粋培養されたような私は、それこそ忠君愛国の熱情に燃えて、帝国海軍将校を目指す海軍兵学校の生徒として、まともに「天皇陛下のために命を賭して」と考えていたのが、敗戦で自分の全てが否定されてしまって生きる柱が無くなってしまったことを今も昨日のことのように覚えている。それから立ち直るのに何年かかったことだろう。私の人生に未だににその傷跡を残している。

 然し金氏の場合にはもっとひどかったであろう。自分のよって立つ国がなくなり、4.3事件で故郷を追われ、命からがら日本に亡命しなければならなかったし、それまでの自分の言葉である日本語を否定され、自国語である朝鮮語を必死になって学ばなければならなかったのである。天動地変のような時代の急変を乗り越えるのはそれこそ大変な事であったであろう。

 しかも、その後も、解放されたはずの朝鮮は南北に分断され、朝鮮戦争が続くという悲劇が続き、「私は一体何から解放されたのだろう」という疑問を自らに発せねばならなかった苦しみは、私の陥ったニヒリズムよりずっと深いものであったであろうと思われる。

86歳の夫87歳の妻を殺す

 最近滋賀県で起こった事件で、86歳の夫が87歳の妻を自宅で首を包丁で刺して殺害した事件があった。妻の方が認知症で物忘れがひどく、生活に支障が出ていると市に相談し、市は要介護に認定し、介護サービスを受けているということであった。

  短い新聞記事だけなので、詳しいことはわからないが、恐ろしいことである。記事を読んでまず思ったことは、これは夫も妻も両方とも被害者だということである。ここまで追い詰められて両者を傷害したのは社会だと言わざるを得ない。

 老夫婦だけが社会から隔離され、片方が認知症で体力のない相手が一人で面倒を見ようとすると、どうしても無理がある。介護保険を受けているといっても、今の制度では、ことに認知症に対しては、施設にでも入れない限り、家庭訪問ぐらいでは、ないよりはマシというぐらいで、あまり助けにはなり難いのではなかろうか。

 それに長年の夫婦で、お互いに相手の精神世界にまで踏み込むことさえ多いような関係が長年続いてきている夫婦の中では、遠慮が廃れ、冷静な判断よりも感情が先走り、両者の関係がうまくいっている時は良いが、認知症がありコミュニケーションがうまく取れない上に、自分も体力的に消耗すると、最早限界に達し、感情的な暴発に繋がりやすいのであろう。

 こうした問題では孤立した夫婦関係の中だけでの解決は困難で、社会的にも短時間の家庭訪問や在宅介護ぐらいだけでは無理で、夫婦を引き離してでも施設に収容するなりして、認知症の介護とともに、夫の負担軽減を図るべきであろう。

 長年の夫婦関係の後であれば、自然に以前の健全な時の関係が思い出され、こじれた感情は次第に勢いを増し、自分の体力の消耗も重なって、冷静な判断が出来難くなり、現状が惨めなだけに余計に感情が先走って腹が立ち、ついには「腹が立って刺した」という悲劇になったのではなかろうか。誰にでも起こりうることで、他人事とは思えない。

 夫婦や家族の介護の場合には得てして感情が先走って、客観的な冷静な判断が困難になりがちである。これはひと頃、施設の介護でも、親身を持って家族のように扱うことが勧められたが、「おじいちゃん、おばあちゃん」などと言って一線を超えて感情移入し過ぎると、変えて介護がうまくいかなくなった経験などからも言える。

 事件になってしまった夫婦の場合も、初めから家族や夫婦だけで処理しようとせず、社会の認知症に対する対応も施設に収容するなり、訪問時間を頻回にとか長くするなどし、家族や夫婦の介護負担を軽減し、社会の手をもっと借すことが出来ていたら、こんな悲劇は避けられたのではないだろうか。悔やまれてならない。

SUN77写真展

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 今年もまた私たちの写真展の開催期日になりました。今年の作品はここに掲げたものです。色々な素材の組み合わせですが、どれもカップルのものを選びましたので、標題を「ふたり」としました。

 上からプラタナスの幹の表面、落屑した樹皮、堤の茸、剥げ落ちた車避け、剥離した白線を素材にした作品です。

 ずっと底流として、人々の多様性(diversity)を表現しようとしてきたシリーズものです。昨年までの作品はこの同じBLOGのいずれも7月の部分に載っています。

ファシズムの始まり

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 今度の参議院議員選挙の街頭演説で、札幌で街頭演説の安倍首相に対して「安倍やめろ!」と野次った男性と、増税反対と叫んだ女性が、それぞれ周囲にいた北海道警察の制服、私服の警察官数人に腕や衣服を掴まれて、端の方へ連れて行かれて動けなくされた事件が新聞に載っていたと思ったら、今度は大津市でも首相の応援演説にヤジを飛ばした男性がスーツ姿の警察官によって会場端のフェンスに押しやられる事件が起こった。

 福島では「総理、原発廃炉に賛成?反対?」という手作りの質問ボードを掲げようとした主婦が、私服刑事と自民党スタッフに取り囲まれ、ボードを没収されるということも起こっている。しかも没収されたボードが教えた覚えのない勤務先に送りつけられてきたようなことまであったようである。

 また東京では、安倍首相の街頭演説の警護に、特別事態の時にのみ出動する特殊部隊まで動員されていたそうである。

 一方、京都市では、令和維新の山本太郎候補者の街頭演説に際して、マイクを持って妨害に入った男性に対しては、合法的だから構わないとして、むしろ4〜5人の制服の警察官に守られた形になって、最後までマイクでがなり通した由である。

 これらの事例については、今はどれも写真が撮られSNSで拡散されているので、誰にも見えるし、札幌の事例については余りにも道警のやり方が常軌を逸しているので批判の声が上がったが、それに対する警察の対応も二転三転している。

 札幌の例ではヤジを飛ばした本人のSNSの投稿もあるし、安倍首相の演説を記録したSNSにも動画ではっきりと状況が映し出されている。女性の拘束されている状況もはっきりした写真がある。

 警察が中立であるべきなのは当然である。これらの事象は明らかに警察による憲法にも違反する言論抑圧である。戦前、弁士の演説を臨席した警察官が途中でやめさせた場面を思い出させられた。もうすぐ先には、そこまで言論抑圧が進むのではないのかと思われ、ゾッとさせられる。もう白水の「廊下の端に戦争が立っている」という戦前の雰囲気が近いものになってきているのを感じさせられる。

 元警察官であった人も、この行き過ぎた警察の対応にSNSに遺憾の文を書いている。「こうした警察のやり方をみると、戦前の行政執行法(明治33年)1条の予防検束「暴行、闘争その他公安を害する虞(おそれ)のある者に対する処分」が復活したような気さえする。「やりそうなやつの身柄を拘束してしまう」という特高時代の代物だ。」と書かれている。

 警察が首相府などに忖度して過剰な警備をしているのであろうが、こういう警察の反応は決して許してはならないものである。戦前の日本の歴史を振り返っても、必ずこのような傾向は時とともにエスカレートして、気がついた時にはもうどうすることも出来ない所にまで来るものである。

 戦争も独裁政治も、急に起こるものではなく、次第に積み上げられていき、やがては誰しも引き返せない所にまで人々を追い詰めるものである。たとえ今回の選挙で勝てなかったとしても、終われば、国民の声を結中して、はっきりとした反対の声をあげなければならない。