オリンピックに旭日旗を持ち込むことを禁止しよう

 朝日新聞によると菅義偉官房長官は9月5日午前の記者会見で、来年の東京五輪パラリンピックの競技場に旭日(きょくじつ)旗の持ち込み禁止を求める韓国側の動きについて「旭日旗は国内で広く使用され、政治的宣伝とはならず、持ち込み禁止は想定していない」と述べたという。

 旭日旗については、韓国国会の文化体育観光委員会が、東京大会の開催期間の前後に競技場で旭日旗をあしらったユニホームを着たり、旭日旗を持ち込んだりして応援することを禁ずるよう、国際オリンピック委員会(IOC)と大会組織委員会に求める決議を採択したという報道について述べたものである。韓国内には「日本軍国主義の象徴」と反発する声が根強くあるからであろう。

  以上がオリンピック競技場への旭日旗持ち込みについてのニュースである。

 この韓国の動きに反発した菅官房長官の発言はあまりにも子供じみているのではなかろうか。日韓関係がこじれている時に出てきた問題なので、単純に感情的に反発しただけのものかもしれないが、政府を代表した発言としてはあまりにも思慮に欠けているのではなかろうか。

 日本では、 招致の際、国際オリンピック委員会総会の壇上に立った滝川クリステル氏が発言して以来、「おもてなし」という言葉が、同大会のキーワード的に使われることが多くなっており、2013年の新語・流行語大賞にも選ばれているぐらいである。

「おもてなし」は、言葉の通り、客の「もてなし」の丁寧語。しかし、ただのサービスとは異なる。「もてなし」の語源は「モノを持って成し遂げる」だが、「おもてなし」は「表裏無し」、つまり表裏がない心で客を歓待するという意味が込められている。この精神こそ、古来より息づく日本人の心、そのものではないだろうかと言われている。

 『「おもてなし」は、ただのサービスとは異なる意味を持っています。例えば、レストランで出されるおしぼりや旅館での布団の準備は「サービス」ですが、その際に「ゆっくりとお寛ぎください」といった言葉をかけることは「おもてなし」にあたります。』などとも解説されてもいる。 

 そして今、日本では東京オリンピックパラリンピックの開催に向け、そんな「おもてなし」を実現するための様々な取り組みが、各地各所で進んでいると言われている。

  それを考えると、果たして旭日旗を持ち込むことが「おもてなし」に合致する行為であろうか。ホスト役がまず最初に心得るべきは客に嫌な思いをさせないことであろう。

 韓国の人たちがIOCに言ってまで拒もうとする旭日旗を禁止しないのは果たして「おもてなし」の精神と一致するのであろうか。旭日旗を嫌う人は韓国だけでない。中国や東南アジアで、かって戦禍にあった国々の人たちの間にも多いのではないかと考えざるを得ない。

 然も他方、旭日旗はオリンピックに必須なものではない。日本選手の応援には国旗があれば十分ではないか。わざわざ嫌がる人のいる旭日旗を使って客をもてなすほど礼を失することはないであろう。「おもてなし」の精神から行けば、たとえ韓国の動きがなくとも、気を使って旭日旗など、嫌がる人がいることが想像出来るものは排除して応対するのが「おもてなし」ではないだろうか。

 単なる韓国の動きに反発した旭日旗持ち込みOKというのは、あまりにも子供じみた、いじめにも繋がる、狭量な判断ではなかろうか。旭日旗を使わなくても何ら不都合が生じるわけではないのである。オリンピックを政治的に利用することも、ナチスによる1940年のオリンピック以来禁止されていることでもある。

 それを押してまで、旭日旗をオリンピックの会場に持ち込んでは、「おもてなし」を台無しにするばかりでなく、日本が世界の笑い者にもなりかねないのではないかと恐れる。日本政府としての態度が問われるところである。