沖縄はどうなるのか?

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 24日に沖縄の辺野古基地建設反対の住民投票があり、結果は予想通り、反対が72%と住民の明確な意思が示された。ところが次の朝の25日の各新聞の朝刊の見出しを比べてみると面白い。

 沖縄の2紙は勿論、朝日や毎日、東京新聞なども「辺野古反対7割超」などとトップに掲げて大きく報道しているが、日経や産経は経済記事や海自観艦式が優先し、二番手に回っている。読売に至ってはトップは「人生100年と健康」という連載記事である。他の大新聞が社説にも取り上げているのに、読売には社説もないそうである。

 それどころかSNSでは、「読売の調査で内閣支持率横ばい49%で、辺野古反対よりはるかに数字が高いですね」などと書いている。読売に限らず、沖縄県民の住民投票に反対する人たちは、NHKをはじめ、法的拘束力のないことを強調し、「4分の1超えぐらいでは圧倒的な民意とも言えません。通知して終わりです。国としての安全保障の観点から粛々と進めていただきたいです」とか書いている。

「反対の意を示す住民投票においては、投票者における反対の割合ではなく、有権者における反対の割合に意味があります。これは一般の国政選挙とは異なり、投票自体に反対の有権者が大量に存在するためです。投票率が約50%なので反対が圧倒的という数字の独り歩きには問題があります」というのもあった。

 しかし、直接民主主義でのこの住民投票の結果は、県民投票条例で「結果を尊重」し、首相と米国大統領への通知を義務付けた有権者数の4分の1(約29万人)をはるかに超え、昨年9月の県知事選挙で玉城デニー知事が獲得した県知事選最高の約39万票をも大きく上回る43万の得票数で、沖縄県民の新基地建設・辺野古埋め立て反対の民意を圧倒的な形で突きつけたものであり、県民の歴史的勝利と言えるであろう。

 当然、政府はこれを尊重して、辺野古の埋め立て工事を一時的にでも中止し、沖縄の意見を聞き、アメリカとも折衝して、普天間の返還、辺野古の工事について新たな方策を考えるべきである。それが民主主義の基本である。沖縄の声は今に始まったものでなく戦後からずっと続いてきているもので、政府もその声を「真摯に受け止め、沖縄の民意に寄り添って」と言って来ているのである。

 それにもかかわらず、この結果の後も辺野古の埋め立ては続いているし、首相も今回も「真摯(しんし)に受け止める」と述べた一方、普天間の固定化を避ける必要があるとして「移設をこれ以上、先送りすることは出来ない」として、引き続き辺野古移設を進める考えを示すだけで、何も手を打とうとしていない。

 アメリカの国務省当局も24日取材に対し「普天間の継続的使用を回避する唯一の解決策として、日本政府とともに引き続き辺野古への移設計画を推進する」と改めて表明したそうである。日米の約束があるから当然そういうであろう。

 しかし、現地の住民がこぞって反対の意思を表明しているのであるから、日本政府はそれを受けて、憲法95条に照らしても、当然アメリカと再交渉するべきであろう。アメリカの下請け政府なのか、国民のための政府であるのかが問われているのである。

 アメリカに言われるままに、戦争の出来る国づくりに励み、何兆円にも達する武器を買い、憲法を変えてまで、自衛隊アメリカ軍に組み込んで、アメリカの手先の軍隊として戦えるようにし、トランプ大統領ノーベル平和賞に推薦することまでしながら、国民に対しては聞く耳を持たないやり方は、沖縄に対してだけの問題ではない。この国の民主主義が問われているのである。今まさに独裁による軍国主義の復活への道か、独立した平和な民主主義への道かの岐路に来ているのではなかろうか。

 今回の住民投票の結果までが無視されるようであれば、日本政府は最早沖縄を切り捨て、単に利用しようとしているに過ぎないと見なさざるを得ない。見捨てられた沖縄が生きる道は閉ざされ、独立運動が起こっても不思議ではなくなるであろう。沖縄が沖縄県であり、沖縄人が同じ日本人であるならば、日本政府は本州の人たちと同様に、沖縄の人たちの意思を尊重すべきである。