自主規制

 

 朝日新聞のオピニオン欄の耕論に元首相の細川護煕さんの記事が載っていた。この人はこの3か月ばかり春画展を開いた永春文庫の理事長でもあり、今回はそれについてのインタビューであった。

 春画は江戸時代には庶民が普通に親しんでいたものであるが、明治以降は欧米の影響で「淫らなもの」として封じられてきた。ところが2年前に大英博物館春画展が開かれて好評を得たのを機に風向きが少し変わり、日本でも開催が企図された。さすがに国立、公立などの美術館では皆断られたが、私立の永春文庫で開かれたところ、警察の取り締まりや抗議どころか大好評だったようである。

 それらを踏まえたインタビューであったが、興味を惹かれたのは、おそらく聞き手が纏めたのであろうが、記事の結びの文言であった。

春画が長く日の目を見ることができなかったのはタブーのためではなく、自主規制という網を張り巡らせていたから。日本社会のありようにも通じるものが、よく見えました」と。

 ちょうど今テレビ局が自主規制で政府に反対する発言のあったキャスターを自主的に辞めさせる事例が続いて問題になっているが、それを象徴しているように感じられた。

 この国では以前から権力に逆らわないように気を配り、法で取り締まられたり、周囲から非難されたりするのを待たずに、自ら周囲の空気を読んで自粛する風潮がある。春画の問題なら自主規制もまだ許せるとしても、自己保全のためには正しい報道をすべきテレビ局が本来の使命よりも空気を読んで自主規制をしたり、させたりするのはいかがなものであろうか。

 こういう自主規制は世の中の空気の変化を促進することになり、ますますそれに合わせた自主規制の流れを促進させ、法的な規制を容易にし、それがさらに自主規制を促すこととなり、歯止めのなくなった流れは止めようもなく危険な方向に走ってしまう恐ろしさを秘めていることを認識すべきである。

 今の世の流れはますます昭和の初め頃に似てきている。目に見えない周囲からの圧力が日に日に強くなっているのを感じる。自主規制を些細なこと、自由に許すべきこととは見なさないで、成り行きを皆で厳重に監視し、自主規制に反対し、言論の自由を守っていくことが重要だと考える。