九州の水害の写真を見て

 先日の九州の豪雨による水害の写真を見て驚いたのは、河川の増水や決壊による被害には大量の木材が流れてきて、それが川をせき止め、家屋を押しつぶしたりするのに大きな役割を果たしているように見えることであった。

 これまでも何処かの川が氾濫したり、山崩れがあったりして道路が寸断されたり、家屋が押し流されたりした写真は新聞やテレビで屡々見さされてきたが、今度のように大量の木材が洪水と一緒に流されてきて、家屋などを押しつぶしているのを見るのは初めてではないだろうか。押し寄せてきた大量の木材はそれを取り除くだけでも、大変なように見受けられた。

 写真お見ると、木材はその多くがかって植林された、おそらく大部分が杉であろうと思われる真っ直ぐな木ばかりのようで、大量の水に押し流され、激流に流される間にお互いに擦り合わされたり、川底や石や岩にぶつかって表皮を剥がされ、まるで製材のために処理されたかのような新鮮な肌を見せているのが特徴のように見受けられた。

 こんな姿はこれまでの多くの災害の写真ではあまり見たことがなかったように思う。恐らく、かって植林され、管理され整備されていた森林が、近年の林業の衰退や人手不足のために放置され、荒れるに任されていることと関係があるのではなかろうかと思わざるを得なかった。

 詳しいことがわからないので本当の原因はわからないが、こんな新しい災害の現場の写真も、単に表面に現れた災害の様子を知らせるだけではなく、その下にある人々の社会的な営みの変化に伴う自然の変化、山林の放棄による山林の荒廃の結果をあらわに見せたくれたような気がしてならなかった。

 

第40回SUN77写真展

7月13日(木)から18日(火)まで大阪の心斎橋にあるピルゼンギャラリーで、第40回SUN77展という写真のグループ展を催しました。約300名の方に見ていただき好評でした。私の出品作品はこのようなものでした。

みな銅板に酸をかけて緑青を生じさせて作ったもので、題名は「ろくしょうの調べ」としました。こんなことをして毎年一回は展覧会もして楽しんでいます。

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家族消滅

 卒寿になって、もういつまでも生きられるわけではないので、死後のことも考えて多少なりとも「終活」もしておかねばと思い、ボツボツ身の回りの不用品や、いつの間にか溜まった古いものを整理するようにしている。

 この歳になると、整理しだすと昔の思い出のものや、思いもかけないもの、すっかり記憶から抜け落ちてしまったものなどが次々と際限もなく出てくるので、どう仕分けして整理したら良いのか頭を悩ませることになる。衣服の類や日用品、本や書類、贈答品、趣味的なものは名残惜しいものがあってもまだ選別しやすいが、一番困るのは父の時代から残っているものや、死んだ弟の遺品の類、それに長い間に溜まってきた自分や女房のの絵や写真の作品、それに絡む品々などである。多くは自分にとっては価値があっても、他人にとっては殆ど無意味なものである。

 昔なら子供に引き継いで貰って処分も先送りすれば済んだかも知れないが、現在のような少子高齢化の時代で、人々の移動の多い時代にはそういうわけにもいかない。世間一般で、他の人はどのようにしてられるのであろうか。墓は永代供養で寺に任せればまあ良いとしても、個人的な思い出の品のような物は捨てがたいが、伝えることも困難な時代になっているのではなかろうか。

 かって友人から本人を中心にして大勢の子や孫に囲まれた写真を見せられたことがあったが、もはやそんな写真を撮れる老人は稀な存在になってしまった。少子高齢化の時代には、子供のいない孤独な老人も増え、最近の新聞によると、身寄りのない老人の死後に残されたお金が合計すると何十億にもなるとか出ていた。先代のものを受け継いでいくどころではない人が多いのではなかろうか。

 私達の世代ぐらいまでは世代を超えても同じ場所に居を構え、生活を共にしている家族が多かったが、今では生活も流動的で一生の間に住居を変えたことのない人の方が少ない。昔は人口も増えるばかりで、兄弟も五人、六人といるのが当たり前。戦前の産めよ増やせよの時代には十四人も子供のいる家が表彰されたこともあった。それが今ではどうだろう。核家族さえ減少し、男女ともに独身者が増え、結婚も遅い。子供のない家も多く、いても一人だけとかいうのが普通になった。

 私の兄弟は五人いたが、次の世代は三人に二人づつの子がいるだけなので、皆合わせても六人しかいない。さらに孫の世代になるともう我が家の三人だけになってしまう。それも、三人ともにアメリカ人なので、日本にいるのは女房と私だけということになる。二人の娘が共にアメリカ人と結婚してアメリカに永住してしまっているからである。

 女房と私が死んだら日本には誰もいなくなり、やがてはこの国には何の痕跡も残さないことのなるであろう。私は人生は過程であり全ては消えゆくものと達観しているが、我が家の歴史がすっかり消滅してしまうのもちょっぴり寂しい気もする。

 私が整理しているものでも、娘のものや孫の子供時代の時代のものなどは残してやろうと思うが、自分の親の代からのものや、大部分を占める自分や女房のガラクタやその他の記念になるようなものは出来るだけ処分しておかないと、アメリカまで持っていく値打ちはないし、娘たちが処分に困るであろう。

  我が家だけのことではない。周りを見渡しても、昔と違って、どこを見ても本当に少子高齢化の時代である。あちらにもこちらにも結婚しないでもはや初老と言える歳になってしまった独身の息子や娘がいるし、子供のいない夫婦も多い。あちらでもこちらでも家族ごと消えていってしまうようである。

 遠い将来のことはわからないが、もう何年かすると、この国では少子化どころか、家族ごとすっかり消滅してしまう家が多くなってしまうのではなかろうか。その頃にはこの国の景色はどんな風になるのであろうか。私のいない世界であるが、気になるところである。来世紀ぐらいにでもなれば、この国は人口減少で、田舎は消滅してしまい、離ればなれの都会にしか人は住まず、住んでいる人も現在の日本人とは血縁的に関係のない新たな移住者が多数を占めていることになっているのかも知れない。

知っていますか。水道法改正や種子法廃止。

 今年の春の国会は森友学園をめぐる籠池夫妻や安倍首相夫人、土地の不当な安値の売却に絡む財務省の答弁、稲田防衛大臣の関与の言い逃れ、共謀罪法審議における谷田法相の拙劣な答弁ぶりに続いて前例を見ない強引な採決が終わったと思ったら、今度は加計学園の問題での安倍総理や前川前文部次官、萩生田副官房長官を巻き込んだ国会でのやり取りなど、息を継ぐ間もないほど安倍首相や自民党の傲慢な政治運営が続き、それに豊田議員の暴力沙汰、下村議員のヤミ献金などが立て続きに起こり、国会が強引に終わったと思えば、引き続いて都議選。ここでも稲田望遠大臣の選挙法違反があり、選挙の結果は自民党の大敗となって多くの人が少しばかり溜飲を下げたところではなかろうか。

 しかし、皆がそれらにすっかり気を取られていた感じの裏で、思わぬ大事な法案などがこっそりと通ってしまっていることに気がついた人は多くはないのではなかろうか。SNSに誰かが書いているのを見て驚いたのだが、表記の水道法が改正され、種子法の廃止も決まったそうである。

 そう聞かされても何のことかわからないが、水道法改正は小泉政権時代に出来、民営化して外資も参入しやすいようにしたそうだが、一向に応募するものがないので、更に外資も入りやすくするように法改正をしたのだそうである。

 水道は住民の生活の根幹に関わる必需品であり、、民営化されて値上げされても断ることが出来ないものであり、本来公的に確保すべきものであるが、上下水道や農業用水、工業用水などを含み、全体としては30兆円にもなる巨大な市場ということである。

 歴史的には南米などでアメリカ資本が入り、ほとんどは水道代が上がり、あちこちの国で問題を起こし、ヨーロッパなどで一旦民営化下のをやめて、再び公営化するという所も出てきているそうである。

 日本でも、アメリカの圧力もあって、民営化促進の波に乗ったようだが、水道事業では水道管などの維持や設備更新、補修管理などに多額の費用を要するので、応募者がなく民営化が進んででいないそうである。そこで、今回は設備の補修や更新は自治体がすることにして運営だけを民間で行えるように法律を変えたのだそうである。

 そこまで税金を使って住民にとって不可欠な水道事業を民間に委ねなければならないのであろうか。生活の基盤となるものは当然自治体が責任を持ってやるべきものと思うが、そんなことが進んでいるようでる。

 また種子法というのは米麦や主な作物の優良な種子を保存する法律であるが、遺伝子組み換え技術によって経済的に有利な作物の種子を販売して多額な利益を得ようとするモンサント社の圧力で種子の輸入の自由化を押し付けられ、そのために国内における種子保護をなくすためのものだそうである。

 この種子法廃止はTPPにも含まれていたようだが、これには経団連の元会長の米倉弘昌の会社である住友化学が一枚噛んでいるようで、遺伝子組み換え植物栽培の時に必要不可欠とされる除草剤に住友化学のものが選ばれ、これがセットとなって売られるという独占体制になっているそうである。以前にモンサント社の除草剤が用いられてきたが、その特許が切れたので住友化学と組むことになったようである。

 例えばコシヒカリのような米の種子を国として保存してきたものを自由化し、モンサント遺伝子組み換えによる作物が自由に入れるようにするものである。それを考えに入れると自民党が初めTPP反対と言いながら後で賛成に回った経緯にも関係があるのではないかとも推察される。

 国民の目の届きにくい所で、どんどん自由化が進み、国民の安全な生活の確保よりも経済的な外資の支配がじわじわと国民の基本的な生活まで入り込み、それを脅かし始めているのではないか危惧される。

 平素あまり関心がないようなニュースにも、時々は気を使って注意深く政治の動向などを見ていくことが必要なことを教えてくれている。

公然わいせつ罪か?

 新聞によると、7月8日の昼過ぎJR静岡駅の北口広場で、43歳の女性があまり暑いので急に衣服を脱ぎ、ブラジャーとパンツだけの姿になったとして、静岡中央警察署に公然わいせつ罪の疑いで現行犯逮捕されたそうである。女性はあまり暑かったので服を脱いだと供述していると書かれていた。

 それだけの記事なので、その後どうなったのかなど詳しいことはわからないが、記事だけからすると裸になったわけではなく、下着姿になっただけで果たして公然わいせつ罪になるのか甚だ疑問に感じざるを得なかった。

 街や電車で見かける最近の女性の夏姿を見てご覧。男性が羨むばかりの姿の女性が多い。中には胸と骨盤あたりだけを隠して、そのまま海岸にでも泳ぎに行くような格好をした女性もいるではないか。それと下着姿とどう違うのだろうか。最近の女性の下着はカラフルだし、フリルなども付いていたりして、下着と上着の区別もあいまいになっている。

 それに、街の場末や田舎では、男性などパンツ一枚で外に出ている人だっている。この暑い夏である。出来るだけ薄着をして熱の発散をさせ、熱中症の予防をすることも大切であろう。昔は褌だけの姿で仕事をする人さえよく見かけたものである。

 恥部を露出してことさら人の見せびらかしたりして、他人に不愉快な思いをさせたり、他人の欲情をそそのかせたりするのが公然猥褻罪にあたるのであり、衣服の自由はできるだけ広く守られるべきであり、人々の平和的な行動の自由は保障されるべきである。原則として、衣服の取り締まりを考えるべきではない。

 上の女性の件に関しては、詳しいことがわからないので的確な判断はできないが、老若男女を問わず、暑ければ服を脱いで涼む権利は最大限許容されるべきであろう。「公然わいせつ罪」は服装云々とは全く違った次元での話であることを理解すべきであろう。

格が違う

 東京都議選における秋葉原での街頭演説で、安倍首相が「安倍やめろ」などと書かれた横断幕を掲げ、反対のシュプレッヒコールをした人たちに対して、ムキになって、「こういう人たちに負けるわけにはいきません」と言ったことが問題になっている。

 聴衆は主権者である国民であり、いろいろの考えを持った人がいる訳である。テレビで見ると日の丸を振っている人もいたし、「安倍やめろ」と叫んでいる人もいたが、黙って話を聞いていた人が一番多かったのではなかろうか。

 総理大臣の選挙戦における応援演説である。当然、国民全体を対象として頭に入れて話すべきであろう。しかし、この首相は国会などでのやり取りを見ていても、すぐに対抗心が起こるのか、質問に答えず相手の弱点を攻撃したり、自分に対する野次を非難しておきながら、大臣席からさえ野次を飛ばしたりすることもある。

 従来の自民党のどの首相と比べても、傲慢で、”自分が一番偉い”と思いながらも、軽薄なのか、若手議員のごとくに、すぐに対抗心をむき出しにする。

 こう言う態度をしばしば見せられてきた上で、アメリカのオバマ前大統領の似たような場面における態度を誰かがSNSで流していたのを見ると面白かった。

 オバマ大統領が演説している途中に、反対する人が飛び込んで来て何やら反対意見をを叫んだようである。この急な出来事に、闖入者に対して聴衆の一斉ブーイングが起こり、騒がしくなって演説が中断された時、大統領が言った。「皆さん静かにしよう」「彼は元軍人のようだ」「彼の言うことを聞こう」「いろいろな意見があるのが民主主義の良いところだ」などというようなことを静かに語っていた場面が流れていた。

 日本も民主主義の国である。いろいろな意見の人がいて当然である。違った意見の人に対してその意見を聞くのではなく、「こう言う人たちには負けてはなりません」などと総理大臣がムキになって言うのは、自ら自分の器の小さいことを証明している以外の何物でもないでしょう

 オバマ大統領の態度と比べるとき、その器の大きさの違いに、改めてこの国の総理大臣の器の小ささを、国民の一人として恥ずかしく感じざるをえなかった。

昭和は遠くなりにけり

 今年はもう平成二十九年、来年には天皇退位で平成も終わり、再来年からは新しい年号が始まるようである。

 私が生まれたのが昭和三年で、それから敗戦の昭和二十年、その後の昭和は63年まで、その間は随分長い感じだったが、平成の二十九年はアッという間に過ぎてしまう気がする。昭和天皇がとうとう戦争について国民に何も言わずに死んでしまって、小渕大臣が平成と書いた紙をテレビで示し、平成元年が始まったのがつい先日のような気さえする。

 思い返してみると、私の子供の頃には明治維新や日清、日露戦争などは随分昔の歴史上の出来事のような感じがしていたが、敗戦の千九百四十五年を基準に考えて歴史を振り返ってみても、明治維新が千八百六十八年、日露戦争が千九百二〜三年、関東大震災が千九百二十三年だから、明治維新でも七十七年前、日露戦争が四十年余り前、関東大震災などはたったの二十二年前のことに過ぎなかったわけである。

 それと比べてみると戦後から今日まではすでに七十二年経ってしまっているのである。明治維新から敗戦までの大日本帝国の全史にも匹敵する長さとも言える。その中でも長い昭和の年代が六十三年に終わってからだけでもすでに二十九年経ったということになるわけである。

 平成になってから生まれた人でも、もう二十九歳という立派な大人である。そんな人から見ればあの戦争も、もう七十年以上も昔にあった古い歴史的事実ということになるであろう。実際に体験し、苦しめられた私たちの世代の者が感じる戦争と、今の若い人が感じる戦争では違った印象になるのは当然であろう。

 平成生まれの人から見れば、父の時代よりもっと前の、祖父の時代の出来事なのである。歴史で習っただけで、父母も実際には知らない過去の歴史である。戦争の悲惨さを教えられても、せめて体験者からの直接の話を聞くのでなければ、話としては理解できても、体で受け止めるような深い理解は困難であろう。

 戦争のことばかりではない。天変地異や何でもない日常の生活のことにしても、いかに伝えようとしてもせいぜい次の世代ぐらいまでで、その次の世代ぐらいになると、もはやいかに伝えようとしても、いかに真実に近付こうとしても、実際の体験者の深い想いにまでは至らず、長い経過の間に委細は消えたり、いろいろな事情が加わったりして、いかに努力しても体験者と同じ理解には達し得ない。

 最近インターネットのSNSの若い人たちの書き込みを見ても、私たちの年代の常識とはだいぶ乖離したところで話がやりとりされていることに驚かされることが多い。

 例えば、豊かな現在の生活からはもう戦前の貧しかった日本の実情を理解できない人たちが増えたのであろうか。戦前でも百姓は皆主食に米を食っていたのが当然のことと思うようで、昭和になっても飢饉があり娘を売らなければならない生活があり、この狭い日本で七千万の人口を養っていけないのは当然だろうとして移民が奨励されたことなどは理解が難しいのであろうか。

 百姓が米を食っていなかったら余った米はどうしていたのかという質問があり、呆れるよりほかなかった。私の子供の頃の体験でも、田舎ではまだ筒っぽの着物を着て、裸足で学校に行く子も多かったし、大阪の郊外でさえ小学校六年で初めて汽車を見た子もいたのである。

 どこへ行ってもボロを纏った乞食がいたし、赤痢や腸チフスで一緒の遊んでいた子が翌日にはもう死んでいたり、結核一家全滅の家などもあった。「一汁一菜百億貯蓄」という国の標語のごとくに食べ物も貧しく、脳卒中で倒れる人も多かった。学校では寄生虫の検査があり、栄養失調が問題であったなど、国民の生活は今からは考えられないぐらい貧しかったのである。

 各地の方言が薄められたのもテレビが流行ってからのことで、それまでは東北の人と薩摩の人では通訳を入れないと全く会話が成り立たないぐらいの言葉の違いがあった。

 戦前の昭和の初めはこんな世の中であった。従って、あの戦争もそんな国状の中で起こった侵略戦争であり、植民地であったわけで、今では考えられないぐらい野蛮な軍隊であり、野蛮な戦争であった。

 戦争も今ではアメリカとの太平洋戦争が主として語られるが、昭和五年の満州事変以来、上海事変支那事変と続く中国への侵略戦争が十年以上も続いた末に、それが大きな原因となって日米戦争が起こったのである。こちらは四年で徹底的にやられて負けてしまったわけであるが、中国との戦争が始めで、泥沼に入り込んだ元凶であったことも認識すべきである。

 すでに昭和は遠くなり、歴史はどんどん過ぎ去って行くが、その間に歴史は必ず後からの恣意的な歪曲が起こるもので、実際の体験者の思いが正しく伝わるものではない。

今では南京事件慰安婦問題などなかったという人までいるが、その時代にはむしろ公然と自慢にして話されていたことであり、後から歴史が改竄されたのが本当のところである。

 個々の歴史は時間の経過とともに歪められていくのは必然とも言えるが、大きな世界の歴史の流れを掴み、その中でその時代の人々がどのように生き、どのような役割を果たしたのかを新しい世代の人たちが見て、そこから未来への教訓を汲み取って行ってくれれば良いのではないかと思っている。

 「大日本帝国」が誤った道に踏み込んで、国内外に多大の犠牲者を作り、取り返しのつかない歴史上の汚点を作ってしまった事実は嫌でも自ら認め、そこから出発するよりないことを知るべきである。