老人と若者の言葉の壁

 ある老人が病院を受診し、採血してもらった時の話。若い研修医らしき医者が採血したのだが、その老人の静脈がわかりにくいのか、4回も試みたがうまく入らない。

 そこで老人がもういい加減に諦めるかというつもりで「こりゃ、そろそろ兜を脱ぐかね」と言ったところ、その若い医者には意味がわからず、兜だから武士のもの、きっともっと頑張れというのかと思って、また何度も静脈穿刺を繰り返したそうである。

 ある人がこんな話をして、この頃の若者には老人の言葉がわからないので、意思がうまく伝わらないと嘆いていた。それを聞いてすぐに思い出したのは昔、アメリカへ若い外国人の医師が大勢研修に押しかけていた頃、問診で患者が注射のことをshotといったのを鉄砲で撃たれたのかと勘違いしたことだった。アメリカでは注射のことをshotというが、shotと言えば普通は撃たれることを意味するのだから、アメリカで銃撃事件が多いことを知っている外国人にとっては、英語圏以外から来た人なら、いきなりshotと言われれば撃たれたのだと思っても仕方がなかったのかも知れない。

 それはともかく、最近の若者の言葉も老人にはわからないようなものが多い。ネットなどを見ていると、そんな言葉が溢れている。老人の皆さん、下の言葉がどれだけお分かりでしょうか。

  ネトウヨ、パヨク、特亜、ホルホル、スレ、ディスるリア充、プア充、

 それほどでなくても、神ってる聖地巡礼などはニュースを読んでいたらわかりやすいだろうが、先日、フェイスブックを見ていたら、センテンススプリングとあったのでなんのことかと思ったら、文藝春秋週刊文春が何かを暴露した記事に対する反応を書いたもので、文春なのでセンテンススプリングとなるものらしくびっくりさせられた。

 最近の若者は新しい言葉をどんどん作っているようである。正しい日本語が乱されるといって顔をしかめる人もいるが、言葉はその時その時の社会の文化によって常に変わっていくものだから、それを押しとどめようと思っても無理であろう。

 ただ願わくは変な翻訳のカタカナ文字ばかりの氾濫はいい加減のところで止めておいて欲しいものである。外国人が日本語を学ぶにあったって一番難しいのはそういったカタカナ日本語の単語だそうである。老人いとっても同じである。

 漢字混じりの従来の日本語の言葉なら、短縮されていたりして聞きなれない言葉でも、書いてあれば、漢字が表意文字なので、類推が可能であるが、変な発音の外国語から来たカタカナ文字は容易に類推しがたいこともあり厄介である。

憲法99条

 日本国憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とはっきり書かれている。

 それにもかかわらず、安倍首相は具体的に憲法9条自衛隊の存在を書き加え、2020年には新しい憲法にしたいと述べて問題になっている。

 憲法の条文の解説によると「憲法違反行為を予防し、これに抵抗する義務を課したもの」で、この規定は「内閣が、憲法を批判し、憲法を検討して、そして憲法を変えるような提案をすることを禁止している」とする見解である。

 ただ、公務員は職務を遂行するにあたり、憲法に問題点があると認識した場合にその問題点を広く国民に問いかけることを禁止しているわけではないとする見解もあるとされている。そうでなくとも、 総理大臣だからといって、もちろん憲法の具合が悪い点を変えたらどうかと思うのは自由である。

 しかし、総理大臣の執務室で、上記の様なことを言って、憲法改正の旗を振るのは憲法を尊重し擁護する国務大臣の義務に違反すると言わねばならないだろう。

    妻公私 夫総裁 使い分け   福島県 伊藤蘭

 これは朝日新聞に載った投稿川柳であるが、誰しも思う様に、いくら憲法遵守の義務のある首相と、自民党という政党の総裁を使い分けても、同一の人間である。首相にしても総裁にしても責任はその人間全体として負うものであり、個人を分けることは出来ない。同一人が片方で憲法を尊重し擁護しながら、他方で憲法の悪口を言い、その改正を期限まで示して具体的に進めようとするのは、二重人格も良いところで、明らかに憲法違反と言えるのではなかろうか。

 首相と総裁を分けるのはあくまで便宜的なもので、同じ人間が立場の違いを口実にして相反することを公言し、実行しようとすることは責任ある人間として許されることではない。

    同じ人首相と総裁使い分け憲法違反も堂々と

 憲法を改正するかどうかは公務員でない一般国民から上がってくる声を聞いて、その委託に答える代議士などがどうすべきかを考え、その上で国会の審議にかけるべきもので、公務員である政府、ましてや首相が率先して憲法改正を発議したり提案すべきものではない。

 あまりにも堂々と、憲法を護るべき総理大臣が当然のごとく憲法の悪口を言い、自分に都合の良い様に憲法を変えようとする国の未来を案じるのは私だけではあるまい。

日曜早朝の電車

  六月初め頃の日曜日、遠くに出かけるために朝五時の阪急電車池田駅から乗った。

日曜日の早朝であるから当然電車は空いていた。現役の頃は一番電車で出かけたこともよくあったが、年を取ってからは本当に久しぶりの朝の早い電車であった。

 空いている電車などでは、昔からの癖で、座ると前方の座席に座っている人や他の乗客がどんな人々なのかを一通り観察することになる。人数はそれほど多くはなかったが、日曜日なのに勤めに行くのだと思われる人が案外多いようであった。暑くなった来た季節だし、クールビスの影響もあってか背広のネクタイ姿はさすがに一人しかいなかったが、すぐ前に座っている男はジャンバーにネクタイをし、ビジネスバッグバッグを膝に置き、両手でスマホを持っていた。

 その真正面に座った人を一瞥してから、車内の様子を一巡して、最後にもう一度正面に視線を戻したが、その時驚いたのは前方のその人は先ほどから同じ姿勢でスマホは持ち続けているのだが、見るとスマホを操作しているわけではなく、指は動いておらず、目はスマホでなくて前方に向き、焦点も定まらない全く虚ろな目つきをしているではないか。

 座席に座っていつものように機械的スマホを開いたものの、急に何か嫌な事でも思い出して心ここに在らずになったのか、開いたスマホから何らかの衝撃的な情報が飛び込んできたためかは分からないが、全く虚ろな目をしたまま、しばらくそのままぼんやりじっとしている。

 日曜出勤も当たり前のような忙しい仕事の悩みか、職場の人間関係なのか、あるいは疲労困憊の結果の鬱なのか、ひょっとすれば家庭の問題でも抱えているのか、原因は何かはわからないが、その目つきは尋常ではなかった。完全なと言ってもよい虚脱状態である。スマホを取り出して見ようとしたのだが、ふとしたきっかけで嫌なことが頭に蘇り、それに囚われて、パソコンどころか、ぼうっとしてしまっているのであろう。

 それでも日曜日の早朝からの出勤しなければならないのも大変なことなのであろう。思わずご苦労さん、電車の中ぐらい何もかも忘れて、一寸の間でもリラックスして居眠りしてでも行きなはれと言いたくなる。四−五分ぐらいも虚ろな不動の姿勢が続いていたであろうか。その後ようやく気を取り戻したのか、スマホの指が動き始めたので、こちらも少しホッとした。それとともに目にもいくらか生気が蘇って来たようであった。やれやれである。

 その人以外にも、日曜なのに出勤しなければならない人が案外沢山乗っていたようである。服装から大体見当がつく。長時間労働や過重労働が問題になっているが、皆さん日曜出勤の代替休暇はちゃんと取れているのであろうか、他人事ながら気になるところである。ほとんどの人がただ座席に黙って座って目を閉じていた。

 日曜なので仕事以外に何か用事で出かける人も当然いるであろうが、時間的にまだ早いので、レジャーで出かけるような装いの人や家族連れなどはまだいなかった。ただ前方の座席の一番端に座っている人は山へでも行くのであろうか。上から下まで完璧な登山仕様である。上半身は登山帽に登山用のシャツとチョッキで身を固め、腰から下は長いスパッツの上に登山用の短パンを穿き、もちろん靴も登山靴で、登山用のリュックにピッケルまでの完全装備である。

 ただ見ると全てが新品のごとく汚れておらず整いすぎている。最近はどんなスポーツでも専用の服装をまず揃えてからことが始まる傾向が強いので、ベテランの登山家が服装を一新した可能性もゼロではないが、どうも格好は一人前だが、定年後に時間が出来たので始めたばかりの初心者なのかも知れない。今日はどこへ登山するつもりなのであろうか。「格好だけは登山家だが、まさかあの格好をしてひょっとして、六甲山へ、それもケーブルで登るわけではないだろうな」と、意地悪く密かに横の女房に囁いたのであった。

  乗客が少ないので座っていた座席の近くの人は大体見渡せたが、もう一人気になったのは少し離れたところに座っている若い女性であった。最近はまた高いハイヒールの靴が流行っているようだが、その人も高いヒールの靴を履いていた。短いスカートからすらっとした長い足を出し、両足を綺麗に揃えてじっと座っている。近頃の若い女性としては珍しいぐらい全く足も動かさないで行儀よく座り続けていた。長い足が遠くから見ていても美しかった。

 あれやこれや、日曜の早朝の電車は空いているし、当方も仕事で出かけるわけでもなく、リラックスしているので、つい何となく乗客の観察をして勝手な想像を一人で弄びながら電車に乗っている時間を楽しませてもらったわけである。

 

 なお、最近はほとんどの乗客がスマホを見ており、新聞や本を読んでいる人が少なくなっているが、その他に最近気がついたことで、革靴を履いた人が減ったことなどにも興味があるが、それについてはまた別の所で書きたい。

 

 

「共謀罪」法成立

 とうとう「共謀罪」法が成立した。正しくは「改正組織的犯罪処罰法」というそうだが、組織的な犯罪を準備段階から取り締まれるようにするもので、犯罪が起こる以前の準備段階で逮捕取り締まりを可能にするものである。

 このテロ等準備処罰法は国際的なパレルモ条約の批准のために必要だとか、テロ対策に必要で、これがないと東京オリンピックが開けないなどと政府は言うが、パレルモ条約はテロを対象としたものではなく、テロのための条文は政府の言う227の犯罪には含まれておらず、一般国民には関係がない法案だなどというが、犯罪の準備段階で取り締まることができる点では権力が人々の思想心情といった人の内面にまで踏み込むことを可能にする法案で、戦前の治安維持法に類似するものである。

 SNSなどでは、政府の宣伝に乗せられて、普通に暮らしている人には関係のないもので、テロ対策に役立つのなら良いのではないかとの意見もあるが、憲法が保障する基本的人権を踏みにじることを可能にするもので、社会のあり方が大きく影響される結果になることは間違いないであろう。

 戦後75年も経てば治安維持法の恐ろしさもすでに忘却の彼方にあるのであろうか。治安維持法も初めは今回と同じように共産党対策であり、一般国民とは関係がないと言われて成立したが、一旦成立すると、法律はどんどん拡大解釈され、監視社会となり、密告などもはやり、やがては政府に反対するものは全て検挙の対象となり、平々凡々と暮らしていた人までが逮捕される暗黒の時代になったことを忘れてはならない。

 法律は生き物であり、必ずや抜け道や恣意的な拡大解釈が行われるようになるもので、この共謀罪法も初めは慎重であっても、やがて政府の都合の良いように拡大解釈され、戦前並みの時代がやってくるであろうことは必然的と言っても良いであろう。

 今後安倍内閣憲法を改正し、軍事力を行使出来るようにするときの抵抗を抑えるための布石であり、これまでに米国の指示により進められてきた秘密保護法や安保関連法などに続いて、一層民主主義を裏切り、独裁政治を進め、戦争への道を推し進めるための一環である。これも米国の利益が背景にあるようで、スノーデン氏の警告によれば、日本の警察が市民を監視して得た情報を入手するため、すでにそのための技術システムを米国が日本に提供済みだということにも関係しているらしい。

 この法案が成立したら、本気で国外へ逃亡しなければならなくなるかもと言っていた人さえあるが、次第に戦前のような監視社会となり、物の言えない住みにくい暗い社会になっていくのではなかろうか。今後これらの法律がどのように運営されていくかにもよるが、いよいよ引き返しの効かない「右傾化」のターニングポイントを過ぎようとしているのではないかという気がしてならない。

 

犬も歩けば棒に当たる・・・オバマのギャラリー

 オバマのギャラリーといっても元のアメリカ大統領のオバマ氏のギャラリーではなく、福井県小浜市にあるギャラリーであることを最初に断っておく。8年前オバマ大統領が就任した時、呼び方が同じだというだけで一部の人が騒いで、オバマ大統領が来日したときには是非小浜にも来てもらおうという運動がされたようで、成功はしなかったが、多少は小浜市の宣伝にはなったのであろうか。

 それはともあれ、小浜市は若狭の中心都市で、江戸時代には松前船の寄港地でもあり、敦賀と並んで日本海の要衝として賑わったそうだが、明治になって鉄道が発達すると、東からの北陸線敦賀から南に下り京阪神へ向かい、西からの山陰線も豊岡から福知山の方へ抜けて、小浜はその間を結ぶ若狭のローカル線だけが通る町となり、落ちぶれてしまったようである。

 とは言え、敦賀は越前であり、小浜が若狭地方の中心都市であることには変わりなく、京都に繋がる鯖街道の出発点でもわかるように、古代より御食国(みけつくに)と言われ、京都の食文化を支えてきた町であり、浜焼き鯖寿司や小鯛のささ漬けなどの海産物や若狭塗や塗り箸などは今も有名である。

 観光スポットとしてもまだ若い頃に一度行ったことがあるが、海蝕による奇岩、洞窟、断崖を見せる海岸線が目玉の蘇洞門の観光船なども知られている。

 しかし、小浜にはわざわざ出かける用もなく、どこかへ行く途中でもないので、半世紀も以前に訪れてから後は、大阪からそれほど遠くもないにもかかわらず、訪ねる機会もないまま忘れ去られていた。

 ところが先日の夕食時に、女房がいつどこで貰って来たものか分からないが、小浜市の観光パンフレットが偶然に食卓にのっており、それがきっかけでオバマと小浜の話などが話題に上った。パンフレットには小浜市の地図まで乗っていたので、日帰りでも行けるところだし、それなら一度行ってみようということで話が纏まり、早速翌日が二人ともに都合が良かったので、早起きをして出かけることとなった。

 大阪駅から出発して京都で乗り換え、湖西線近江今津まで行き、そこからJRバスで約1時間、途中で鯖街道に入ってJR小浜駅に着いた。そこで観光マップを広げ、先ずは杉田玄白の出身地らしいので、その記念病院の前に行き、玄白像を見、近くの市役所、公民館などに立ち寄り、古い市場を通って浜焼き鯖を見たり、鯖街道資料館などを覗いて、町の駅と称するコミュニティセンターのような所に来て一休み。

 そこで再現された昔の芝居小屋(旭座)を見て、案内人の説明などを聞いてから、近くにあった狛犬の多い八幡神社にもお参りしたりした後、浜辺に近い古い町並みを散策していた。

 すると、初め私は気がつかなかったが、前を行くそこそこ高齢の女性が何度か振り返って我々を見ていたようだが、とある古い酒屋の前で、「ちょっと寄り道して行かれませんか」と女房に声をかけて来た。何でも「裏の酒蔵をギャラリーとして催し物をしているので見て行かれませんか」ということであった。

 導かれるままに建物の裏側へ入ると、裏庭を挟んで立派な古い酒蔵があり、ちょうど蔵の重い扉を開いて催し物を始めるところであった。その時点では、田舎のこのような場所での催し物だから、書画、骨董、お華の類か、あるいは細やかな工芸、手芸品といったものの展示であろうと思ってあまり気乗りがしなかったが、蔵の前まで来てしまった以上一応は覗かない訳にもいかない。

 呼び込んだご婦人は自分も出品者の一人で「お客さんを連れて来たよ」と意気揚々である。女房を先にしぶしぶといった感じで、幅の広い蔵の敷居をまたいで少し薄暗い中に入った。

 ところがそこでびっくりさせられた。展示は全て抽象絵画ばかりである。古びた蔵は内壁を剥がし、壁の芯になる古い木の柱や壁がむき出しになっており、床も外して土壁を固めている。その薄暗い古びた頑丈そうでやや荒っぽい感じの壁面とモダンな抽象造形がよくマッチしているではないか。こんな田舎でこの斬新とも言える構成はどうして出来たものか、一瞬度ど肝を抜かれたような驚きであった。

 しかも、この展示の出品や世話役の人などがおられたが、皆そこそこ高齢の方ばかりである。世話役の人も七十いくつかということであったが、ご自分の作品をまず紹介していただいた。元々は主に白黒の作品を作られていたそうだが、色が欲しくなったとかで、今回は色々な色の、色々な大きさの球体がお互いに接点でくっつき合いながら画面の横の端まで際限もなく拡がっている図で、色々違った人々がつながりながら世界の果てまで拡がっている様や願望を表現したものということであったが、老人が描いたとは思えぬ若々しさがあった。暗くて荒々しい蔵の壁面によく似合っていた。

 京都の美大を出て地元で学校の教師をしておられたようで、それなりのキャリアーを積んだ画家で、色々と作品のことから発展して、自分のことや社会、政治のことまで話が弾み、思いもかけず楽しいひと時を過ごすことができた。

 他の人の作品も結構レベルが高く、山持ちの人は自分の山から切り出した木目の綺麗な材木を組み合わせ、一部に真っ赤に塗った板をも加えた作品も強烈で面白かったし、黒っぽい板の組み合わせに木の葉などをコラージュした作品に、一点真っ赤に塗った本物の鯖の骨格がぶら下がっているのも目を引いた。

 また興味深かったのは地面にその人の奥さんのものであったろう黒と赤の帯を広げて伸ばした上に、本人が消費した幾十ともしれないタバコの空き箱を全て真っ赤に塗り込んで並べている作品も、長年の夫婦の歴史を象徴しているようで興味深かった。

 作品鑑賞の後もお茶とお菓子までいただいて話し込んだが、全く思いもかけない出会いにすっかり有頂天になってしまった。「犬も歩けば棒に当たる」といわれるが、思わぬところで、思わぬ出会いが待っているものでる。ちょっと歩く時間や場所が違っていたら、ご婦人にも会えず、完全に素通りしていたところである。偶然とは恐ろしいような有難いものである。

 もうこれだけで小浜へ来た値打ちは十分にある。満足して喜んでおいとましたら、そこへ来ていた一人が後から追って来て、私は箸職人だが今日の出会いの記念に私の作った箸のセットを貰ってくれないかというではないか。初めは一瞬箸のセットを売りつけるのではないかと思ったが、そうではなく、ただこの出会いの記念に差し上げたいだけなのだと言って、止めてあった車から塗り箸のセットを取って来てプレゼントしてくれるというおまけまでついた。本当に有難いひと時であった。

 思わぬ楽しい出会いに時間をとったので、後はもうどうでも良いという感じも手伝って、初めに計画していた展望台行きなどはカットして、海岸沿いを歩いて海の駅のフィッシャーマンズワーフや食文化センターのある築港まで行き、そこで新鮮な魚料理の昼食をとり、鯖の浜焼きを直売所で求め、あと少し街を散策してから早い目に帰途についた。

 小浜の町自体は海の駅、まちの駅、道の駅などを作り、古い町並みの保存をしたりしてそれなりに色々努力している様がうかがえたが、他に特記するほどのものは見当たらなかった。しかし、今回の小旅行は何と言っても酒蔵ギャラリーの現代アートで十分満足させられた。偶然の出会いに感謝するばかりである。

 出会った人たちには失礼にあたるかも知れないが、思うに、こんな日本海に面した場末とも言える田舎町での老人の集まりが、こんな素晴らしいことをしていることに感心させられるばかりである。最近の地方での音楽祭や芸術祭などの浸透と合わせて考えると、今やこの国でこれほどまでに文化が染み通っているのかと驚かされる。

 今や少子高齢化で人口は減り、田舎の衰退は目に余るぐらいだが、そこでこんなに染み通った文化が蓄えられ、育まれていることは貴重な財産ともいうべきであろう。人口は減り経済は衰退しても、このような文化は何とか引き継ぎ、育てて行きたいものである。

 安倍政府などは未だに夢よもう一度とばかりに産業振興、経済成長しか考えない発展を目指しているが、現実の社会を見れば、それはもはや見果てぬ夢である。それよりここらで目指す方向を変え、経済発展よりも人々の幸福や文化の豊かさを目標とする方向に将来の展望を変えるべきではなかろうか。

 今回偶然に見たこの小浜の現状だけから見ても、目先を変えれば、この国がユニークで文化的な国として、どこからも尊敬される国として発展できる道のあることを示唆してくれているような気がする。そんなことを頭に浮かべながら帰って来た次第であった。

目の見えにくいのも悪いことばかりではない

 年とともに老眼が進み、その上、まだ現役時代に患った黄斑浮腫の後遺症のため、左目は中心部分が見えないし、直線も歪んで見える。そうなると片目で見ているようなものなので、遠近感も鈍くなるのであろう。段差がわかりにくくてひっくり返ったりしやすいし、路傍に張られた鎖が見えなくて、引っかかって転倒したこともある。

 メガネをかけていてもバリラックスレンズなどでは、レンズの下方だけが近眼用になっているので、本を読んだりする時には便利だが、階段を降りる時などには丁度レンズの下方の近眼用のところで前下方を見ながらで降りることになるので、焦点が合わず見えずらくなるので、ついうっかり階段を踏み外す恐れも多くなる。

 イスタンブールへ行った際、ガラタ塔の階段を降りる時に最後の一段を踏み外して転倒した時のことが忘れられない。以来、階段を降りる時には、必ず手摺を持たないまでも、いつでも持てるように手摺に手を添わして降りることにしている。

 すぐ近くにある物でも見逃すことも多い。老眼鏡をどこに置いたのか忘れて、あちこち一所懸命に探してもどうしても見つからない。諦めかけたら何のことはない。すぐそこの椅子の上にあるではないか。茶色い椅子の革の上に同系色のメガネケースが置かれているので、見ているのに分からなかっただけであった。

 薬を飲もうとして白い錠剤を三つ机の上に出したのだが、いざ飲もうとしてコップを取り出している間に錠剤がどこへ行ったのかわからなくなってしまった。白いテーブルクロスの上の白い小さな錠剤は見つけ難いものである。

 また、遠方が見えにくいと、物がぼんやりとしか見えないので、特に薄暗い所などでは遠方にあるものを誤認したりすることになる。てっきり遠方に人がいると思って近づいたらポストであったり、標識であったりすることがあるし、時にはすれ違った知人が分からなかったりして礼を欠くことにもなる。

 目が悪いと言っても、見えないわけではないから、本も読めるし、日常生活にそれほど困るわけでもないので、このようなことが時々起きることぐらいは仕方がない、まあいいやと思っている。

 それに、中途半端な視力低下はまんざらは悪いことばかりでもない。ぼんやりとしか見えないために、思わぬ映像が思わぬ想像力を掻き立てて、思わぬ楽しみを与えくれることさえあるものである。

 川辺を散歩している時などに、てっきり水鳥だと思って見ていたら、近づいてみると流されてきて何かに引っかかっていたゴミだったというようなこともある。

 いつも通り過ぎる駅の通路の端近くに鉢に植えた植木が置かれているのだが、通る度に遠方から見ると、誰か人が少し屈み勝ちな姿勢でドアを開けようとしてしているように見えるのである。初めのうちは本当に人がいて扉を開けようとしているところかなと思ったが、度重なるうちにネタがバレているので、それからはむしろ間違って人に見えるのを楽しみながら通り過ぎることにしている。

 また、先日はある街の港で船の見える岸壁に面したレストランで食事をしていた時のことである。テラスから岸壁に係留してある船を見ると、何やら変わった船が停泊しているではないか。何か作業をしているようであったが、船体の上部の客室の部分が見たこともない変った形をしているのである。

 客室の部分が青色で天井が少し山形に膨らんでおり、客室部分を横切って端から端まで続いている窓が少し傾斜がついて斜めに並んでいるのである。こんな客室が前後に傾いて作られている船など今まで見たこともない。窓が広く大きく開いている。フェリーか何かであろうが、客室部分をこんな流線型にしてしかも傾斜をつけているのはどうした船なのであろうか。変わった船だなと思って見直して見てもやっぱりその通りである。

 これまでこんな船は見たことがない、どうなっているのだろう。食事が済んだらどうしてももう少し近くまで行って確かめなければと思いながら食事をしていた。ところが食事を済ませて外へ出て、確かめようと思って、岸壁の方向に向かって今一度見直して見ると、近くへ行くまでもなく、視線が変わったので、船の景色が変わった。

 何のことはない。停泊している船の背景に、湾の向こうのなだらかな山が見えており、丁度それが船と重なっていたのである。青い船室部分に見えたのはその山で、それを綺麗に上下に分断して並んでいた窓は、水平から少しだけ傾いたクレーンが重なっていて、その骨組みが窓のように見えていたのであった。

 分かってみたら、今度はどうしてあの山が船体に見えたのか、いくら見直して見ても、山は山、船は船で間違いようもないのだが、ぼんやりとしか見えない時には、頭が勝手に想像を巡らして、それなりに勝手なイメージを纏め上げてしまったもののようである。

 視力の悪い目には山が船の客室部分にあたり、それを横切っていたクレーンの柱が客室の窓として認識されていたのである。分かってしまえば何ということもないが、目が悪くてはっきり見えないと、かえって思わぬ想像の世界に遊ばせてくれることもあるようである。

 目の悪いこともまんざら悪いことばかりではない。それによる危険や不便さは出来るだけ避けたいが、時々はこのような偽りの映像を楽しませてくれることもあるのである。

戦後からまた戦前へ

 戦後アメリカの属国になったとは言え、平和憲法のお蔭もあって折角七十年も平和が続いて来たのに、最近の世相を見ていると、また次第に戦前の世の中に似て来ているようである。

 安倍内閣になってからこの傾向はますます強くなり、秘密保護法や安保関連法案で憲法解釈を変えてまで自衛隊を米軍の補完部隊として海外へ派遣することもできるようにし、それに続いて今度はテロ準備罪などと称して共謀罪を作り、人々の内面にまで踏み込んで捜査の出来る、まさに戦前の治安維持法の現代版とでもいうべき悪法をこしらえようとしている。国民を監視して反対勢力を取り締まるのが目的で、いよいよ政府の憲法遵守、擁護義務に逆らって、平和憲法まで改正して公然と戦争のできる国にしようとしている。

 その上、国会などでの最近の政府の対応を見ていると、もはや民主主義の国とは思えないような政府の姿勢が浮き彫りになる。森友学園加計学園問題その他の次々に起こる疑惑にはまともに答えようとせず、共謀罪の法案など十分な討議もなく、法務大臣の確固とした答弁も出来ないまま強行採決するなど、これまでにない常軌を逸した独裁政権並みの強行ぶりである。

 以前から言う様に戦争は突然始まるものではない。戦争ができる様に一段一段と準備を積み上げていって、ある点を過ぎると最早引き返し得ない点となり、それを過ぎると最後には否でも応でも戦争に突入しなければならない羽目にまでなり、戦争に突入することになるのである。先の大日本帝国に歩んだ道がこれであった。

 今のまま進めば確実に再び戦争から破滅への道に進むことになるであろう。それもそろそろ引き返しに聞かない所まで来ているような気がする。しかも、今回は大日本帝国の時代と決定的に違っている点のあることにも注意すべきであろう。

 大日本帝国は善かれ悪しかれ独立国であったが、今はそうではないことである。今の日本国はアメリカの衛星国であり、属国である。日本の自衛隊は独自では動けない。アメリカの意向により、「アメリカと緊密な連携をとって」アメリカの指揮下でなければ戦うこともできないのである。

 と言うことは、逆にアメリカに要請されれば、意思に反してでも戦わねばならない事態も生じうることを覚悟しなければならない。アメリカはアメリカの利害関係によって動くものであり、日米同盟はあくまでアメリカファーストであることも知っておくべきである。

 必然的に自衛隊は国民を守るものではなく、アメリカのために働き、それに忠実な日本政府のために働くものであることを忘れてはならない。アメリカ追随の独裁政権が嫌でも国民を巻き込んでどのような運命を辿るのか、今や重大な分岐点に来ているような気がしてならない。

 かって辿った大日本帝国時代の侵略戦争や国民の苦しみ、その悲惨な結末を経験して来ただけに、今の政権の望む未来が国民にとっていかに危険なものであるかということを理解し、力を合わせて何とか再度の破滅を避けたいものだと願わざるを得ない。。