老人と若者の言葉の壁

 ある老人が病院を受診し、採血してもらった時の話。若い研修医らしき医者が採血したのだが、その老人の静脈がわかりにくいのか、4回も試みたがうまく入らない。

 そこで老人がもういい加減に諦めるかというつもりで「こりゃ、そろそろ兜を脱ぐかね」と言ったところ、その若い医者には意味がわからず、兜だから武士のもの、きっともっと頑張れというのかと思って、また何度も静脈穿刺を繰り返したそうである。

 ある人がこんな話をして、この頃の若者には老人の言葉がわからないので、意思がうまく伝わらないと嘆いていた。それを聞いてすぐに思い出したのは昔、アメリカへ若い外国人の医師が大勢研修に押しかけていた頃、問診で患者が注射のことをshotといったのを鉄砲で撃たれたのかと勘違いしたことだった。アメリカでは注射のことをshotというが、shotと言えば普通は撃たれることを意味するのだから、アメリカで銃撃事件が多いことを知っている外国人にとっては、英語圏以外から来た人なら、いきなりshotと言われれば撃たれたのだと思っても仕方がなかったのかも知れない。

 それはともかく、最近の若者の言葉も老人にはわからないようなものが多い。ネットなどを見ていると、そんな言葉が溢れている。老人の皆さん、下の言葉がどれだけお分かりでしょうか。

  ネトウヨ、パヨク、特亜、ホルホル、スレ、ディスるリア充、プア充、

 それほどでなくても、神ってる聖地巡礼などはニュースを読んでいたらわかりやすいだろうが、先日、フェイスブックを見ていたら、センテンススプリングとあったのでなんのことかと思ったら、文藝春秋週刊文春が何かを暴露した記事に対する反応を書いたもので、文春なのでセンテンススプリングとなるものらしくびっくりさせられた。

 最近の若者は新しい言葉をどんどん作っているようである。正しい日本語が乱されるといって顔をしかめる人もいるが、言葉はその時その時の社会の文化によって常に変わっていくものだから、それを押しとどめようと思っても無理であろう。

 ただ願わくは変な翻訳のカタカナ文字ばかりの氾濫はいい加減のところで止めておいて欲しいものである。外国人が日本語を学ぶにあったって一番難しいのはそういったカタカナ日本語の単語だそうである。老人いとっても同じである。

 漢字混じりの従来の日本語の言葉なら、短縮されていたりして聞きなれない言葉でも、書いてあれば、漢字が表意文字なので、類推が可能であるが、変な発音の外国語から来たカタカナ文字は容易に類推しがたいこともあり厄介である。