日曜早朝の電車

  六月初め頃の日曜日、遠くに出かけるために朝五時の阪急電車池田駅から乗った。

日曜日の早朝であるから当然電車は空いていた。現役の頃は一番電車で出かけたこともよくあったが、年を取ってからは本当に久しぶりの朝の早い電車であった。

 空いている電車などでは、昔からの癖で、座ると前方の座席に座っている人や他の乗客がどんな人々なのかを一通り観察することになる。人数はそれほど多くはなかったが、日曜日なのに勤めに行くのだと思われる人が案外多いようであった。暑くなった来た季節だし、クールビスの影響もあってか背広のネクタイ姿はさすがに一人しかいなかったが、すぐ前に座っている男はジャンバーにネクタイをし、ビジネスバッグバッグを膝に置き、両手でスマホを持っていた。

 その真正面に座った人を一瞥してから、車内の様子を一巡して、最後にもう一度正面に視線を戻したが、その時驚いたのは前方のその人は先ほどから同じ姿勢でスマホは持ち続けているのだが、見るとスマホを操作しているわけではなく、指は動いておらず、目はスマホでなくて前方に向き、焦点も定まらない全く虚ろな目つきをしているではないか。

 座席に座っていつものように機械的スマホを開いたものの、急に何か嫌な事でも思い出して心ここに在らずになったのか、開いたスマホから何らかの衝撃的な情報が飛び込んできたためかは分からないが、全く虚ろな目をしたまま、しばらくそのままぼんやりじっとしている。

 日曜出勤も当たり前のような忙しい仕事の悩みか、職場の人間関係なのか、あるいは疲労困憊の結果の鬱なのか、ひょっとすれば家庭の問題でも抱えているのか、原因は何かはわからないが、その目つきは尋常ではなかった。完全なと言ってもよい虚脱状態である。スマホを取り出して見ようとしたのだが、ふとしたきっかけで嫌なことが頭に蘇り、それに囚われて、パソコンどころか、ぼうっとしてしまっているのであろう。

 それでも日曜日の早朝からの出勤しなければならないのも大変なことなのであろう。思わずご苦労さん、電車の中ぐらい何もかも忘れて、一寸の間でもリラックスして居眠りしてでも行きなはれと言いたくなる。四−五分ぐらいも虚ろな不動の姿勢が続いていたであろうか。その後ようやく気を取り戻したのか、スマホの指が動き始めたので、こちらも少しホッとした。それとともに目にもいくらか生気が蘇って来たようであった。やれやれである。

 その人以外にも、日曜なのに出勤しなければならない人が案外沢山乗っていたようである。服装から大体見当がつく。長時間労働や過重労働が問題になっているが、皆さん日曜出勤の代替休暇はちゃんと取れているのであろうか、他人事ながら気になるところである。ほとんどの人がただ座席に黙って座って目を閉じていた。

 日曜なので仕事以外に何か用事で出かける人も当然いるであろうが、時間的にまだ早いので、レジャーで出かけるような装いの人や家族連れなどはまだいなかった。ただ前方の座席の一番端に座っている人は山へでも行くのであろうか。上から下まで完璧な登山仕様である。上半身は登山帽に登山用のシャツとチョッキで身を固め、腰から下は長いスパッツの上に登山用の短パンを穿き、もちろん靴も登山靴で、登山用のリュックにピッケルまでの完全装備である。

 ただ見ると全てが新品のごとく汚れておらず整いすぎている。最近はどんなスポーツでも専用の服装をまず揃えてからことが始まる傾向が強いので、ベテランの登山家が服装を一新した可能性もゼロではないが、どうも格好は一人前だが、定年後に時間が出来たので始めたばかりの初心者なのかも知れない。今日はどこへ登山するつもりなのであろうか。「格好だけは登山家だが、まさかあの格好をしてひょっとして、六甲山へ、それもケーブルで登るわけではないだろうな」と、意地悪く密かに横の女房に囁いたのであった。

  乗客が少ないので座っていた座席の近くの人は大体見渡せたが、もう一人気になったのは少し離れたところに座っている若い女性であった。最近はまた高いハイヒールの靴が流行っているようだが、その人も高いヒールの靴を履いていた。短いスカートからすらっとした長い足を出し、両足を綺麗に揃えてじっと座っている。近頃の若い女性としては珍しいぐらい全く足も動かさないで行儀よく座り続けていた。長い足が遠くから見ていても美しかった。

 あれやこれや、日曜の早朝の電車は空いているし、当方も仕事で出かけるわけでもなく、リラックスしているので、つい何となく乗客の観察をして勝手な想像を一人で弄びながら電車に乗っている時間を楽しませてもらったわけである。

 

 なお、最近はほとんどの乗客がスマホを見ており、新聞や本を読んでいる人が少なくなっているが、その他に最近気がついたことで、革靴を履いた人が減ったことなどにも興味があるが、それについてはまた別の所で書きたい。