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犬か赤ん坊か

 私の子供の頃には犬は外で飼い、猫は家の中で飼うのが普通であった。それが当たり前だったことは童謡でも「雪やこんこんあられやこんこん、降っても降ってもまだ降り止まぬ。犬は喜び庭駆けまわり、猫は火燵で丸くなる」と歌われていたことでもわかる。

 当時は飼い犬は番犬としての役割が大きく、秋田犬のような芝犬の系統のものが主で、庭の犬小屋で飼われ、外来者が来ると吠えて来客を知らせるような役割を担っていることが多かった。用心が悪いので犬を飼おうとする人などもいた。大抵は残飯などで養われていた。

 ところが最近はどうも犬も家の中で飼われることの方が多くなり、番犬というより愛玩用のペットとして飼われることの方が多いらしく、それに伴って犬の種類も小さなポメラニアンとかチワワのようなものが主になり、まるで家族の一員のような扱いで可愛がられているようである。名前も「ぽち」とか「クロ」など呼び捨てでなく「ちゃん付け」か外国風のカタカナ名で呼ばれるのが普通である。

 餌ももちろん残飯のようなものではなく、専用のドッグフードが当たり前で、犬の愛玩用のおもちゃまである。飼い主と一緒に食事をして、飼い主のおかずを分けてもらうことさえあるらしい。可愛いさ余ってもう人と犬の区別もつかなくなる人もいるようで、いつかびっくりしたのは、飼い主の女性がソフトクリームを買い、自分で少し食べてから「**ちゃん」と言って犬に一口舐めさせて、その後また自分で食べているのを見たことがある。

 また外へ散歩に連れて行くにも、服を着せたりしているのもよく見かけるが、近頃はドッグウエアとして売っているようである。ごく近くの散歩なら良いが、少し遠くまでとなると、小さい犬では人間と同じように歩かせては可哀想と思うのか、テンポが合わないので自分が困るからか知らないが、子犬を抱いて散歩している人もよく見かける。乳母車に犬を乗せていく人も時々いる。

 先日家の近くの道路で見た光景も面白かった。最近は赤ん坊をおぶる習慣がなくなって、大抵前に抱くのが普通になったが、寒い時期だと、皆オーバーを羽織ってその中にあったかそうな衣類で包むように抱いており、赤ちゃんの頭だけがかろうじて見えるぐらいのことが多い。そんな格好の人を追い越した時、何んの気もなしにふと見ると、抱かれているのは赤ちゃんではなく犬だったのでびっくりした。可愛いワンちゃんともなれば、寒かろうと思って赤ん坊と同じように暖かくしっかりと抱いていたのであろう。

 そう思って歩いていると、少し後でまた同じような場面に出会い、ひょいと見るとその人もまた犬を抱いてるではないか。こんなに皆が赤ん坊のごとくに犬を抱いているのかと更にびっくりしたが、この場合はよく見ると毛羽立った厚手の帽子に動物のような耳がついたのを赤ん坊に被せていたのであった。人かと思えば犬、犬かと思えば人ということであった。

 同じ犬でも昔と今では飼われている条件はまるで違っている。犬も人ももう昔のことは知らないだろうが、あれだけ可愛がられていて、犬の人に対する忠誠心のようなものは今も昔も変わらないものであろうか。忠犬ハチ公は今でもいるのだろうか。警察犬や盲導犬などは当然忠実であろうが、愛玩用のあんな小さな犬では、どうやって忠誠心を示すのであろうか。

 愛玩用の子犬は年寄りや単身者などの孤独は癒してくれるであろうが、私の好みは飼うならやはりもう少し大きな活発な犬である。それにしても最近見かけたヨボヨボの老人が老犬を連れて共にトボトボと歩いている姿は最近の世相を反映しているようで何か哀れであった。今は犬の安楽死なども囁かれているようである。