読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

死に損ない

 先月の24日で満87歳になった。もう平均年齢もはるかに超えているのでいつ死んでも恥ずかしくない年齢である。いつまで生きるかは天命に任せるより他はないが、余命は長く生きることより死ぬまでを楽しむことが大事だと思っている。

 一番避けたいのは身体不自由や認知症になって、他人の世話にならねば一人で日常生活さえ出来ないような中途半端になことになってなおも死ねない状態である。ピンピンコロリというが、以前から心筋梗塞にでもなってコロリと死ねれば幸いで、周囲にもそう言いふらしていた。

 そうしたらその心筋梗塞がが本当ににやって来たのである。ただし、思いの通りになったと言っても、心筋梗塞でコロリと逝けたのは昔の話で、今はそう簡単に死なせて貰えない。今では救命救急医療も進歩し、心筋梗塞で急激な症状が出てショックになっても多くは助けられ、命を落とす確率は随分小さくなってしまっているのである。それにどうも心筋梗塞で急にあの世に逝くには少し歳も取り過ぎてしまっていたようである。

 昔から年寄りの心筋梗塞は糖尿病の人とともに梗塞が起こっても症状がはっきりしないことが多いと言われてきたが、この度も”しんどい”ぐらいの症状しかなく、発作がいつ起こったともはっきりと断定できないようなことで、華々しい劇的な出来事が起こったわけではないのである。したがって、これではコロリと逝くわけにもいかない。

 経過を話せばこうである。毎月一回朝早く箕面の駅から滝までの2.8キロを速歩で往復するのを習慣にしていたが、7月12日最後に行った時、駅から歩き始めて四、五分ぐらい経った頃に軽い喉が詰まるような感じを初めて感じた。しかし何か変だなと思いつつそのまま歩いているとやがて症状も消えてしまったので、いつものように滝まで行って戻ったが何も別状はなかった。しかしその時ふとこれは軽い狭心症ではなかろうかという思いが頭をよぎった。

 それきりであとはなにも変わりがないのでそのままいつもの生活が続いた。月末には九州へ旅行もして、結構坂道も上がり下がりしたが何の症状もなかった。8月に入ってからも2日は産業医の研修で1日中缶詰めだったし、3日も朝のうち膝を悪くした女房のかわりに銀行や郵便局を回り、午後は約束通りに谷町の合同庁舎まで産業医の仕事で行った。谷町4丁目の地下鉄から中央大通りへ出る長い階段も息切れもせず普通に登り、込み入った相談事をこなして普通に帰宅した。

 胸が苦しいとか喉の詰まるような感じ、息苦しいとかいうこともなかったが、ただ後から考えて強いて言うならば、普通は胸よりおなかの微妙な変化を感じやすいところがその日は胸の方への意識が優先するとでも言った感じであったと言えるかも知れない。3日の夕方帰宅した後も階段を上がっても平気だあったが、ただ”しんどい”気分ですぐ横になりたい感じがし、何か普通ではない感じがした。

 先に狭心症ではないかと疑ったことを覚えていたのでこれは心筋梗塞ではないかと疑い、近医で心電図でもとって確かめて貰った方が良いかなと思ったが、決心がつかないままその夜はそのまま寝た。

 暑い夜だったが比較的よく眠れた。しかし翌朝もなんだか”しんどい”感じが続くので、これはたとえ心筋梗塞でなくても、この際、近くに主治医を拵えてこちらの体の状態をあらかじめ知っておいてもらっておいた方が、いざという時に死亡診断書を書いてもらうにしても都合がよいのではと思い近医を受診することにした。女房が高血圧で通院しており、私もインフルエンザの予防注射をして貰っていて顔なじみの医師の診療所に住民検診も兼ねてということで訪れた。

 私は80歳までは職場の関係の定期健康診断を毎年受けていたが、何もひっかかる項目がなかったし、超高齢になれば早期発見早期治療の意味も少なくなるので、それ以後は定期検診は受けないことにしていた上、自分で何の症状もなく、健康保険証も使ったことがないので、近医とは顔見知りでも、これまで一度も診察を受けたことがなかったからである。

 こうして診療所で診察を待っている間に「住民検診からやりましょう」ということで、まず検尿などを済ませて心電図をとって貰ったところで、看護師さんが電極をそのままにして先生を呼びに行くではないか。

 これは怪しい。やっぱり心筋梗塞かと思って寝たままで頭をひねって心電図をちらとみると、チラと見ただけでもすぐわかる典型的な心筋梗塞の心電図である。やっぱりそうだったのか。

 やがて先生が来て心電図をみるなり「これは即刻入院ですよ」と言われた。もうこうなるとあとは相手に任せるより他ない。普通に歩いて来たのに急に重病人に変身し、じっと寝させられ、救急車が来て担架に乗せられ、ジタバタすることも出来ないまま救急車で病院に運ばれてしまった。

 着いた先は国立循環器病センターというこの道第一の病院である。一度ここへ入ってしまえばもう後はこの病院のルールに従って処理されるのに身を任せざるを得ない。救急外来からCCUへ、さらにはCCU病棟へと移り、有無を言わさず、その日のうちに腕から冠動脈にカテーテルを入れられ、閉塞した血管は吸引され、拡げられ、ステントを入れられた。こちらはもう人格を殺し物体となって統計と技術による治療に身を任すのが唯一の選択肢であった。

 かくして死に損なったわけである。心筋梗塞でもそう簡単には死ねないことを体験させられたというところであろうか。あの日医者にも行かずに放置していたら、おそらく”しんどさ”が増してやがて心不全となり、息苦しくなって何処かへ運ばれることになっていたのであろうが、それでもそう簡単には死ねなかったであろう。苦しむ期間が長くなっただけではなかろうか。

 さすがに進歩した医療のおかげで、今回はステントを入れた後も何の症状もなく、痛みも苦しみも何も感じないまま経過し、病室に閉じ込めらているのが苦痛に感じられたぐらいで、一週間で退院となった。嬉しいような悲しいような。もう自覚的には以前とほとんど変わりがないので、自信をつけるためにあえてタクシーを使わず、公共交通機関を使って家まで歩いて帰った。

 退院翌日の今日ももう以前と何も変わらず暑い書斎でこの文章を打っているわけである。命拾いというより死に損ないといった方が良さそうな老人であるが、あと何年先のことになるか分からないが、死因は心筋梗塞心不全かということになる可能性が強くなったし、女房より早く死ねる可能性も増えたし、それまでせいぜい余生を楽しませてもらおうと思っている。

     !! Dum Vivimus Vivamus !!