映画「主戦場」

「主戦場」という映画を見た。戦時中の「慰安婦問題」に関心を持った日系アメリカ人のミキ・デザキ氏が、関係する色々な人の当たって直接話を聞いて、実態を知ろうと試みたドキュメンタリー映画である。

 監督、撮影、編集からナレーションまで全て一人でこなし、強制連行が本当にあったのか、性奴隷とも言われるが、奴隷のような状態であったのか、単に売春婦でお金をもらって生活していただけじゃないのかなどと言われる中で、本当のところを確かめたいとしたもので、判断は見た人に任せようという立場で作っている。

 右翼の櫻井よしこ杉田水脈ケント・ギルバート、吉見義明、渡辺美奈などといった、この論争の中心人物たちを訪ね、カリフォルニアの慰安婦像を作った市の責任者などにも当たって、それぞれの意見を聞いており、中々興味深い映画に仕上がっている。

 ただもう現実にそれがあった時代に生きていない人ばかりなので、当時生きていてその頃の社会の現実を見てきた私などからすると、歯がゆく感じる点があるのは止むを得ない。

 はっきり書かれた証拠がないとか、証人の言っていることに矛盾があるからとかで否定したりしていることが多いが、もう70年以上も前のことになるので記憶も曖昧になり、矛盾したことも出てくるであろうし、残されて都合の悪いような書類は敗戦時に大量に燃やして捨てられたし、「裏の世界」の出来事なので、初めから正規の手続きや書類などもなく、闇から闇で取引されたことが多いので記録として残っているものも少ない筈である。

 それをよいことに実際を知らない人が、現在の社会の自分の基準で言えばそんなことはあり得ないので、当時も同様にあり得なかったのではと考え易い。そこに政治的な思惑が重なってくるので、自分らに不都合なことはなかったことにしたい心情が加わり、余計に誤った判断になりやすい。

 櫻井よしこにしても以前は慰安婦に強制連行があったと自分でも書きながら、後になって否定しているような矛盾が見られる。

 当時の社会の雰囲気の中にいた私から見れば、、朝鮮人や中国人はチョウセンとかセン人、チャンコロと言われて卑しめられ、一級下の人間として扱われていたことを知っているし、女性の立場は今では考えられないぐらい低かったことも事実である。その上、当時の日本の軍隊が如何に社会の中で幅を利かせていたかを考えれば、今の常識では考え難いようなことも、当時では当たり前のように行われていたという事実も受け入れなければならないであろう。

 性風俗も今とは異なり、遊郭もあり、貧しい農村などでは娘を売る風習もあった。出征兵士に女を抱かせるのが餞別であったし、戦地では必ず後方陣地に慰安所があるのが普通であった。慰安所は将校用と兵隊用は別で、兵隊用も階級順のようなもので、順番待ちの行列ができていたとか。帰国してきた兵隊たちから半ば自慢話のように戦地における残虐行為や

慰安所の話がされたものであった。

 そのような時代背景を通して考えると、誰も戦地の慰安所には行きたくないが、需要が大きく慰安所の設置が不可欠となると、集めやすいところから力ずくででも集めてこのければならない必然性が高まることになる。

 慰安婦問題はそうした前提条件の上で、被害者の生の証言を尊重して、真実を追求すべきことであろう。強制連行や性奴隷といったことがどれだけ実態を反映しているかどうかは詳しくはわからないが、客観的な状況から考えれば被害者の生の声は少なくとも真実の近いと考えざるを得ない気がする。私からすれば、当時当たり前とされていたことが、そんなことはなかったと言われている感じである。

 しかもこの問題は日本の侵略戦争という歴史的な大きな事実の中で起こった女性の悲劇であったことを考えれば、外国での慰安婦像建設も理解できるし、たとへ小さな認識の違いがあるにせよこの慰安婦問題に関しては、日本が国として責任を負うべきは当然であろう。

モノからコトへ

 「モノからコトへ」というのは、主としてマーケッティングの世界で言われる言葉らしく、モノが豊かになり競争が激しくなったところでは、更にモノを売るには単にモノを売るだけでなく、人々が好みや楽しみを満足させるコトのために求める商品作りが必要だというような意味で使われることが多いようだが、最近では、商売を離れた一般の生活様式にもその傾向が顕著になってきている。

 一昔前までは若者はお金の工面をしてでも、新車を買って女性を誘ってドライブに行くとか、他人の持っていない高級時計だとか、カメラを買ったりして自慢するとか、モノに対する欲求が強かったが、最近の若者は車を買うよりレンタカーで済ませ、生活を切り詰めてでも、それぞれに自分の好きなコトに金を使って、生活を楽しむ傾向が強いようである。

 戦後の何もなかった時代から、経済復興、高度経済成長の「会社の時代」にはモノを作ることだけが目的のごとくに、社会にモノが供給され、多いこと、大きいことが良いことで、会社人間には自分の生活の豊かさを顧みる余裕はなかった。必要なモノを手に入れることが全てで、それに伴うコトはモノに付随するものに過ぎなかった。お金にならない趣味などは片隅に追いやられたり、忘れ去られていたと言っても良い。

 しかし高度な経済成長期を経て、物余りの時代や、バブルの崩壊などを経験すると、人々は漸く精神的な貧しさに気付かされ、今度は最低限の生活が確保されさえすれば、有り余るモノよりも、自分のしたいコトに惹かれることになっていったのであろう。

 時代の変化に敏感な若者たちに、こういう変化は先に起こるからであろうが、我々からすると孫の世代に当たる若者たちを見ていると、そんなことをしていて将来どうするつもりなのだろうかと心配するような生活をしている人が多い。

 音楽に打ち込んで、バンドを組んで金にもならないあちこちでの演奏を続けている人もいるし、変わった絵を描いてあちこちで個展を開いているが、あれで食っていけるのか心配になる人もいる。その他にも落語家になったり、いつまでもボランティアのようなことばかりしているとか、孤島に住み着いてダイビングなどに興じていたり、山が好きで山小屋に住んでガイドをしているとか、いろいろいる。

 時代が変わり、社会も変化して我々の知らない今後の時代を生きていく若者たちなのだから、おせっかいに我々の時代の基準を押し付けない方が良いのだろうが、それでもやはり気になる。

 こういう傾向は若者に限ったことではなく、最近では社会一般の傾向としても広がってきているのではなかろうか。団塊の世代が定年を迎えるようになってきてからこの波は老人社会にも次第に押し寄せてきているように思われる。

 老人こそ、もはや断捨離の時代で、物欲の時代は過ぎているのである。定年退職などで仕事を辞めてしまうと、今更新しいものを買う必要も意欲もなくなる。必然的に関心はモノよりコトに向かわざるを得なくなるのであろう。それまで出来なかった旅行をしたり、何か趣味を始めたりすることになりやすい。

 世間の様子を見ても、随分変わってきたことに驚かされる。まだ10年ぐらい前には音楽会などに行っても、来ているのは女性ばかりで、わずかな男性は白髪頭やハゲ頭の人ぐらいで、若い男性は関係者以外は皆無といったのが普通であったが、ここ数年の間に急速に変わってきた感がある。

 最近、近くの小ホールで室内楽の演奏会を聴きに行ったが、満席の五〜六十人 の会で、平日の午後ということもあったが、来場者は老人ばかりで、男性も結構多かった。近くの別のホールへ行った時も同様であったし、私の絵のグループに新たに加わったのも定年過ぎの男性である。ツアー旅行に行っても、以前より男の老人が増えているようである。

 今や旅行やスポーツ、ハイキングや登山、書画工芸、音楽、芸能その他ボランティア活動なども含む、あらゆる方面で、それぞれの人がそれぞれに自分にあった趣味に打ち込み、自分の人生を豊かにしていることこそ、この国の文化であり、平和な国の象徴とも言えるのではなかろうか。

 若者も年寄りも含めて、社会がモノの時代からコトの時代になったことは、この時代の貧困化とも無関係ではないかも知れないが、それだけ社会に文化が定着してきたことを示すものでもあり、これも平和な時代が続くからこそ可能になったものであろう。我々戦中戦後を経験した者にとっては、今を知らず、あの時代に死んでしまった人たちに申し訳ないような気がしてならない。

 もう後は次の世代のことになるのであろうが、この国では、今また周辺国の脅威を煽り、軍備を増強し、国内世論に圧力をかけて、戦前復帰のような雰囲気が意識的に増強されてきているが、折角定着しかかって来ているこのコトの時代を大切に守り育てていくために も、戦争に反対しあくまで平和を守っていくことが必須である。

 我々の先輩たちが、短命に終わった大正デモクラシーを懐かしがった、あの長い惨めな戦争の時代を、決して再び繰り返すことのないようにして貰いたいものである。戦争はモノもコトも全てを破壊してしまうものである。

気になる「令和」の字

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   先に新元号の「令和」を菅官房長官が発表した時、テレビで見ていて、「令和」の「令」の字が気になったので、その時のブログにも載せたが、最近見ていると「令和」の文字をそれに倣って書かれているものをしばしば見かける。

 小さいことだが、初めて見た時から気になって仕方がないのは、「令」の字の最後の縦線の終わりを跳ねていることである。今は漢字の細かい点には寛容で、跳ねても跳ねなくても、どちらでも間違いではないが、最後の5画目の縦線の下を跳ねる日本語の書き方は見たことがない。4画目の鈎状の終わりを跳ねて、5画目の最後もまた跳ねることはないだろう。

 どうでも良いのかも知れないが、4画目、5画目の両方を跳ねているのは活字体には勿論ないし、筆記体でも見たことがない。両方とも下で跳ねられていると、見た目にも格好が悪い。やはり5画目は下で抑えて止めるか、細く引っ張って浮かして止めるかであろう。

 政府として示す字なので、どうしてもこれが正しい元の文字だということになり、これを真似た書き方が出てくると嫌だなと、その時思ったのだが、案の定この頃この文字があちこちで見受けられる。

 活字にはそのような文字はないので問題はないが、上の写真のように送られてきた旅行会社のパンフレットにも同じ文字が印刷されているし、近くのギャラリーで最近された展覧会でも同じ文字が飾られていた。

 官房長官の示した文字のコピーをそのまま使っているのかも知れないが、このあまり格好の良くない文字を誰が書いたのか知らないが、出来るだけ見せて欲しくない。政府が最初にこれだと示した文字なので、どうしても一番正しい文字の手本だということになり兼ねない。この見苦しい文字が流通すると、何だか政府の権威を落とすようで、恥ずかしい気がするのは私だけであろうか。

 

 

 

公衆トイレ考

 最近の日本の公衆トイレはどこへ行っても本当に綺麗になった。何処だったか忘れたが、田舎の、それも山を登った所の、神社だったかの広場にある公衆トイレに入ったことがあったが、そこにもウオッシュレット付きの便器が備え付けられていることにびっくりしたことがあった。

 ただ、都会の駅や劇場などの人の集まる所のトイレでは混雑することが多い。そういう所ではあらかじめ多くの人の利用を考えて、便器も多く用意されているのだが、いくら多く用意してあっても、時間的に利用者が偏って集中するので、順番待ちの長い行列を見ることが多い。

 男子の方はスムースに捌けて、個室は空いたままなのに、女子の方には長い列が出来るのが普通である。いつかテレビだったかで中国の新しい公衆トイレでは、トイレを全て個室にして、男女の区別をなくし、一列で順番に入るようにしたという例が出ていたが、日本でもその方式を利用したらもう少しスムースに捌けるのではないかと思ったが、如何であろうか。

 ただ、最近見ていると、男子トイレでもオープンな方が空いていても、個室の方に順番待ちの列が出来ているのを見る機会が多くなったきた。朝自宅で用を足さずに出かけてくる人が多いのか、ストレス社会で何回もトイレ通いをしなければならない人が多いのか、、理由はわからないが、男子トイレに並んだ人をすり抜けて、朝顔型の便器に向かわねばならないことが多くなった。

 あるいは老人が多くなって、個室を利用しなければならない人が増えたとか、小用も個室でなければならないの若者が増えたことが関係しているのではという人もいるし、ひどいのは、最近聞いた話だが、個室が快適なので用が済んでも中でスマホに夢中になっている人がいるらしく、他人に迷惑をかけていることを知るべきだと怒っている人がいた。

 そうなると個室をあまり快適な空間にするのも問題があるかも知れない。アメリカなどでよく見られるように、個室の下の部分に壁がなく、足先が外から見えるような構造にでもして、あまり長くは快適に止まれないような工夫も必要になるのかも知れない、

 色々と変わった雑多な人もいる大衆が利用するのが公衆トイレである。誰にでも喜んで貰えるトイレを作るのは大変であろう。それでも排泄行為は人にとって必要不可欠のものであるとともに、公衆衛生の問題も絡むので、やはり色々と工夫して、利用しやすい清潔な場所にしていくべきであろう。

変わる日本語

 最近流行っているカタカナ語については以前にも触れたが、その後も毎日のようにSNSだけでなく、新聞やテレビなどまで、何かの短縮形のような短いカタカナ語が次々と出てくる。

 それらは英語などの外来語由来や、それと日本語とのちゃんぽんになった造語などを端折って作ったカタカナ語なので、突然言われても、由来が分からなければ何のことか理解不能のことが多い。

 おそらく、SNSなどによる文字情報のやり取りから、出来るだけ入力の手間を軽減するために、漢字が避けられ、かな文字が優先され、短縮形が用いられるようになったことに関係があるのであろう。

 しかし、始終利用している人にとっては符牒のようなものなので、それでも十分伝わっているのであろうが、初めて出くわした部外者にとっては、何のことかさっぱりわからないことが多い。

「バズる」とか「ディスる」と言われても意味不明である。「バズる」とはSNSなどで、何かの話題が短期間に爆発的に広がることを言うそうだが、英語のbuzzから来ているようである。buzz には「噂話などでガヤガヤ騒ぐ」といった意味合いの用法がある。

 「ディスる」の方はdisrespectから来ているらしく、相手を否定する、または侮辱することなどを意味する表現だそうである。こういう説明を聞けば分かるが、いきなり言われても老人などには分かる筈がない。

 ただ多くのカタカナ語は日本語化した外来語を短くしたものが多いので、その積もりで見れば、容易に想像できることが多い。

 フリマ、フリペはフリーマーケット、フリーペーパーとすぐ分かるし、ゲーセン、パソゲー、スポクラ、ネカフェ、クレカ、ロリコンタワレコドラレコなども同様である。(順に、ゲームセンター、パソコン・ゲーム、スポーツクラブ、ネットカフェ、クレジットカード、ロリータ・コンプレックスタワーレコード、ドライブ・レコード)

 しかし、聴き慣れていないもので、すぐには分かり難いものもある。ラノベロンバケ、ワンピはそれぞれライト・ノーベル、ロング・バケーション、ワンピースのことである。少し特殊なところでは、トレステはtrade stationのことで、ハイデフはhigh definitionのことだとわかる。

 更には、日本語とちゃんぽんになった言葉の短縮形もあるので注意が必要である。オワコン、レンチン、サラメシ、コミュ力は 終わったコンテンツ、レンジでチン、サラリーマンのメシ、コミュニケーション力の略である。

 もっと難しいものもある。「ヒュッげな」とか「キッチュな」と書いてあっても分からない。前者はデンマーク語 のHyggeから来ているもので「気持ちの良い、快適な」といった感じの言葉のようで、後者はドイツ語のkitsch由来で、「俗悪なとか、まがい物」といった意味である。

 最近では、ますますこのようなカタカナ語が日本語の中に取り込まれて使われるようになってきている。漢字の略語なら表意文字なので構成している語からある程度どのようなものかを想像することも出来るが、表音文字では単語として知らなければ想像もし難い。外国人が日本語を学ぶ時に一番難しいのは漢字ではなく、カタカナ日本語だというのもよくわかる気がする。

 これらの現在流行中のカタカナ語も時代とともに消えていってしまうものも多いであろうが、日本語の大きな変化の趨勢は変わらず、このようなカタカナ語混じりの日本語も次第にが定着していくのではなかろうか。

 明治時代に英語が入ってきた時には、それを日本語に翻訳した言葉を作ることが多かったが、最近は翻訳せずに、カタカナに置き換えて、そのまま日本語として使うのが主流になり、従来から日本語である言葉までが英語からのカタカナ語で使われることすらあり、カタカナ英語は次第に日本語の中に深く広く定着していきつつあるようである。

 もう50年〜100年先には日本語はどのようになっているであろうか。我々がもはや江戸時代の大衆本の続けて書かれた変態かなの文字が読めないように、現在の漢字混じりの日本語の本は読めないのが普通の時代になっているかも知れない。

平成から令和へ

 10連休でまるで年末年初の様な感じだが、5月1日の新聞はひどかった。天皇の退位の儀式を中心にして天皇の交代の記事ばかりで、あとはスポーツ記事で普通の記事が殆どないといった感じ。まるで世界は他には何事も起こっていない様な感じである。

 おかしいなと感じたのは私だけではあるまい。令和の年号を決めるのに安倍首相が音頭をとって大騒ぎしたが、年号が変わったからといって急に世の中が変わるはずもない。年号と西暦の併用は煩わしいだけである。外務省でさえ西暦だけにしようという動きがあったぐらいである。

 それに今度は天皇の退位や即位の一大イベントで、社会に大きな負担をかけることがわかりながらの十連休である。新聞やテレビで囃し立てて、国民をお祭り騒ぎに駆り立て奉祝ムード一色で、モリカケやカケイ、それに統計不正問題などの忖度政治をいっぺんに忘れさせ、まるで新しい時代が来るかのような幻想を抱かせる仕掛けである。

 戦争に反対し、憲法を守り、沖縄に心を寄せる平成天皇がいなくなり、新しい天皇を迎えて、新しい時代がやって来るというムードを盛り立てて、新しい時代に合わない古い憲法はもう変えましょうというムードを作って行きたいのであろう。政府の世論操作に多くの国民が乗せられているようで恐ろしい。

 そのためか、テレビなどが折角平成を振り返る番組を一斉に流しているのに、自然災害の多かったことや、少子高齢化、経済の停滞のことは放送しても、原発事故や沖縄の基地問題などについては忖度なのか、意識的に殆ど触れないようにしていたのが気になった。

 これからは、政府や日本会議神社本庁など右翼が新しい天皇を取り込んで、戦前に逆戻りするような世界にしようとする動きが強くなるのではなかろうか。多くの国民の願いを踏みにじって、政府が憲法改正へ向けての勢いを増してくる恐れに十分注意すべきであろう。

平成はどんな時代だったか

 小渕官房長官が平成と書かれた紙を掲げて平成の時代が始まったのをつい先日のことのように記憶しているが、それから瞬く間に30年も経って、今度は令和の時代だという。

 世界中で年号を用いている国は今では日本以外にはないし、日本の外務省ですら、公式文書は西暦に統一しようという話が出たぐらい、年号を使うのは煩雑なだけでなく、間違いの元にもなりかねない。国民主権の世には時代遅れでもある。私も以前から出来るだけ西暦を用いて、昭和や平成はあまり使ってこなかった。

 それに今回の令和の元号の決定や、天皇交代の儀式、新紙幣の発行などは多分に安倍政権の仕組んだ世論操作の意味合いが感じられて気持ちが良くない。そんなこともあって、平成から令和へ変わるに当たっての世間の騒ぎには同調出来ないが、この際、過去30年の平成を振り返ってみるのも悪くはない。

 平成の時代はこの国が戦後の”繁栄”を終えて、新たな時代へと向かった時代といっても良いであろう。平成の初めはバブル経済で「JAPAN as No:1」とか、「一億総中流時代」と言われたりしたが、やがてバブルの崩壊、不景気となり、少子高齢化、人口減少の時代となって、以後ずっと景気低迷が続いて一向に良くなる気配も見られない。

 消費税導入、銀行などの統廃合 日銀の低金利為替抑制政策やアベノミクスと言われる景気浮揚策も効果なく、経済は停滞し、終身雇用制が崩壊し、不定期雇用が増え、国民の平均収入の減少などで明るい見通しはない。将来への明るい希望を持った人も少ない。

 そこへこの時代には、自然災害が多発、地震、噴火、台風、洪水、豪雪、酷暑などが頻発し、それにオウム真理教事件や原子炉爆発などまでが加わった。

 自然災害は主なものを挙げるだけでも、阪神淡路大震災新潟県中越地震原発爆発を伴った東日本大震災熊本地震大阪北部地震北海道胆振東部地震など、噴火では、雲仙普賢岳火砕流、三宅島噴火、新燃岳噴火、御嶽山噴火、それに台風は主なものだけでも、平成3年の18号、17年の14号、23年の12号、25年26号、28年の7、9、10号などがあり、その他にも、大雨、洪水、豪雪、酷暑なども加わった。日本人の傲慢を誰かが諌めているようだと思いたくなるぐらいである。

 特筆すべきは原発の爆発である。安倍首相は完全にコントロールされていると大見得を切ったが、未だに帰還困難地があり、故郷に帰れない人たちが何万人といる。しかも人災と判っていながら今まで誰も責任を取ろうとしていない。

 また沖縄の米軍基地の問題もずっと続いて来ている。沖縄県民の一致した反対を強引に押さえつけたままの辺野古基地建設の続行など、日米地位協定をめぐる問題については、政府には解決する意図も努力もないと言わざるを得ない。

 唯一良かったのは、天皇の言うように、30年間、近現代において初めて戦争を経験しないで済んだ時代だったことであろう。しかし、それも内実は、憲法遵守を盾に国外の軍事行動に参加することを拒絶してきた日本の立場が、大きく揺らいだ30年だったとも言えるであろう。

 戦争こそしなかったが、戦争の準備を着々と進めてきた30年だったのである。自衛隊の海外派兵から始まり、国連平和維持活動協力法、国際緊急援助隊派遣法、周辺事態安全確保法、テロ対策特別措置法などと次々に法律を制定し、やがて特定秘密保護法や安全保障関連法などに続き、集団的自衛権の行使を容認する国際平和支援法などまで制定され、最早、要請があればいつでも国外に行って戦える体制が確立しつつある。

 既にに自衛隊小泉内閣イラク派兵、安倍内閣南スーダンへの派遣などで戦闘に参加している状態にあるとも言えるのかも知れない。

 その上、アメリカの要請に乗って軍備を増強し、周辺国を仮想敵国化し、国境問題などを煽り、専守防衛の域を超えて攻撃できる空母や戦闘機、ミサイルなどの高度の武器を備え、先制攻撃さえ辞さない準備を整え緊張を高めている。

 もはや平成の時代には戦争はなかったけれど、戦争の準備は着々と進み、令和の時代も平成同様に戦争はなかった時代だったと振り返れるようになるかどうかかは甚だ疑問である。

 戦後70年以上も経って、戦争の悲惨さや、敗戦に惨めさを知る人も殆どいなくなり、日本会議神社本庁などをはじめとする右翼勢力による戦前回帰の趨勢が次第に力を増し、世間の空気も次第に戦前に似てきていることは極めて危険な兆候と捉えるべきであろう。

 私はそれまでは生きていないであろうが、今の世代が二度と戦争に巻き込まれることだけは何としても避けて欲しいものだと願うばかりである。