国際的いじめ International Bulling

 今時、こんなことを言ったら皆の袋叩きにでもあいそうなことだが、北朝鮮の問題は、誰もあからさまには言わないが、私は以前からこれは言わば国際的ないじめとも言えるのではないかと思っている。最近フェースブックに同様な構図のカトゥーンが載っていたので私だけでなく、同じように感じている人もいるようである。

 アメリカを中心としたいわゆる国際社会からの北朝鮮の排除の歴史は古い。朝鮮戦争の時にアメリカが国連軍として戦い、停戦条約が出来ても完全な平和条約のないまま、法的には今も国連軍と北朝鮮は戦争状態を続けたままであることを底辺に考えなければならない。

 その後も韓国との関係は色々複雑であるが、核拡散条約に違反して核開発を続け、アメリカをはじめ周辺の六ケ國協議などの長い交渉を経ても、平和条約が結ばれないまま、今日に至っているわけである。そのため引き続いて米国を中心とする国連を背景とした諸国の圧力が続き、北朝鮮はそれに反発して孤立した独自の道を模索して今日に至っている。

 北朝鮮は一貫して金王朝独裁国家とも言える体制が続いており、昔の大日本帝国を思い出させて、私にとってはどう見ても好きになれない国であるが、そうかと言って国連も認め、世界の過半数を超える国が承認している独立国なので、嫌いであっても他の国と同様に対応しなければならない。

 ところで、核問題では核拡散防止条約によって五大国以外は核保有を許さないことになっているが、北朝鮮は条約から離脱しているし、五大国以外でもインドやパキスタン、それにイスラエルは核保有を認められているのに、イランや北朝鮮は許されないという不公平があることも知っておくべきであろう。

 しかも未だ平和条約をも結べていない相手のアメリカの近年の行動を見ると、朝鮮戦争ベトナム戦争から始まってアフガニスタンイラク戦争などアメリカの一方的な判断による国連を背景にしたり、出来なかったりの侵略戦争とも言えそうな戦争がずっと続き、アメリカに反対する勢力は武力によって潰されて来た歴史が見られるわけである。

 それを知れば、北朝鮮のような小さな孤立した小国が生きていくためには、武力で倒されないためには、無理をしてでも容易に潰されないだけの強力な武力を持って対応するよりないであろう。現にイラクリビアも力で滅ぼされてしまったではないか。北朝鮮がこれまで生き延びれたのは、地の利もあったが、核開発をし、強力な武力を持っていたからこそとも言えるのではなかろうか。

 ならば多大な犠牲を払ってでも核兵器やミサイルを開発して、敵が容易に手出しができないようにしておくことが唯一の生き残り策だと考えることになるであろう。北朝鮮の最近のミサイル発射も基本的にはその線上のもので、決して何処かへの攻撃を目的としたものとは考えにくい。小国が戦争を始めても最終結果は明らかであるからである。あくまで防衛のためのもの、生き抜くためのものであろう。

 それに対して国連を背景にアメリカを中心とした諸外国が寄ってたかって非難し、経済制裁をかけ、その上、原子力空母で砲艦外交のような脅しまでかけたりするから、ますます戦力を誇示しなければならなくなるのである。どう見ても国際的ないじめである。自体は少し異なるが、日本も満州国のでっち上げで国際連盟を脱退した時のことを思い出せば想像もつくのではなかろうか、

 もし北朝鮮が今の武力を持たず、韓国や日本の大きな損害の恐れがなければ、北朝鮮への実際の攻撃が行われたであろう可能性も高い。武力闘争の結果を想像すれば、現在の問題の解決は話し合いよりありえない。米国や「圧力、圧力」と騒ぐ日本は一所懸命に北朝鮮の核やミサイル開発の後押しをしているだけの結果になっていることを知るべきであろう。

 子供のいじめが問題になっているが、大人の職場におけるいじめや、このような国際的ないじめのことまで考えれば、いじめの根本的な解決がいかに難しいことかがわかる。

ダグウッドとジャカランダ

 五月のロサンゼルス行きは丁度ジャカランダの季節であった。日本でも最近はこの花も少しは見られるようになって来たが、まだまだポピュラーにはなってはいない。

 日本では花といえば、春の梅や桜、桃などが最も有名であるが、私が若い頃アメリカへ行った時に発見して気に入ったのがダグウッドである。花がピンクで桜に似ているので親しみを覚え、たちまち好きになった。ボスの家の庭にあったダグウッドの木の満開だった姿が未だに忘れられない。

 このダグウッドは丁度桜が終わった頃に咲き始め、桜より長く咲くので、日本へ帰ったあと、今の家を建て替えた時に、シンボルとして庭にこれを植えた。当時はダグウッドは近隣ではまだあまりポピュラーでなく、成長とともに花がよく目立つようになると、隣家の人たちからも喜ばれるようになった。

 以来、我が家の春は、あちこちで桜の花見を済ませて来た後に、天気を見て庭に椅子やテーブルを広げて、このダグウッドの花見ということになっている。春の空気は気持ちが良いし、まだ木陰の蚊などもいないので、満開の花の下でビールを一杯グッと飲み干すのが最高の幸せとなる。

 最近でこそ日本でもダグウッドは珍しくなく、「花みづき」としてあちこちの庭に植えられているし、街路樹として並んでいるところもある。それとともに我が家のダグウッドも大分老木になって来たが、このダグウッドは昔日本から有名なポトマック川の桜を送った返礼として、アメリカから日本へ送られたのが始めだと言われている。

 これに対してジャカランダは私がアメリカにいた頃には、東海岸にいたせいもあったのか、見かけたこともなく全く知らなかった。もともと中南米の原産の木のようで、日本でも殆ど見かけたことがなく、外国旅行が盛んになった頃から、日本では南アフリカジャカランダが知られるようになり、それを見るためのツアーなどの広告を見たり、旅行した人からの話を聞くようになった。

 ところが娘がカリフォルニアに住むようになって、訪れた時にジャカランタに直接出会う機会が出来た。ただし、ジャカランダといえばまずは紫の美しい花ということになろうが、私の初めての出会いは花ではなくて実であった。まだ孫たちが小さかった頃、近くの公園で面白い木ノ実を見つけて持ち帰ったことがあった。

 木ノ実といっても扁平な反り返った皿状のものが二枚くっついたようなもので、おそらくその間に種があり、それが二枚の皿状の鞘に収まっていたといった形をしており、珍しいので何の木の実かわからな今まま持ち帰り、扁平な表面に人の顔などを描いてずっと保管してそのままになっていた。

 そんなこともすっかり忘れてしまっていた後に、それとは全く関係なく、5〜6年前であろうか、ちょうど五月の半ば頃に孫の高校の卒業式に行く機会があり、その時に初めて満開のジャカランダに遭遇してすっかり気に入ってしまった。かなりの大木が多く、日本では珍しい紫の花を木一杯に咲かせ、なかなか豪華な風合いがある。桐の花に色は似ているが、はるかに花が多く、桜のように花の咲く頃は葉がまだ少なくて木全体が紫色の染まる感じで、桜の薄い色より落ち着きがあり、堂々とした貫禄で、豪華な感じがする。

 あちこちの庭などにある大きなジャカランダの木は独特の色から遠くからでも目につきやすく人を惹きつけやすいが、そんな満開のジャカランダが街路樹となって並んでいる所などでは、まるで紫のトンネルである。ジャカランダは落ちた花もそのまま木の下に落ちるので大抵は木の上だけでなく、下の地面までが紫色に染まることになる。

 ロサンゼルスの五月はジャカランダの最盛期で、あちこちでジャカランダの紫色に出くわす。娘が住んでいる住宅地帯でも通りによってジャカランダのトンネルが見られるが、今回訪れたロサンゼルス郡美術館(LACMA)の前の通りもジャカランダの並木が続いていた。

 こうしてあちこちでジャカランダを見上げているうちにふと見ると花の下から二、三、褐色で固そうな実のようなものがぶら下がっているではないか。よく見るとまさに上に書いたジャカランダの実の殻ではないか。そこで初めて昔拾った実の殻がジャカランダのものであることがわかった。

 そうとすれば、私とジャカランダの出会いはずっと遡り、まだ孫が小さかった20年も前からの長い付き合いだったことがわかった次第で、一層親しみを感じるようになった。以前は花の咲く五月に訪れたことがなかったのでわからなかっただけだったのである。

 日本でも最近はジャカランダを観光の目玉にしようとして植樹して増やしている所もあるようなので、もう何年かすれば、日本でも馴染みの花になるのかも知れない。私の長い人生の中でのアメリカとの繋がりで身近になったダグウッドとジャカランダは色々な意味で私の人生に花を添えてくれたといっても良いだろう。

 この美しいジャカランダの花も、ダグウッドと同様に、日本でもあちこちで見られる日の来ることを願ってやまない。

車社会の損失

 ロサンゼルスで空を見上げるといつも晴れて雲ひとつない深みを帯びたカリフォルニアブルーと言われる青色の空が広がっている。

 しかし車で高速道路などを走ってみると日によって異なるが、排気ガスなどによるスモッグで遠方が霞んでいることが多い。光化学スモッグが世界的に問題として取り上げられた1950〜60年頃よりはマシなのだろうが、今でもスモッグは続いている。

 カリフォルニアは今も人口が増え続けており、街は広がり、それに伴って嫌でも車も増えることとなり、大気汚染が減るはずもない。どの高速道路も年々ますます車が増え、混み具合がひどくなり、いくら道路を増やしても追いつかない。

 ロサンゼルスではボストンやニューヨークなどの古い町と異なり、市街地が完成する前に車社会が始まり、自動車会社の圧力にによってせっかく走っていた市電が廃止され、全面的に車に依存した街にしてしまった結果、町は途方もなく広がり、人々は毎日車で長距離走らないと日常生活さえ営むことさえ出来なくなってしまった。

 車社会はかっては、日本から見ていてカッコ良いなと羨ましくさえ思ったものだが、全ての生活を車に依存しなければならなくなり、多くの時間を車の運転に割かなければならなくなると時間の浪費だし、日常活動もかえって小回りが利かなくなり、全てが大まかになり、それだけ無駄も多くなる。

 ちょっとした何かを買うにも歩いては行けず、全て車で行かねばならない。都会にいながら日本の田舎暮らしと同じである。車社会に合わせて町がどんどん平面的に広がるので目的地にたどり着くまでの時間もどんどん長くなる。その上どこへ行っても道は混んでいるし駐車場所を探し、駐車し、そこから目的地まで歩き、用が済めばまた駐車場所まで戻らねばならず、時間的にも空間的にも無駄を強いられる。

 毎日の車通勤で費やされる時間が往復3時間も4時間もかかることも稀ではない。そうなると車の運転に費やす時間の総計も半端なものではなくなる。電車通勤ならまだ電車の中で居眠りすることも出来るし、座れなくても本を読むぐらいのことは出来ることも多い。それが無理でも自分が運転するのでないから、ぼんやり外の景色を眺めたりしながらリラックスしたり、仮眠をとったりすることも出来る。

 それが自分で運転するとなると運転するのに注意しなければならないし、緊張を強いられる。そのためあまり深くものを考えるのにも向いていないし、音楽ぐらいは聞けても、すっかりリラックスすることなど無理である。その上、一所懸命緊張して運転したからと行って何かが得られるわけではない。他人に依存して運んでもらう方がずっと楽だし、効率も良い。

 車社会も、車をレジャーで利用するぐらいなら良いが、日常生活の足を全て車に依存しなければならなくなれば馬鹿げている。時間の浪費とも言える。毎日の運転時間を足して見れば一年でどれだけ時間を無駄にしていることになるであろうか。車に乗らない者だからそう思うのかも知れないが、ただ余計な負担を自らにかけているだけなのではなかろうか。

 車に全面的に依存してしまった社会は最早急には変えられそうにもない。車社会のために都市があまりにも広がりすぎて、今更電車を走らせようとしてもなかなか多くの人が車なしでも暮らせる様にうまく路線を作り、効率よく電車を走らせることも難しいようである。メトロも走っているがあまり利用されていない。

 電車に依存しているような日本では電車が走り、駅が出来ると、駅周辺が賑うが、車社会では電車を利用するには駐車場も必要だし、車に慣れている人にとってはわざわざ車を降りて電車に乗り換える不便さもあり、なかなか日本のようなわけにはいかないのであろう。メトロの路線も永長されつつあるがまだまだ車の補助的な役割を果たすところまで入っていない。

 車は本来は遠距離まで早く行けるという効率の良さから発達したものであろうが、社会が全てこれに依存する様になると、住民の多い都会などでは返って無駄の多い効率の悪い社会になってしまう様である。足と電車やバスに慣れた年寄りにはとても住みたい社会だとは思えない。

 そんなことばかりを話すと、娘の言うには、孫の学校への送り迎えに長年車を利用してきたが、孫を学校でピックアップして車で一緒に乗って帰る時などに学校での出来事など話を聞くと、学校の終わったすぐ後だし、対面ではなく、横に座っての対応となるのでお互いに話しやすく、学校での出来事やその時の子の気分、考えなどを聞くのに役に立ったと言っていた。

 なるほどそんな利点もあるであろうが、それでも全体としては、あの様な車社会の生活はやはり御免蒙りたいものである。やはり駅まだ歩いて電車に乗る生活の方が気楽なきがする。

 

多様な人々の世界

 今年も昨年に続き、今度は二番目の孫の大学の卒業式に出るために、またアメリカへ行ってきた。

 昔、まだ若かった頃、アメリカへ初めて行った時に、ある学会に出て出席者のあまりにも外見の多様なことに驚かされたが、日本とアメリカの最大の違いはこの人々の多様性であると言っても良い。行く度にまず再認識させられるのはこの人々のばらつきの大きいことである。

 日本で暮らしていると、最近は外国人も昔よりは増え、日常生活でも普通に出会うようになってはいるが、やはり出くわす人々の大部分は同じような顔をして、同じような体格をし、似たような服装をし、似たようなことを喋る日本人ばかりで、それが当たり前となっているが、アメリカに行くその度に、そこは全くと言っても良いぐらいに違った多様な人々の集まる世界であることを再認識させられるのである。

 日本にいると分からないが、同様のことは程度の違いはあっても、ヨーロッパなどでも見られ、広い世界ではむしろそちらの方が普通で、日本の方が特殊だと言える気がする。どこの国にしても、その多様性に関わる問題は色々あろうが、それでも一応はその多様な人たちが一緒になってやって行っっているのが普通の社会と言っても良さそうである。

 孫の卒業した大学にしても人種だけ見ても白人、ラテン系が40%づつぐらいで、あと東洋系やインド系、それに黒人系、しかもどの人種にも人種間の混血も多いので、益々多様である。体型だって背の高い人、低い人、太っている人、痩せている人など、日本とは比較にならないぐらいばらつきが大きい上、LGBTも多いか少ないか知らないが、日本よりあからさまだし、どの面から見ても日本とは対極的とも言えるぐらいに多様なばらつきを示している。

 それらが渾然と一体となって同じ学生を構成し同じ生活をしているのである。もちろん色々問題もあろうが、日本で考えるほど日常生活での人種間や他の多様性に関わるこだわりは目立たない。

 アジア系では中国系が一番多いが、日本系、朝鮮系の他フィリピン、ウェトナム、タイ、マレーシア、ハワイ、メラネシア、それにインド系まで加わって、「アジア・太平洋系」と一括されて一つのグループを作り、白人系、ラテン系、黒人系と対抗するようになっている。日本人や中国人、朝鮮人などは特に親しい仲間内といった感じである。

 皆合わせても少数派なので、それなりに一緒に会合などを開いてまとまって行動しているようである。日本国内では最近韓国や中国に対する悪口雑言がひどいがそんな風潮はこちらでは全く見られない。いずれも少数派だし、外観も仕草も似ているところが多いだけに仲良意識を感じるのか、お互いに協力して活動する機会が多いようである。

 日本でSNSなどを見ていると、韓国や中国の人をわざわざ区別して悪し様に言ったり、国へ帰れと言ったような書き込みが多いが、そういう人たちには「池の中の蛙でなくて大海、広い世界の趨勢を見てこい」と言ってやりたい。狭い世界に閉じこもっていると急速に進む世界の人々のグローバリゼーションの波に乗り遅れて、世界からはじき出されてしまうことになるのではなかろうか。

 最近の日本の若者たちは以前より国外に出たがらないと聞く。大きく開かれた世界の趨勢とは逆である。狭く、ともすれば閉鎖的になりがちな島国である。この国の未来の発展のことを考えれば、若者がもっと勇気を持って海外に出、外の世界を知ることが不可欠のような気がするがどうであろうか。

共謀罪を作る共謀

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 SNSを見ていたらこんな写真が出てきた。今国会で審議中の共謀罪を推進しようとしている自民、公明、維新のトップの三人の写真である。写真に重ねて共謀罪と文字が入っているので、まるでこの三人が共謀して組織的に憲法にも違反する犯罪を企む「共謀罪」の被疑者の写真の様な感じであった。

 国会の審議からも「テロ等準備罪」などという名称は後からとってつけた看板に過ぎず、「共謀罪」の真の狙いは国民を監視下におき、人々の内面にまで踏み込んで、無理矢理にでも政府の方針に従わせようとするものであることが明らかである。

 戦前の「治安維持法」の復活である。「治安維持法」の帝国議会での審議の時も「これは一般国民には関係がない」と答弁されていた様で、当時の新聞にもその旨出ていた。それが、実際にはどんどん拡大解釈されて、共産党党員だけでなく、最後には政府に反対する恐れのある全ての一般国民が捜査の対象となり、小林多喜二ばかりでなく、多くの無辜の人たちが国家権力によって虐殺されるまでになったことを忘れてはならない。

 今の多くの国民はその苦い経験を知らないためか、未だに一般人には関係がないという政府の口車に乗せられて「テロ対策の法案か」と思っている人も多い様だが、必ずや、やがては我が身にも降りかかってこないとは限らない怖ろしい法案だという認識を持ってもらいたい。朝日新聞の投稿川柳にも下記のものが載っていた。

   ゆくゆくは我が身を縛る縄をなう  埼玉県 水島 正

 十分考え、検討して反対して欲しいものである。「治安維持法」の時代を繰り返し、再び同じ過ちを犯し、普通の人が自分のまともに感じたことすら発言できず、隠しておかねばならない様な世の中には絶対になって欲しくないものである。「後の後悔先に立たず」ということにならないことを願うばかりである。

 写真を見て感じたように、いっそこの共謀罪を作るとすれば、むしろこの写真の様な憲法に違反して人権を踏みにじる様な法案を、共謀してごり押しして通そうとする彼らにこそ適用するのがよいのではなかろうか。

アジアを代表するのは誰?

 朝日新聞のザ・コラムに吉岡圭子編集委員の表題の記事が載っていた。アジアインフラ投資銀行(AIIB)やアジア開発銀行(ADB)についてのものであったが、表題を見て遠い昔、戦後間もない頃に、アメリカからの論評として当時在米の中国人作家、林語堂が何かの雑誌に同じような表題について論じていたのを思い出した。

 もう七十年も前のことなので内容は覚えていないが、日本の敗戦後間もない頃、アメリカが戦後のアジアに進出するのに、日本か、中国かどちらを基軸に考えるべきかについての選択に関するものであった。

 日本は敗戦で国土も荒廃してしまっていたが、アジアではそれまでの覇権国で、発展段階も他のアジアの国より進んでいたし、占領によって自由に操作できるので利用しやすいが、一方中国は同盟国であったし、何と言ってもアジアでは国土も人口も飛び抜けて大きい中心になる国なので、ここを拠点にする選択肢も強かったのであろう。

 中国を中心に考える場合、当時の中国はまだ蒋介石が支配していたので、日本から残っている工場設備などを中国に移して日本を二度と立ち上がれないようにするとともに、中国を盛り立てていくのが良いのではないかという計画が真剣に考えられていたようであった。

 ところが、中国の内戦で国民政府が負け、中華人民共和国が成立し、さらに朝鮮戦争が始まって有無を言わせず、アメリカは占領政策を急遽大幅に変更して日本を基地として使わざるを得なくなり、日本はそれに乗っかって、好機とばかりに産業復興の足がかりにしたので、日本か中国かの選択は消えてしまい、その後の歴史の繋がったわけである。

  その後は歴史の教えるとおり、朝鮮戦争ヴェトナム戦争の基地を利用した特需で日本は経済復興を遂げ、アメリカの従属国でありながら一頃はJAPAN AS  NUMBER ONEと言われるまでに経済成長を遂げたが、ピークを超えた後、ここ二十年ばかりは経済も停滞し、その間に遅れた中国の発展が素晴らしくなり、いつのまにか規模でもすでに日本を凌駕し、世界第二の経済大国になっている。

 こういう経過を経てADBと AIIBの問題なども起こってきているのである。歴史は後戻りはできない。アメリカの凋落も次第に隠せなくなっており、アメリカでさえ中国との均衡を図っていこうとしている。アジアの国々も今や日本以上に中国との関係が深くなっているか、深くなりつつある。

 人口から言っても、土地の広さやそれに伴うアジア諸国との距離から言っても、今や中国の方がアジアの中心であり、アジアを代表するといえば外から見れば日本より中国にならざるを得ないのではなかろうか。

 いずれは日本もADBにとどまらずAIIBにも加入して一緒にやって行かざるを得ない日がやってくることは避けられないのではなかろうか。今後のアジアは良し悪し別にして、中国を中心にして協調してやっていくしかないのではなかろうか。

 その時のためにも、そろそろ一方的なアメリカ追随を見直して、アメリカに梯を外されて慌てなくても良いような準備をしておくべきであろう。

 

 

ゴールデン・ウイークの過ごし方

 今年のゴールデン・ウイークは五月の一日、二日を休めば九日連続の休日となっている。

 我々老人にとっては平日であろうと休日であろうと、ゴールデンウイークであっても、大して変わりはないと言ってもよいが、働き盛りのサラリーマン世代にとっては一年を通じて貴重な最大の骨休みの休日であろう。自分が仕事をしていた頃のことを振り返ってみても、連続した休日はありがたいものであった。

 それでも外国と比べれば日本の普通のサラリーマンではこれが最大で、これ以上の長期休暇を取れる人が殆どいないと言われるから哀れなものである。昔、私は退職時にゴールデン・ウイークも利用して、次の仕事との間に十五日の休日を作ってオランダへ行ったことがあり、自分にとっては人生最大の休暇をとって自慢だったが、オランダで泊めてもらった家でその話をしたら、仕事を始めたばかりの主人の妹が「私はまだ一年目だが一ヶ月休暇をとった」と言われて返す言葉がなかったことを思い出す。

 それはともあれ皆さんはどのように貴重なゴールデン・ウイークを過ごしておられるのであろうか。私たちは五月の半ばから孫の卒業式に出席するためにロスアンゼルスへ行くこともあって、近くの散策や音楽会、展覧会へ行ったり、家で友人と会食するぐらいで、主として家でゆっくり過ごすことにしている。

 テレビで新幹線や道路の混み具合を放送しているのを見聞きしていると、多くの人が家族連れなどで旅行してるのだろうことが想像できる。外国旅行に行かれる人も多いようである。繁華街も満員だし、色々な催し物も花盛りだし、休暇の使い方は千差万別であろうが、それぞれ好きなようにせっかくの休日を有効に利用してもらいたいものである。

 ところで、四日にテレビの高速道路情報を聞いていてちょっと驚いた。明日の夕方ぐらいから上り線の渋滞がひどくなるようなことを言っていた。始めは何気無しに聞き流していたが、明日はまだ五日で金曜日である。まだ土、日と二日も残っているではないか。混雑するのは早くても土曜日ぐらいからでもよいのではないかと不思議に思えてきた。

 何故だろう。九日間をまるまる使って旅行する人は案外少ないのかもしれない。そういえば昨年信州の高原に行った時、旅行会社のパンフレットにたった四日間なのに長期滞在型と書いてあったのを見ても、同じ所に一週間も泊まる旅行は日本では流行らないのかもしれない。

 お金もかかるし、家族連れでも二、三泊ぐらいで、後は家でゆっくりするぐらいのプランが主なのかもしれない。昔なら故郷へ帰ってゆっくりする人も多かったであろうが、もう帰る故郷のなくなった人も多くなったであろうし、帰っても昔と違って故郷の家と言っても狭い都会の家やマンションであったり、ひとり親が住んでいるだけであったり、故郷にはお墓があるだけで泊まる家のない人もいるのではなかろうか。

 そうすると、九日間の休みも二、三日の旅行に、近くのお出かけ、あとは自宅でゆっくりといった組み合わせの使い方が多いのかも知れない。それなら金曜日ぐらいには帰って、土、日と休養して、月曜からのまたの仕事に備えようということで、金曜日ぐらいから高速道路も混むことのなるのであろうか。

 可哀想な日本人はまだまだ長期の休暇を楽しむすべを知らないのであろうかと、暇な老人はテレビの渋滞情報を聞いて勝手にストーリーまで作って想像し楽しんでいるのである。