多様な人々の世界

 今年も昨年に続き、今度は二番目の孫の大学の卒業式に出るために、またアメリカへ行ってきた。

 昔、まだ若かった頃、アメリカへ初めて行った時に、ある学会に出て出席者のあまりにも外見の多様なことに驚かされたが、日本とアメリカの最大の違いはこの人々の多様性であると言っても良い。行く度にまず再認識させられるのはこの人々のばらつきの大きいことである。

 日本で暮らしていると、最近は外国人も昔よりは増え、日常生活でも普通に出会うようになってはいるが、やはり出くわす人々の大部分は同じような顔をして、同じような体格をし、似たような服装をし、似たようなことを喋る日本人ばかりで、それが当たり前となっているが、アメリカに行くその度に、そこは全くと言っても良いぐらいに違った多様な人々の集まる世界であることを再認識させられるのである。

 日本にいると分からないが、同様のことは程度の違いはあっても、ヨーロッパなどでも見られ、広い世界ではむしろそちらの方が普通で、日本の方が特殊だと言える気がする。どこの国にしても、その多様性に関わる問題は色々あろうが、それでも一応はその多様な人たちが一緒になってやって行っっているのが普通の社会と言っても良さそうである。

 孫の卒業した大学にしても人種だけ見ても白人、ラテン系が40%づつぐらいで、あと東洋系やインド系、それに黒人系、しかもどの人種にも人種間の混血も多いので、益々多様である。体型だって背の高い人、低い人、太っている人、痩せている人など、日本とは比較にならないぐらいばらつきが大きい上、LGBTも多いか少ないか知らないが、日本よりあからさまだし、どの面から見ても日本とは対極的とも言えるぐらいに多様なばらつきを示している。

 それらが渾然と一体となって同じ学生を構成し同じ生活をしているのである。もちろん色々問題もあろうが、日本で考えるほど日常生活での人種間や他の多様性に関わるこだわりは目立たない。

 アジア系では中国系が一番多いが、日本系、朝鮮系の他フィリピン、ウェトナム、タイ、マレーシア、ハワイ、メラネシア、それにインド系まで加わって、「アジア・太平洋系」と一括されて一つのグループを作り、白人系、ラテン系、黒人系と対抗するようになっている。日本人や中国人、朝鮮人などは特に親しい仲間内といった感じである。

 皆合わせても少数派なので、それなりに一緒に会合などを開いてまとまって行動しているようである。日本国内では最近韓国や中国に対する悪口雑言がひどいがそんな風潮はこちらでは全く見られない。いずれも少数派だし、外観も仕草も似ているところが多いだけに仲良意識を感じるのか、お互いに協力して活動する機会が多いようである。

 日本でSNSなどを見ていると、韓国や中国の人をわざわざ区別して悪し様に言ったり、国へ帰れと言ったような書き込みが多いが、そういう人たちには「池の中の蛙でなくて大海、広い世界の趨勢を見てこい」と言ってやりたい。狭い世界に閉じこもっていると急速に進む世界の人々のグローバリゼーションの波に乗り遅れて、世界からはじき出されてしまうことになるのではなかろうか。

 最近の日本の若者たちは以前より国外に出たがらないと聞く。大きく開かれた世界の趨勢とは逆である。狭く、ともすれば閉鎖的になりがちな島国である。この国の未来の発展のことを考えれば、若者がもっと勇気を持って海外に出、外の世界を知ることが不可欠のような気がするがどうであろうか。