雨晴海岸

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 北陸の富山湾に面した高岡と氷見の間に雨晴海岸というところがある。「あまはらし」と読むのだが、女房が古典の集まりで芭蕉の「奥の細道」を通じて知ってから行きたいと言っていたし、雨晴というユニークな名前も気に入っていたので、機会があったら一度訪ねて見たいと思っていた。

 そこへ、この夏の終わりに娘たちが揃ってアメリカから帰国してきたので、大阪から東京へ戻るのに一度は北陸新幹線を利用してみるのもよいだろうし、私の行きたかった富山の新しい美術館の見学も兼ねて、皆で雨晴に一泊して富山見物に出かけることにした。

 最近の雨晴は冬の空気の澄んだ晴れた日などに海を通して立山連峰の雪景色が見られるというので、富山県の観光案内の写真にも使われているようで、多少名前も知られるようになってきたのではなかろうか。

 しかし、この地は古くから歴史的に幾重にも謂れのある所で、既に万葉の時代に、大友家持が越中国司として赴任しているが、JR雨晴の隣の駅が越中国分寺なのでこの近在に逗留していたものと思われる。家持は赴任のため別れた直後に弟の死を知り、

 かからむとかねて知りせば越の海の荒磯の波もみませしものを

と詠っている。その他にも家持はこの地でも多くの歌を詠んでいるようで、

馬並(なめ)ていざ打ち行かな渋谿(しぶたに)

              清き礒廻(いそみ)に寄する波見に

というのもある。雨晴海岸は渋谿とか荒磯と呼ばれていたようである。

 それが雨晴の名前となったのは、今度は源平の時代に義経が東方へ逃れる道すがら、この海岸に今も残る小さな岩山の洞穴で雨宿りしたという話からのようで、その岩山の上には義経社という祠がある。ここで義経が祈願したところ雨がすぐ止んだところから雨晴と名がついた由である。

 そして最後の謂れが芭蕉の「奥の細道」にまつわるものであるらしい。芭蕉奥の細道をたどった帰り北陸道を通ったようで、この雨晴を通りがかって、

 わせの香や分け入右は荒磯海(ありそうみ)

と一句捻っている。ここらは大体は平坦な砂浜の続いた海岸であるが、この近くには海岸沿いに、海の中や海岸に小さな岩礁や岩山があり、義経岩もそうだが、そのすぐ沖には男岩、女岩などもあり、日本海の荒波がそれらに当たって砕けるので荒磯などと呼ばれてきたのではなかろうか。

 私たちが泊まった時には、海の彼方にかすかに立山連峰の稜線が認められるぐらい であったが、冬の空気の澄んだ時などで立山連峰の雪景色が眺められたら、きっと観光写真のポスターのように素晴らしい眺めだったに違いない。

 義経岩のすぐ上の小高い山の上に一軒だけ「磯はなび」というホテルがあり、そこに泊まったのだが、そこが思いの外に良かった。最上階の部屋からの眺めが最高だった。遥かな下に見られる日本海のゆっくりと湾曲して能登半島に続く海岸線が美しい。鳶が下に見える山と海の間をゆっくり舞っていた。

 このホテルは数年前に以前にあった温泉ホテルを今の経営者が買い取って、改築して新たに運営するようになったものらしいが、屋上の露天風呂も湯船が海に突き出したような構造で、開け広げな空と海の空間に挟まれてゆったりと湯船に浸かり、蝉の声を聞きながら遠くの景色を眺めて手足をゆっくりと伸ばして湯に浸かっていると、ついこんな幸せがあるのかと思われるぐらい身も心もリラックスしてしまう感じであった。

 素人なりに自然と一句も湧いてこようというものである。

    天上湯見下ろす海や蝉の声

 それに料理人が隠れた達人なのか、値段からしてさして高級なホテルとも思えないのに、料理の品も味もとても良く、美味しく満足して味わえた。北陸の一つの穴場と言えるかも知れない。是非一度行かれてはとお勧めする。

 元気な人であれば、海から山の上のホテルまでの急坂を上り下りして、海岸の眺めと山の上からの眺めを両方とも楽しまれることをお勧めしたい。