久保惣美術館

 この美術館はあまり知られていないようだが、明治の初め頃から綿業で財を成した地元の久保惣右衛門氏を記念して、その本宅跡に、和泉市が「和泉市久保惣記念美術館」として昭和五十七年に開設した美術館である。主に中国や日本の絵画、書、工芸品など東洋古美術を主に約11,000点所蔵しているが、市民ギャラリーなども備えて広く市民に開放し、市民の美術教室や発表の機会を用意したり、音楽ホールでは合唱や演奏会などにも行われているようである。

 名前だけは古くから知っていたが、収集品が東洋の古美術である上に、場所が少し離れ、交通の便も良くないので、何十年か前に一度訪れたことがあっただけで、久しく関心を持つ機会がなかった。

 ところが最近、甥がそこで「ピカソと日本美術」という特別展をやっており、ピカソの絵と日本画の対比が面白かったと教えてくれ、割引券まで頂いたので、先日女房と一緒に行ってきた。昔は阪和線のどこかから、バスかタクシーで行ったような気がするが、今は泉北高速鉄道の終点の和泉中央駅からバスで行くようになっている。

 泉北高速に乗るのは 久し振であった。途中の高架駅では、昔そのホームからPLの花火がよく見えるというので評判だったことを思い出したが、、今や駅の周りは高層マンションの林立で、すっかり視界を遮られ、PLの塔すら駅から少し離れた所からしか見えないことにびっくりさせられたし、終点の和泉中央駅やその近隣の大規模な街並みにも目を奪われた。20〜30年も経てばすっかり変わるものである。

 美術館はそこからバスで15分ぐらいの所にあるが、その間もすっかり住宅が立ち並び、立派な高層の大学まであるのにも驚かされた。昔の印象では、田舎の丘陵地帯の奥の方にひっそり建っている感じであったが、今や住宅街の真ん中になってしまっている。美術館の建物も増築されたりして様変わりし、入り口も後から出来た新館からと変わっていて、以前の印象は全く思い出せなかった。

 美術館は敷地面積が五千坪と広いので、新館も含め、音楽ホール以外は全て天井の高い和風の建物となっており、平面的に拡がり、間に茶室や和風の庭や池もある。多くの近代的な美術館とは違って、和風で落ち着いたユニークな雰囲気を醸し出しているのが良い。女房の友人で、この地方に住んでいる人が、外国からの客が訪ねてきた時にはここへ案内すると言っていたそうだが、さもありなんと思われた。

 さて、今回の「ピカソと日本美術」の展覧会はこの東洋風の古美術を集めた美術館にはふさわしくないようにも思われたが、キュレーターの人の努力のせいか、あまり大きな作品はないが、アチコチからピカソの小品を集め、それをほとんど自前の日本美術と対比させたアイデアが興味深く、結構楽しめた。

 ピカソの黒一色で描かれたデッサン調の闘牛士の版画と、日本の古美術とも言える一筆画のような墨絵の対比など、日本画の方はいつも見慣れているが、それと対比して置かれた、ピカソの闘牛士の絵を比べて見ると、一筆で書かれた闘牛士や牛、それに観客など、大胆に描かれた線が生き生きとしており、思わずうまいものだなと感心するとともに、なるほど日本の墨絵の線と相通じるものがあることがわかった。

 久しぶりに訪れた美術館の落ち着いた和風の感じの雰囲気も良かったし、「ピカソ日本画」の企画もユニークで、キュレーターの努力の跡が感じられたし、予めあまり期待していなかっただけに、得るものの多い一日を楽しませて貰えたことを感謝している。

 

日中韓のトランプ大統領への対応

 先日トランプ大統領日中韓三国を歴訪したが、その三国の対応の仕方を見ると現在の東アジアの情勢に鑑みて非常に興味深い。

 トランプ大統領が先ず日本の地を踏んだのは日本ではなく、日本にあるアメリカの領地とも言える横田基地である。そこで大統領は先ず大きな星条旗を背景にして、アメリカ軍の将兵をねぎらった演説を行い、そこからヘリコプターで安倍首相の待つゴルフ場へ向かったようである。

 日本側は下にも置かない丁重な迎えようで、天皇にも会わせたが、トランプ大統領の方からすれば、植民地の視察を兼ねた訪問で、おまけに北朝鮮の危機を煽って、ちゃっかりと高額な自国の兵器を売り付けたというところであろうか。何しろ大統領にべったり媚びへつらう従順な安倍首相の国では、ゆっくり寛げたのではなかろうか。

 それに対して、次に訪れた韓国は日本とはだいぶ事情が異なる。なにせ北朝鮮の最前線である。韓国と北朝鮮は隣同士の、すぐそこの地続きの国だし、元々一緒に行き来して暮らしてきた同じ民族がたまたま別れてしまっているだけなのである。それに、大国中国もすぐ横の地続きの国である。良くても悪くても、これらの国や人々に気を使わないわけにはいかない。戦争でも起きればたちまち首都であるソウルは焼け野原になるだろうし、その損害は計り知れないことになる。

 安倍首相が気楽にアメリカに乗っかって「話し合いの時ではない圧力だ」言っているのに同調するわけにはいかない。トランプ大統領に向かっても「戦争はするな」とはっきり言わざるを得ないし、軍の指揮系統についても主張せざるを得ないであろう。中国との関係も嫌でも調整しなければならない困難な立場にあるだけに、日本のように全てアメリカの言いなりになるわけにはいかないのは当然であろう。言うべき点を言ったという点では日本よりしっかりしているとも言えるだろう。

 最後にに中国であるが、中国は今や大国である。日本や韓国のようなアメリカの属国ではない。アメリカにとっても対等に渡り合って取引しなければならない国である。当然対処の仕方も違ってくる。中国がアメリカの要望を先回りして、三百台の飛行機などの五千万ドルとかの商談を持ちかけてアメリカの言う貿易不均衡の問題の肩透かしをするなど、今や堂々とあメリカと対等に渡り合える実力を示した。トランプ大統領も習主席を持ち上げてインド太平洋地域という言葉を使い出したものの、南シナ海の問題にも強くは出なかった。

 世界がどんどん変わって行っていることを痛感させられる。いつまでもアメリカ一辺倒で中国や韓国を敵に回していつまでも行けるはずはないであろう。すぐとはいかないでも、アメリカから独立して中国や朝鮮などとも関係改善を図り、アジアの中での友好関係を深め、アメリカとも対等に付き合って行ける日の来ることを念じて止まない。

田中慎弥著「孤独論」より

 芥川賞受賞者の田中慎弥の「孤独論 逃げよ、生きよ」という本を読んだ。著者は高校卒業以来、大学受験に失敗してから15年間も自宅に引きこもっていたという経歴の持ち主で、その経験を踏まえて、主として若い人たちに本人なりの生き方を説いた本である。

 本の内容の趣旨は、大勢に流されて自主性のない奴隷のような行き方をせず、孤独になって自分の人生を考え、自分なりに生きよ、というものであり、特別に新たな思想や方策を説くものではないが、一箇所興味のある書き方の所があった。

 そこには「現状に満足するあまり、社会に順応しすぎるのはどうかと思います。順応しているつもりが、気づけば馴致されていた、という事態は往々にして起こり得ますし、それが奴隷化のメカニズムのひとつであることは第一章で述べた通りです。いくら順風漫帆であっても、内面に孤独をいくらか確保しておくのは、奴隷にならずに生き抜くうえで大切なことです」と書かれている。

 これを読んでふと思ったのは、日本の現状についてである。戦後、アメリカに占領されて以来、未だに独立出来ず、アメリカの属國になったまま、今日まで七十年以上もそこから抜け出せないでいるが、その間に朝鮮戦争ベトナム戦争などで、アメリカのおかげで経済は発展し、人々の暮らしむきもよくなり、いつしか属國であることも忘れるぐらいに現状に順応し、馴致されてしまっている事実である。

 現状に慣れてしまい、それで表面的には生活が成り立っているものだから、それが奴隷化のメカニズムに巻き込まれていることにも気がつかなず、せめて内面に独自の孤独、すなわち独立を堅持しておかねばならないことさえ忘れ、奴隷になっていることに気がつかないまま、アメリカへの隷属を続けている日本の現状を示唆しているように読めて仕方がなかった。

 現状がすぐには改められなくとも、人々が奴隷根性に陥ることなく、内にしっかりとした独立心を持って、将来に備えることを忘れないでいて欲しいものである。

トランプ大統領の訪日

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 トランプ大統領の訪日はわずか二日間に過ぎなかったが、日本側の対応は至れり尽くせりであった。大統領がアジアを歴訪するというので第一の訪問国が日本になるよう働きかけたのを皮切りに、前触れのごとくやってきた娘のイヴァンカさんの関連団体にポンと57億円もの寄付を申し出たのが前段階。

 大統領の日本で最初のスケジュールとしては、プロのプロゴルファーまで引っ張り出して、安倍首相とゴルフをするようにし、午後の首脳会談の後には、拉致家族と面会してもらい、夜は大統領の孫に人気があっったとかで、ピコ太郎まで呼んで晩餐会をしたりというもてなし方であった。親密さを感じさせようとした安倍首相の態度は、いかにも属國の大臣が宗主国の長に媚を売っている姿としか見えなかった。

 それに対する大統領は到着は当然横田基地であった。外国ではなく、ここはまだアメリカなのである。ここで基地に勤めるアメリカ軍人に軍服を羽織って演説し、遠い外地で働く軍人達をねぎらったのが最初である。そこから軍のヘリコプターでゴルフ場へ行ったのではなかろうか。外国の首脳を空港で赤じゅうたんを引いて迎える姿とは全く違っている。自分の領地へ行っている感じである。誰も注目しないが、あまりにも当たり前のことだからだろうか。

 ゴルフの後の首脳会談では、安倍首相は日本はアメリカの北朝鮮に対する圧力一辺倒に全面的に協力するとしたが、経済問題となると、トランプ大統領はビジネスマンらしく、そんな事より北朝鮮危機に漬け込んで大量の武器や油を売りつけることに成功している。自慢して上のようにツイッターに書いている通りである。

 トランプ大統領にしてみれば、北朝鮮への圧力は万一戦争になったところで、東アジアで無残な破壊が起こったとしても、アメリカが被害を受けることは少ないことを前提に、圧力を強め危機を煽って武器を売り込むのが得策で、中国や韓国、ロシアなどをはじめ戦争反対の世界的な世論も強いので、究極のところで話し合いで解決できればそれでも良いというようなスタンスで臨んでいるのではなかろうか。

 韓国は戦場になるかならぬかの現場の切迫した臨場感から、日本のように全面的にアメリカにゲタを預けるわけにも行かず、アメリカに同調しながらも、必死に平和的解決の模索を主張しているのがよくわかる。

 そんな中で日本だけがアメリカに追随して話し合いを否定し圧力一辺倒で進めて、究極的にどうするつもりなのであろうか。世界の趨勢から見れば、紆余曲折はあっても、最後は話し合いの解決しかないであろうから、アメリカもそれに同調せざるを得なくなった時のことも考慮しておくべきではなかろうか。そうした場合日本がひとりはじき出されて孤児になる恐れは考えなくても良いのであろうか、心配である。

 今回のトランプ大統領のアジア歴訪は中国訪問とAPEC会議出席のためヴェトナムへ行くのが主な目的であり、日本や韓国訪問は北朝鮮問題を踏まえて武器を買わせようというのがむしろ主な目的なのではなかろうか。

 

 

 

拉致問題を政治的に利用するな

 今般トランプ大統領が来日した際、拉致家族の横田さん夫妻らを大統領に面会させた。本人たちが面会されてどのように感じていられるのかはわからないが、それが拉致問題の解決の糸口になるとは到底思えないのに、老父婦まで引っ張り出したことに私は怒りを感じる。

 横田夫妻は政府から言われれば、藁にもすがりたい気持ちだろうから、これまでの経緯を見ても断るわけにいかないだろう。政府はこれを問題の解決に結びつけようとしているわけではなく、拉致問題を広くアピールすることによって北朝鮮の悪行を広く世界に宣伝する絶好の機会だとして捉えているに過ぎないのではなかろうか。

 政府には最早拉致被害者を本気で連れ戻そうという積もりはないのではなかろうか。どう見ても最早遅すぎるのではなかろうか。本気で連れもどす気があったのなら、もっと早い時期に少々の犠牲を払ってでも、もっと手を打つべきであった。現にアメリカの場合、抑留された自国民を連れ戻すためには、元の大統領などが直接北朝鮮まで赴くようなことまでして、何回も成功させている。

 日本も過去にそういうことをすれば、全員でなくても、もっと多くの被害者を連れ戻せたはずである。時が経てば経つほど連れ戻すことが困難になることは自明であるし、今となっては仮に交渉出来たとしても、被害者がどのような状態になっているのかわからないし、生死や高齢化の問題もあろうし、長期間に及ぶ本人の生活や人生の絡む問題も考慮しなければならないであろう。

 どうしてもっと早く犠牲を払ってでも国民を救出しようとしなかったのか、個人の救出よりも大きな政治的な立場が優先したことは返す返すも残念であるし、国民の命に対する政府の冷淡さに腹が立たざるを得ない。

 ましてや、今のように北朝鮮の核やミサイルの開発に対する世界的な制裁が行われている時期には到底拉致問題の解決など当分考えられないであろう。そんな時に拉致問題をわざわざ取り上げて宣伝することは、政治的な効果はあっても、拉致の被害者やその家族にとっては悲惨な思いを倍増させられるだけであって、心の傷をますます強くすることになっても、とても世界が自分たちの事を知ってくれることを喜ぶことにはならないであろう。

 実際に北朝鮮に働きかけて被害者を取り返すために動くのでなければ、政治のために被害者の家族をいじめるようなことはやめて、何も出来ないのならむしろそっとしておいて欲しいと言いたくなる。拉致被害者の奪還にはミサイルや核以上に圧力は効果がないであろう。本気でやるなら話し合いしかないことは明白である。政府にはもう少し個々の国民のことも真剣に考えて欲しいものである。

日本人の体型が変わった

 時代劇などでは色々な時代の人々が出てきて色々と活躍する。誰も実際にはその時代の人を知らないので、誰も不思議に思わないが、人々の体つきは時代によって違っているだろうから、実際には当時の実像とはだいぶ違った人々の印象を見ていることが多いのではなかろうか。

 私の知っているここ100年ぐらいの範囲だけで見ても、日本人の体格は違った人種といっても良いぐらいずいぶん変化している。

 私が子供の頃の、戦前の日本人は平均的に今よりも背が低かったし、殆どの人が痩せていた。栄養失調気味で痩せた人が多かったが、体はよく使っていたので、今より肉が引き締まった感じの人が一般的であった。外で働くことが多かったので顔も浅黒く、今より引き締まった感じで、歳をとれば長年の紫外線暴露などの影響で、皮膚の深い皺やしみが多かったし、鼻は低く、鞍鼻といってもよい人も多かった。

 栄養が悪く、胃腸の伝染病や結核が流行り、ことに戦争末期から戦後にかけては餓死者が出たほどであるから、背も低く痩せているのが普通で、栄養失調で手足が細く腹だけ出ているような子供さえいた。寿命も短く人生五十年と言われていた。

 それが変わり出したのは戦後を経て、高度成長時代などと言われるようになり始めてからである。朝鮮戦争の頃はまだあまり変わっていなかったが、1961年にアメリカへ行った時には、在留邦人に「最近の日本人は昔のように身が引き締まっていない人が多くなった」と言われたことがあるので、その頃から少しづつ日本人の生活が変わり、体型も変わり始めていたのであろう。

 そして、ベトナム戦争の頃になると、テレビのニュースなどで出てくるベトナム人を見る毎に、戦前の日本人と同じだなと思ったものだから、それからすると、その頃には日本人の平均的な姿はすでに大分筋肉の引き締まらないぽっちゃり型に変わって来ていたのだと思われる。

  さらにその後、80年代頃になって、大陸の残留孤児が問題になった頃には、日本では最早長年の農作業の結果の皺の多い日焼けした顔の人は田舎でも少なくなっており、帰ってきた孤児の人たちとは違ってしまっていた。その頃には田舎の若い女性も厳しい農作業から解放されていたので、化粧した可憐な顔ばかりか、もはや節くれ立つた手を見ることもなくなり、すらりとして都会の女性の手と変わりなくなってしまっていた。

 そんなことより、その間に日本人の外観で最も違ってきたのは身長が伸びたことであるが、それについてはすでに書いたのでここでは省略する。しかし、身長とともに男性や中年以降の女性では体重も増え、今や戦前とは逆に、肥満が問題とされる時代となり、車の普及もあって体を動かす量が減り、飽食も加わって腹の出た、しまりのない体型の人が増えた。

  身長や体重とともに、顔つきや手足も生活習慣で変わってくるものである。興味深いのは戦後日本人の鼻が高くなって、鞍鼻の人を見かけなくなってしまったことである。戦前には、それこそのっぺらな棒な顔に、口の上に鼻の穴が二つ開いているだけとでも言えそうな人までいたが、今や殆どの人の鼻筋は高く通り、鷲鼻傾向の人さえ見られるようになっている。どうも身長の伸びなどと同様、戦後の日本人のたんぱく質の摂取量が増えたことと関係があると考えられているが、時代によって顔つきまで変わるようである。

 こんな風に生活環境の変化で、日本人の体型や外観が変わってしまっているので、時代劇などで昔の日本を忠実に現在の俳優で再現しようとしても最早難しい。例えば、戦後の闇市を描こうとしても、飢えた時代にぽっちゃり体型の俳優では様にならないし、明治時代の庶民の姿を表現しようとしても実際より背の高い俳優ばかりでは、その時代の実態とは違った姿にならざるを得ない。

 ただ劇や映画はいづれも創作物であるから、事実との乖離も許されることであり、制作者も観客も実際を知らない劇中のやりとりなので、成り立っているものであろう。あまり気にかける人もいないであろうが、実際には時代が変わればそこに生きる人々も、同じ民族で、同じ場所の住民であっても、実像は常に変化しており、それに伴って時代の文化も変っていったものであろう。 

 

若者の新語

 先にカタカナ略語について書いたが、その時取り上げたのは名詞ばかりだったが、新聞を見ていたら第二回現代人の語彙調査というのが載っていて、それを見てまた驚かされた。高校生から60代の3130人を対象にしたインターネットでの調査で、最近の新語を含む540語について、意味を知っているかどうかを質問したものである。

 それによると、高校生が親の世代より知っている割合の高い言葉として、「りょ」「わずした」「イミフ」「とりま」「ディスる」などの語が並んでいる。我々老人にはさっぱりわからない言葉ばかりである。「イミフ」は意味不明の略ではないかと想像できたが、あとはわからない。「りょ」は了解したの意味だと聞けばそうかと思うが、「とりま」は「とりまとめる」ということかと思ったら、「とりあえず」とか「まあ」ということらしい。「わずした」とか「ディスる」などとなると説明してもらわなければ理解出来ない。

「わずした」というのはわからないはず、英語のwasから来ているそうで、「勉強した」というのが「勉強わず」になるのだそうである。「ディスる」というのはSNSで見たことがあるが、新聞にも説明が載っていないのでなぜかわからないが、「けなす」意味だそうである。グーグルで調べてみるとdisrespectを略したもので「無礼、軽蔑、軽視」や動詞で「無礼なことを言う」とか「無礼なことをする」などの意味で使われるのだそうである。

 そのほか新聞の記事の中には「ワーママ」(働く母)や「なる早」(なるべく早く)なども載っていたが、「グルチャ」と言うのが「グループでのメッセージのやり取り」と書かれていたが、グループの中でのチャットから来ているのであろうか。

 主としてこれらはSNSのやりとりで使われるうちに生まれて来た新語のようであるが、こうなるともう別世界のようなもので老人にはついていけない。今後日本語がどうなっていくのかいささか心配になり、なんとか美しい日本語を伝えていってほしいものだとは思うが、言葉というものは生き物で、使われているうちに変化していくものだからある程度はコントロール出来ても、大きな流れは成り行きに任せなければ仕方がないであろう。

 もう百年も経てば、この国で喋られている言葉はもう我々には全く理解できない言葉になっているかも知れない。