悲劇の横綱稀勢の里

 横綱稀勢の里がとうとう引退した。横綱になってから一度優勝したが、その時の怪我が元で負けと休場が続き、引退に追いやられてしまった。

 本人はもっと相撲を続けたかったのであろうが、横綱の品位を維持するにはやむを得ないことであったのであろう。

 私は、もともと横綱にしたのが間違いだったと思ってきた。長い間大関だったが、優勝を期待されながらも、肝心な時にいつも勝てずに歯がゆい思いをさせて、昇進の機会を何度か逃した来た力士である。

 ところが、相撲界の要望として、最近の相撲界では、上位力士が殆どモンゴール勢に占められる状態が続くので、何とかして日本の力士の横綱を実現したいという思惑が強くなって来ていた。

 そうした時に、稀勢の里がたまたま優勝したので、この機会こそ生かさなくてはと思って、無理に稀勢の里横綱にしてしまった嫌いがある。

 それまでの過去の成績を見てみても、もう少し様子をみてから判断するのが順当であったのではなかろうか。

 私は無理に横綱にしても、決して将来うまくいくはずがない、本人を苦しめることになるだけだから、まだ絶対横綱にするべきではないと思っていた。

 テレビで出て来た稀勢の里のお父さんも、もう少し様子を見てからの方が良かったのではないかと、喜びとともに不安を隠しきれない姿で写っていた。

 案の定、本人は真面目な努力家だったのだが、その甲斐もなく、無理をした怪我も災いして、横綱としての成績を上げることなく、無念の引退に追い込まれてしまったのであった。

 大関のままであったら、もっと気楽であったであろうし、同年輩の好敵手であった琴奨菊を見てもわかるが、今でも関取を続けてられたのではなかったのではなかろうかと思われる。相撲世界の中で弄ばれて、命を縮めてしまったようにも思われる。

 相撲というのは特殊な世界で、以前から何かあると問題にされてきたことであるが、伝統的な神事の絡んだ大衆芸能の形で受け継がれてきたものであり、近年は競技スポーツの色合いが濃くなった複雑な世界なのである。

 その複雑さから時代の変遷にうまく対応出来ずに、右往左往しているところに根本的な問題があるような気がする。柔道などはうまくスポーツとして国際化に成功したが、相撲は伝統的な神事などを含んでいる故にスポーツとして割り切れず、そうかと言って神事などの伝統を重視し過ぎると時代に取り残される。

 事実近年になると、古いしきたりなどが若い人たちに敬遠されるようになり、相撲の人気が落ち、力士希望者の減少が続くようになってきた。

 それを乗り切る手段として、相撲の国際化が試みられ、初めはハワイ勢の導入が図られたが、体格の違いもあり、たちまちハワイ勢が上位陣を独占するようになると、そこでストップがかかることとなった。

 ところが日本の力士だけでは層が薄くなり、人気を維持するのが難しく、今度はモンゴール勢の力を借りねばならなくなった。ハワイ勢と異なり同じ東洋人で、外見も体格も日本人に似ているのが好まれたのであろう。

 それで初めのうちは順調で、人数も増え、彼らの日本相撲界への順応もよく、次第に日本人と同様に遇されるようになってきた。しかし、彼ら人数が増え、力も強くなり、日本勢が押され気味で、再び上位陣を彼らが独占するようになってくると、伝統のある相撲はやはり日本人でなければという暗黙の声が強くなってきたのであろう。

 そのうちに千代の富士貴乃花などがいなくなり、上位陣が殆どモンゴールを初めとする外国勢となると、伝統的な神事が絡むこともあってか、何とか日本人の横綱を期待する声が大きなって来たのであろう。

 そういうところに、大関稀勢の里の優勝がやってきた。相撲協会やファンは今度こそは19年振りかの日本人横綱の出現だとばかりに、無理にでも稀勢の里横綱にしてしまった。

 ところがこれにはおまけがあり、4年前に旭天鵬が平幕優勝を達成しており、彼がその時すでに帰化して日本人になっていたことがわかり、日本人力士と言えずに、”日本出身力士”と無理な呼称を使わざるを得なくなったのは皮肉であった。

 そこまでして伝統的神事や、民族性に拘らねばならないのは、単に相撲界の伝統の問題だけではなくて、現在の日本社会全体の閉塞性、閉鎖性を顕にしたものでなければ良いがと思うがどうであろうか。

  私は 伝統的な神事との結びつきは形式のみに留めて、競技スポーツに徹することが今後の相撲の発展の道であろうと考えている。

 

パスポートがない!

 昨年12月にアメリカに住んでいる娘や孫たちが帰って来て、久し振りに家族全員が揃ったので、篠山の古い民家を改造したホテルに泊まって、古い日本の街を見学したりして楽しんだ。

 ただ、以前とは違って、孫たちが皆もう大人になってしまって、それぞれの予定もあって、家族全員集合も1日のみとなり、すぐにばらばらに散ってしまった。

 それでも、今回は下の娘だけが年を越していてくれたので、例年とは違った正月を楽しむことが出来たが、その娘も昨日、伊丹から成田経由で帰国した。

 娘は固辞したが、親たちが暇なので、伊丹空港まで見送りに行った。もう他のメンバーとはアメリカからの連絡もあるし、娘も気楽な一人旅なので、何時ものように何の心配もなく空港のカウンターまで行った。

 ところがそこで思わぬハプニングが起こったのだった。カウンターに預ける荷物も既に置いて、搭乗手続きをしようと思ったら、まさか、娘のパスポートがない。手持ちのバッグにも、預けかけたキャリヤバッグにも入っていない。

 パスポートがなければどうにもならない。私は知らなかったが、娘が母親に託したい大事な書類を家で渡したことを思い出し、どうもその中に一緒に入れてしまったのではなかろうかということである。

 飛行機の出発時刻は14時10分。一時間余りしかない。その便に乗らないと、成田での国際便に間に合わないので、帰れなくなってしまう。キャンセルすると、出直してまた切符を一から買い直さなければならないことになる。

 それでも、時間はないし、もうどうにもならない、殆ど諦めかけたが、家にあるとすれば、タクシーで取りに帰れば、うまくいけば、間に合うかも知れない。出発20分前までに帰って来れればOKと空港の人が言うので、私が荷物の番をしていて、その間に、タクシーで取りに帰ることを試みることにした。

 空港で荷物の番をしながら待っている間も気が気でない。 40分しかないのである。タクシーがすぐ捕まえられるか、捕まっても道路が混んでいないか、家でパスポートがすぐ見つかるか、時計とにらめっこしながら、どうだろう、いけるかな、無理かななどと、気を揉みながら待っていた。

 30分が過ぎる頃まではまだだろうと思っていたが、それが過ぎるともう立っても座ってもおれない。大丈夫かな、空港近くまで戻って来ていても、道路が混んでいたりすれば時間がかかるし、と言ってどうすることも出来ない。

 すると35分も過ぎた頃であろうか、息急き切って戻って来た。早速、国際線乗り継ぎカウンターへ行って、ようやく間に合った。手続きを済ませて、搭乗口に向かうと、係員が成田行きの札を掲げて声高に最終チェックを告げているところであった、

 やれやれ、何とか間に合った。ここさえ過ぎれば後は問題ない。本当にラッキーだった。一時は殆ど諦めていたが、何とかうまく行った。こんな嬉しいことはない。娘の強運に驚くとともに、こちらもやれやれと胸を撫で下ろした。

 伊丹空港というローカル空港に感謝しなければならない。ハブ空港のような所なら、人が多く多忙なので、時間的余裕も少なくなるし、タクシー一つでも捕まえ難くなる。道路も混むだろうし、空港ターミナルへの乗り入れの距離も長くなるので時間もかかるし、カウンターにも長い列が出来て、事はスムースんは進まない。

 そこへ来ると伊丹空港から自宅までは近いし、空港も小さいのでアクセスも良い、混み合っていないので、手続きや問い合わせなどにも時間がかからない。正月過ぎて一段落ついた頃の、昼を過ぎた比較的空いた時間ということもあったのであろう。

 理由はともあれ、本当にラッキーであった。あまりラッキー過ぎたので、後が返って大丈夫かなと心配にもなったが、兎に角、何とか無事にアメリカまで帰ったようである。運がついていたとしか言いようがない。やれやれであった。

 ところが、この娘に関しては、パスポートにまつわるラッキーな話がもうひとつあるのである。

 もう40年ぐらいも前のことである。上の娘がメキシコシティに留学している機会に、親子3人で訪れたことがあった。その時のことである。

 当時は下の娘はまだ高校生だった。メキシコは今より治安も悪かった時代である。パスポートをなくしては困るので、娘に白い布の胴巻き型物入れを渡してそこへ入れて携帯するように言っていた。

 ところがホテルの泊まって、翌朝、ゆっくりしてから、いざ出掛けようとした時、娘のパスポートがないのに気が付いた。どうも寝る時外したパスポートの入った胴巻きをベッドの上に置いていて、身につけるのを忘れていたようである。

 気が付いた時には、もうホテルの部屋には掃除が入って、片付けた後だった。どうも白いケースだったので、リネンに紛れて、もう洗濯に出されてしまっていたようである。

 万事休す。言葉は通じないし、簡単なことではないので、うまく早く手を打って、探して貰えるか心配であった。時間が経って、洗濯機に放り込まれてしまっては取り返しがつかない。

 困っていたところ、この時は丁度、上の娘がメキシコのボーイフレンドと一緒に来てくれたので、その友人に助けて貰って、ホテルの洗濯場まで行き、危ういところで、リネンの間からパスポートの入った胴巻きを発見して貰って助かったのであった。

 この時も、パスポートが紛失すれば、現地の日本大使館と連絡を取って、再発行なり何なりの続きをしなければならないことになるので、旅行のスケジュールはすっかり狂い、素直には帰国出来なくなるところであった。

 今では遠い昔の旅の思い出の一つでしかなくなっていたが、今回のパスポート事件で、久しぶりに、はっきりと当時のことが蘇ってきたのであった。その時も、もうすんでのところで、洗濯機にかけられて返って来ないところであった。

 今回も、これが関空だったり、伊丹でも空港や周辺が混んでいたり、月日が違っていたりすれば、必ずしも今回のようにうまくは行かなかったのではなかろうか。

 下の娘のオッチョコチョイ振りと、その強運に驚くばかりであった。「二度あることは三度ある」と言うから、今後もしまた同じようなことがあっても、また、うまく行くのかも知れないが、「三の上の目」とか「三度目の正直」とかも言う。逆の意味だが、一度、二度は何とか行けても、三番目はもうどうにもならないとも言える。

 いくら運が良いと言っても、もうこんな事は御免被りたい。健康に良くない。こんなことにだけはならないように。今後は予め、あくまで慎重に、注意深く行動して貰いたいものである。

 

どう継承 天皇の戦争責任

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 朝日新聞の声欄に写真のような記事が出ていた。筆者の伯母が沖縄で戦死した夫を思って読んだ悲痛な歌である。

「大君の今におわすを見るにつけ 骨一箇だに無きわが夫想ふ」

 年月の経つとともに既に亡くなられた戦争経験者も多いであろうが、あの戦争を通じて同じような思いを抱かされた人がどれだけ多かったことであろうか。

 敗戦までの大日本帝国万世一系天皇が治める神国であり、天皇は現人神であり、国民は臣下であり、陛下の赤子であった。神の国だから国難に際しては天佑神助があり負けることがないとされた。

 陛下と聞いただけで、直立不動の姿勢をとらねば殴られる。「上官の命令は全て陛下の命令」と心得よと言われて、滅茶な上官の命令にも口を挟む余地を与えない軍隊組織があった。

 そこに集められた馬より安い一銭五厘の兵隊を使った、現地調達で補給を考えない侵略戦争が行われた、等々。あまりにも無謀な戦争に駆り出され、天皇陛下の御為に「身は鴻毛の軽さ」と思わされ、「天皇陛下万歳」と言って死んでいった人がどれだけいたことだろう。そして、その人が支えていた、残された家族の悲嘆や過酷な運命。それらを思い出すだけでも、未だに憤りで胸が痛む。

 その何千万にも及ぶ戦争被害者に対して、敗戦後の昭和天皇は全国を回って「ああそう」を繰り返しただけで、ついに「天皇陛下万歳」と言って死んだ兵士や戦争被害者に謝ることもなく、何も言わないで死んでしまったことに無念の思いを感じた人も多かったであろうと思われる。

 死者に鞭打つことはないが、水に流してしまえない現実の苦しみや無念さを今も秘めている人は多い。戦後に、天皇を始め、国の責任者たちが、遂に戦争責任に真正面から取り組むことなく、うやむやに済ませてしまったことをしっかりと銘記しておくべきであろう。

 そのことが、未だにこの国の行く手に暗雲を漂わせている根源だとも言えるであろう。それぞれの家族と戦争の関わりを、もう一度振り返ってみて欲しいと思われてならない。

 戦争は忘れてはならない。戦争は二度としてはならないことを銘記しておきたい。戦争を知らない人たちも、このことだけは覚えておいて欲しい。

 

 

 

 

下士官根性

 昔、まだ帝國陸海軍があった頃は、世間でも「下士官根性」という言葉がよく使われていたが、戦争を知らない現在の若い人達には馴染みの薄い言葉かも知れない。

  軍隊では階級の違いは絶対的で、例えば、交通機関の利用でも、将校は二等車で移動出来たが、兵隊は三等車にしか乗れなかった。食堂なども、将校と兵隊は別で、捕虜になってさえも、将校と兵隊では待遇が違ったものであった。いくら優秀であったり、華々しい戦果をあげても、下士官は准尉が最高の位で、それより上には上がれなかった。

 同じ将校でも、海軍兵学校陸軍士官学校を卒業し、海軍大学。陸軍大学を出たエリートでなければ将官にはなれず、普通の将校は大佐どまり、稀に功績の顕著な者が少将にして貰えるぐらいであった。軍隊では階級制度が絶対的なもので、役職もそれにより決まり、部下は上官の命令は天皇の命令とされて、絶対服従しなければならなかった。

 こういう絶対的な上下関係は、将校と兵隊の間が一番はっきりしていたが、兵隊の中にも階級があり、曹長から軍曹、伍長という下士官があり、その下に兵長上等兵二等兵、新兵という序列がはっきりしており、それが全て上官の命令には絶対服従であったから大変であった。

 将校の命令があれば、それを下士官が受け、それを兵隊へ流すという仕組みになっているので、上に対する不満のはけ口は当然下へ行くことになる。将校が下士官に怒れば、下士官は古参の兵隊に怒る、古参の兵隊は新兵に怒る、新兵はもう怒る先がないから犬にあたるなどと言われたものである。

 絶対服従の世界では当然、上官が威張り、日常生活や勤務上での矛盾は上官の権威で押し潰されるか、あるいは部下が少しでも良い目に会おうとして上官にゴマをするかになる。従って、中間にいる下士官は将校には媚を売って印象を良くしようとし、その反動を下へ向けることになる。上からの圧力が強ければ強いほど、その反動で下に強く出ることになる。

 こうした関係を半ば揶揄して、一般に下士官のようだ、「下士官根性」という言葉が囁かれるようになっていたのである。戦後、軍隊がなくなったこともあって、この言葉は昔ほどには流行らないが、軍隊以外でも強いものにはへいこらして、弱いものには居丈高に振る舞うようなことはしばしば見られるので、軍隊以外でも、そういった場合にはこの「下士官根性」という言葉がぴったりする。

 最近の日本の安倍政府の外交姿勢を見ていると、全く情けない。アメリカに対しては必要以上に腰が低く、へいこらして見ていても恥ずかしいぐらいである。

 沖縄問題一つを見ても、あれほど沖縄の人たちが一致して選挙でも反対しているのに、それを無視して、アメリカとの約束だとして基地建設を進めているし、トランプ大統領に褒めて貰うぐらいに、無駄な武器を大量に買ってご機嫌を損なわないようにしている。

 また、今日の新聞によると、米軍に言われて、米空軍の訓練に使う日本の島を大判振舞いをしてまで買い上げて、提供することにしたようである。挙げればきりがない。国民の利益より米軍に取り入ることの方が優先しているのは明らかである。

 ところが一方、相手が近隣国である韓国や発展途上国などとなれば、その反動かと思われるぐらい、途端に上から目線で、時には居丈高に相手を非難する態度に出る。韓国との慰安婦問題、徴用工問題、韓国海軍とのレーダー照射事件などの経緯を見ても、日本政府の態度はあまりにむ高圧的である。

 レーダー照射事件では、元自衛隊の最高部署にあった田母神氏までがよくあることで問題ではないと言っているのに、大げさに外交問題として取り上げてしまい、日韓関係を自ら壊すようなことをしている。

 こういう韓国に対する対応の仕方を対米関係と比べてみると、誰が見ても歪でいる。まさに「下士官根性」という言葉がぴったり当てはまるのではなかろうか。たとえアメリカに対しては、従属関係で強く言えないにしても、その分を弱い近隣で関係の深い韓国を相手に、埋め合わせようというのは文明国のとる態度ではなかろう。

 アメリカがいかに大事だとしても、韓国はすぐ隣の近隣国なのである。長い将来の先を考えれば、過去に多大な迷惑をかけた隣国に対してこそ、関係を修復して、日頃から良い関係をつくっておくべきではなかろうか。それが平和を維持する基本だと思うがどうだろうか。

 

若者言葉

 最近はやたらと若者言葉というのか、カタカナやローマ字の短い省略形のような言葉が流行り、どんどん新しい言葉が現れるので、老人にはなかなかついていけない。それらの多くははやがて消えていくようなものだから、全てを覚える必要はないが、いつの世でも新しい言葉は若者から始まるものなので、その一部は確実に残って、次の世に生きて行くものであるから、多少はは関心を持って見ていくのが良いであろう。文化の変遷を観察するだけでも興味深いものである。

 「やばい」などという言葉も昔は若者言葉であったが、今や完全に普通の言葉に取り込まれ、最近では本来の意味とは反対に、「素敵だ」とか「気に入った」とか肯定的な褒め言葉として使われている。

 似た言葉で「うざい」となると、「やばい」ほどには定着しているとは言えないであろうが、若者の間では、もう普通の言葉のようで、「やばい」とは反対に否定的な使い方で、「煩わしい、鬱陶しい、気持ち悪い」といった感情の表現に多用されており、やがてもっと広く使われるようになるのではなかろうか。

 「エモい」という言葉もあるが、これはemotionalから来ているようで、「なんとなく寂しい、悲しい」ような気持ちを指し、エモい音楽、エモいメロディなどと言われる。こういった微妙な感情表現の言葉は、案外、次第に広く受け入れられていくのではなかろうか。

 しかし、現在広く使われるようになってきている間略語は何と言っても3〜4字ぐらいのカタカナ語であろう。スマホ、クレカ、テレカ、イクメン、イケメン、コミケ、リアタイ、ワンチャン、パクツイ、オケボ、いくらでもあってキリがない。

 さらにそれらから派生した言葉もあるが、そうなると余計判りにくい。因みに、コミケは「コミック・マーケット」、リアタイは「リアルタイム」、ワンチャンは「ワンチャンス」、パクツイは「パクリのツイート」、オケボは「カラオケボックス」のことだそうである。

 それならイケボは何かと言われてもわからないが、こちらの「ぼ」は「bo」ではなく「vo」で、「声がイカす」ということで、「カワボ」「エロボ」という派生語もあるらしい。

 もう広く使われるようになっている言葉でも、老人にはついていけないようなこともある。コスパとは何か。いきなり言われてもわからなかったが、コスト・パーフォーマンスと聞けば何のことはない。

 ひらがなの言葉としては「あけおめ」などはもはや大人も使っているし、「とりま」が「とりあえずまあ・・・」という意味で広がっているようである。その他「かまちょ」は構って頂戴。その他、好きを「すこ」と言ったり、良いいことを「よき」、そうだねとの相槌は「それな」となったりするらしい。また言葉の語尾を「み」としてわかったを「わかりみ」、うれしいを「うれしみ」などと言い、「つらみ」「ヤバみ」などもあるそうである。

 日本社会にこれだけ英語が入ってくると、必然的に若者言葉にも英語に由来したものも多くなる。「ふあば」というから何かと思えば、favoriteを略したもので、「お気に入り」「いいね」と同義で使われるのだそうである。

 文の終わりについたwwwは笑いだろうとすぐに想像がついたが、JKビジネスと言われても何のことかわからない。JKとは女子学生のことなのだそうである。その他「ks」が「既読スルー」だったり、TKMKが「ときめき」で、TBS が「テンション・バリ・下がる」だと聞いても「へー」というだけである。

 省略語ではないが、コンピュータ関連の言葉でストレージとよく出てくるのでの何ことかと思っていたらstorageのことであった経験があるが、仮名文字英語は難しい。外国人が日本語を習う時に、漢字を覚えるよりも難しいと言われることもよくわかる気がする。

 英語と日本語のチャンポンで出来ている若者言葉では、「disる」がもっともよく使われているような気がする。「でする」とも書かれるようだが、英語の接頭詞disから来ており、「相手を否定する、侮辱する、軽蔑する、見下す」意味で用いられるようである。これも案外定着するかも知れない。

 しかし中には難しい若者言葉もある。「乙」一字で何のことかと思えば「お疲れ」という判じ物でした。一番難しいのは「卍」。テレビの若者番組に出ていたので、調べると解説欄に「調子に乗っている」「仲間との絆」「あまり意味はない」と出ていたが、未だにどのように使われるのか理解出来ていない。

 昔から若者たちはその時にある言葉をいじったり、新しい言葉を産んだりして、これまでになかった自分たちの表現を作って来たものだが、最近は単に話し言葉だけでなく、SNSなどの文字による通信が発達してきたことによって変わってきたようである。

 文字入力を手早く済ませて、自分の意思を伝えるために、絵文字が考案され、多用されるようになるとともに、言葉も短縮形で打ち易いものが求められるようになった。それが上記のような色々な若者言葉を生み出すこととなったのであろう。カタカナ、ひらがな、ローマ字、絵文字と多様で便利な言葉が、日々大量に生産されることになったものであろう。

 色々の言葉を見ていて面白いと思ったのに「フロリダ」というものがある。Line上でのことであろうか。「風呂の入るから離脱する」という意味だそうで、若い人の現状をよく現していると思って感心した。

 ここに書いたような若者言葉は私の知っているごく限られた範囲のもので、「若者言葉辞典」とか「若者新語略語辞典」といった辞書まであるぐらいで、いちいち解説するいとまもないぐらい多い。しかも、毎日のように膨大な若者言葉が生まれている。

 もっとも、これら若者言葉のうち多くのものは一時的なもので、時代の変遷とともの消えていくであろうが、それらの中の一部は新しい時代にあった言葉として、日常生活に根を下ろして、広く使われるようになって行くのではなかろうか。

 コンピュータの入力が音声中心になって行けば、またその影響も受けるであろうし、将来のことは分からないが、いつの時代になっても、新しい若者言葉が生まれ、言葉や語彙が変化して行くことには変わりがないであろう。もしも、それを世の変遷とともに、長い目でずっと追うことが出来れば、どんなに楽しいことでろうと思われてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武器で国は守れない

 政府な最近「防衛計画の大綱」と「中期防衛力整備計画」を閣議決定した。「多次元統合防衛力を目指す」として、宇宙やサイバー空間まで含む防衛力の強化を目指すもので、最早「平和憲法」を完全に無視し、「専守防衛」の枠を超えて、自衛隊の攻撃能力を拡大するものである。

 最近の日本の軍備費の増強は異常である。今年初めまでは、北朝鮮の危機を煽って「最大限の圧力をかける」と言っていたのが、米朝会談が行われて、アメリカが北朝鮮と対話路線に転じると、今度は尖閣諸島南シナ海の中国の動きを取り上げて、中国の危険性を煽って、軍備増強を進めようとしている。どうも軍備を増強することが目的で、そのために北朝鮮や中国の外圧を煽っているように思えてならない。

  これもアメリカとの連携の上で行われているもので、トランプ大統領にお礼を言われる程に、アメリカに言われるままの大量の武器の購入を決め、その総額は5年間で27兆円にものぼるそうである。イージス・アショアが5000億円、オスプレイ17機で3500億円、F35戦闘機100機1兆円などが主なもので、その他にも、辺野古工事に2.5兆円を当てているようである。

 さらには我が国自体のものとしても、自衛艦「いずも」を、「多用途運用護衛艦」であり、常時は戦闘機を積まないのだから航空母艦ではないと、見え透いた言い訳をしながら、実質的な航空母艦に改造し、石垣島や他の南西諸島にも自衛隊を配備し、自衛隊のミサイル基地を建設するなど、最近の軍備増強には目を見張るものがある。 

 しかし、考えてみて欲しい。強力な軍備があれば、国防は安全であろうか。今や核弾頭のある時代である。日本の小さな国土は水爆の4、5発も落とされれば全滅である。そうでなくても、若狭湾の地上に固定された原発などは、日本海からの小型艦船からの攻撃も可能で、容易に破壊され得るであろうし、その結果の放射性物質の拡散だけでも広範囲の国土の荒廃を免れ得ない。しかも、少子高齢化で人口減少の続く日本が、およそ攻撃型国家に相応しくないことも明らかであろう。

 それに武器は一方的なものでなく、こちらが増強すれば相手も増強し、軍拡競争になるだけで、これで安全という所はない。更に武器は刻々更新されるものなので、大金を投じても、忽ち時代遅れになって、使い物にならなくなるものである。対艦巨砲時代の遺物である戦艦大和や武蔵が全く役に立たなかったことでもよくわかるであろう。

 軍備費は国を守るために不可欠だと言いながら、殆どが何の役にも立たないうちに捨てられる、大きな無駄遣いなのである。もしも役にたつ時があるとすれば、大規模な武器の使用が人類を地獄へ突き落とす時だけであろう。その対価が武器商人を儲けさせるだけのことなのはあまりにも惨めである。 

 国防で、武器より大事なのは外交である。利害関係国とは常日頃から政治的な話し合いによる外交で、平和的な友好関係を保持増進させておくことが、武器よりも遥かに優先すべき手段である。軍備費を削ってでも、外交に力を注ぎ、近隣国との友好関係を維持し発展させることが、戦争を避け平和を維持する本道であろう。

 武器のために、大金を無駄使いすべきではない。3000億円あれば、国立大学全学生の学費がタダに出来るそうである。また、大都会で定員90名の認可保育所が1け所2億円なので、F35一機分だけでも、50ヶ所4500人分の保育所が出来る計算になるようである。

 ところが、政府は最近、韓国との間にまたもや、些細なことで争いの種を蒔いている。国の将来を考えれば、ここらで、政府はもう少し慎重に考えて行動すべきではなかろうか。真に国を愛し、将来の明るい日本の展望を描くならば、ここらで国の現状を正確に分析し、近隣国との友好関係を重んじ、アメリカ追随や懐古趣味の危険なナショナリズムを再考して、民主主義路線に戻ることを切望して止まない。

今年の正月

、 毎年元旦、2日はいつ頃からか、お宮参りをしている。今年も元旦は朝早くから、近くの呉服神社から始まり、五月山の麓にある伊居太神社、最後に少し南の方にある八坂神社と順に回り、「三社廻り」と称している。八坂神社からの帰途、丁度猪名川の堤防から毎年初日の出が見えるのも楽しみである。

 2日には、少し遠くの大きな神社で、有名な所や、まだ行ったことのない所へ行くことにしている。毎年、適当に選んでいるので、正確には覚えていないが、近江神宮石清水八幡宮住吉大社、西宮戎神社、多賀神社、春日大社などへ行った記憶がある。昨年は談山神社へ行き、帰途聖林寺へ寄り、珍しい十一面観音立像を見て、櫻井の駅まで歩いて帰った。

 さて今年は何処へ行こうかと思案したが、結局三輪明神大神神社へ行った。ここは以前に前を通ったことがあるが、中へ入ったことがなかったので、一度御神体である三輪山を見ながら、麓の社殿を見学したかったからである。近鉄の櫻井駅で、JR桜井線への乗り換えに遅れ、三輪明神行きのバスがあったのに三輪明神大神神社が結びつかなかったので、半時間も待って次の電車で行くこととなった。

 無神論者の私がどうして神社仏閣を訪れるのか、不審に思われる方もおられるかも知れないが、日本の街はどこでも、少し普通の家並みとは違っている所は、神社とお寺ぐらいで、そこへ行けば日常と少し違った風景が見られるし、古代から受け継がれてきた民衆の宗教に触れる楽しみがあるからである。

 神社といっても、時代から受ける影響も大きく、我が家に最も近い呉服神社は街の中に取り込まれてしまって、昔の鎮守の森とされた大木は殆ど切り倒され、今では明け透けになった社域に、新調された社殿だけがあり、正月やえびす祭り、七五三など、その時々の行事で人を集めることに余念がないといった感じで、およそ神社らしい神々しさなどは望めない。

 それでも人々の神社に対する対応の仕方をみると興味深い。神社の前では一礼して通り過ぎて行く人が多いし、正月などは神社の外の道路まで、お参りの順番を待つ人の列が出来ている。お参りをしたら御神籤を引いて一喜一憂する人も多い。

 しかし、神社で何をお願いするのかというと、家内安全から始まって交通安全、学業成就等々、個人的な現生のお願いばかりである。一神教などとは違って、神様との手軽な取引のようなものである。

 神社の方でも弁えていて、大抵の神社では、あらゆることに御利益があるように書き出していることが多い。大神神社にも願い事を書く紙が広い台の上に広げてあり、すでに、隅から隅までマジックインクでいっぱい書き込まれていたが、お願い事は個人的なことばかりで、社会的、政治的な書き込みは一つもなかった。腹が立ったので、女房と一緒に世界平和と書いてきた。

 そもそも日本の神様はアニミズムから来ているので、大神神社のご神体は三輪山そのものであるし、大きな川、大きな滝 大きな岩などは皆御神体となっており、箕面の滝でも滝に向かって手を合わせる人もいる、あちこちで何でもないような岩が磐座としてご神体になっている。

 従って、一神教と違って日本の神様や仏様は絶対的なものではなく、もっと気軽に付き合える存在で、神と仏もごっちゃになって神社の中にお寺があったり、お寺の中に神社があっても、人々が不思議がることもなく、仲良く共存している。神も仏も同列で自分の身近なことをお願いするが、結果がどうなろうとそれも深刻に考える人はいない。「神も仏もない」と言ったりもするぐらいのことである。

 そんなわけで、私は他人の宗教は尊重するが、自らは全く宗教を持たない。興味ある他人の宗教やその文化を、邪魔をしないようにそっと楽しく観察させて貰っているわけである。