読めない地名、人名

 大臣の失言、取り消し、陳謝が後を絶たない。失言の方が正しいことが多く、取り消し、陳謝で終わらせてはならないことが多いが、たまには可哀想にと同情してやりたくなることもある。

 ITを「イット」と言ったり未曾有を「みぞゆう」と発音したりするのには些か呆れるが、漢字の読み方などについては、誰しも勘違いや、誤って覚え込んでしまっているようなことがあるものである。漢字の読み方は結構難しいこともあるものである。

 中には同じ市場と書いてあっても、「いちば」と読む時と「しじょう」と読む時と使い分けなければいけないこともある。ましてや、地名や名前など固有名詞となると、それぞれに歴史や由緒来歴があり、同じ漢字でも読み方は色々なので余計に難しい。

 最近もある大臣が石巻(いしのまき)を三度も「いしまき」と言って陳謝したと新聞に出ていたが、「いしまき」と思い込んでいたら、訂正されても、またつい同じ間違いを繰り返し易いものである。初めて見た人が普通に読んだら「いしまき」であろう。

 私は子供の頃、大阪から東京へ移り、また大阪へ戻ったことがあったが、その時の思い出でも、東京の学校で枚方を「まいかた、まいかた」と繰り返す先生がいたかと思うと、大阪へ戻ると、今度は大阪の先生が五反田を「ごはんだ、ごはんだ」というのでつい吹き出しそうになったことがあった。

 また以前、上田と書いて「かみた」と呼ぶ人がいて、病院の外来で、「うえださん」と何遍呼ばれても気が付かず、「かみたさん」と呼ばれるまで答えなかった人がいた。意地悪で気を利かせないのでなく、発音が全く異なるので分からなかったのであろう。

 それに名前や地名には、知っている人でなければ読めないような難しいものもやたらあるものである。旅行などで読めない地名に行った時には、道路表記のローマ字標識を見て初めて正しい地名がわかることが多い。

 平群、放出、交野、柴島、京終,布忍、杭全、茨田、私市、内代、と大阪近辺の思いついた地名を十あげてみたが、どれだけ正しく読めるだろうか。初めから、へぐり、はなてん、かたの、くにじま、きょうじり、ぬのせ、くまた、まんだ、きさいち、うちんだ、と読むのである。さて、どれだけ出来たでしょうか。

 人名になると地名よりもはるかに変化に富み、難字、難読もはるかに多く、判じもののようなものも多い。それに最近は子供の名前の難しいこと。漢字の表記と読み方がずいぶん違って、普通には読めない読み方をする名前も多い。保育所や幼稚園の先生が大変だろうと同情する。保護者の前で、大勢の子供の漢字の名前と呼び方を間違えないように覚えこむのはひと仕事ではなかろうか。

 こういった固有名詞には、それぞれに色々な思いや由緒来歴が詰まっているものだから、それらを尊重し、その取り扱いにも慎重な注意を払うべきであるが、一方では、社会生活の中での正確さや実務的な効率なども考えなければならないのではなかろうか。

 私が、以前からずうっと思ってきたのは、公式の表記には全ての固有名詞は原則として仮名書きにして、漢字の表記は二次的にして、各自、各所で自由に利用するようにしてはということである。 

 歴史を伴う漢字表記は大事にして伝統は受け継ぎ、大いに利用すれば良いが、公的な社会生活では何事も便利で正確にことが進むようにするのが良いのではと思うのだがどうであろうか。

 

日産のゴーン元会長の逮捕について

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 これは朝日新聞の4月16日の記事である。日産のゴーン会長が突然逮捕された時から、誰しもこれは政治絡みのものであろうと思ったであろう。日産の社長などが司法取引までしてゴーン会長を告発し、それに基づいて、特捜部が海外から帰って来るの空港で待ち受けて逮捕するというのは尋常なことではない。

 ゴーン氏のお蔭で日産の業績が回復して、提携先のルノーよりずっと良くなっているのに、日産の株はルノーに40%握られ、日産はルノーの株の15%ぐらいしか持っておらず、そこへ経営統合の話が持ち上がってきていたので、恐らく日産を全てルノーに持っていかれるのを恐れた日本政府などが裏で動いて統合を阻止しようとしたものでなかろうかと想像されていたところである。

 この記事を読むと、詳しいことはわからないが、やはりそうだったのかと納得するような気がする。どうもやはり政府筋が関与して、日産がルノーに統合されてしまうのを防ぐために窮余の策を取った疑いが濃い。

 潰れかかった日産の経営を見事に立て直した豪腕な社長であれば、叩けば出て来るような埃がない筈はない。ゴーン氏を失脚させるために、陰では恐らく政府主導で色々な工作がなされ、何とかゴーン氏逮捕に持っていったものであろう。

 検察が異常な程に長期に亘って拘留を続けたのも、経営権を奪い、裁判の結果如何にかかわらず、ゴーン氏の退路を断つためだったという見方も出来るのかも知れない。

 次々に暴かれる背任行為に、今やゴーン氏の評判は日本では地に落ちているが、潰れかかった日産をものの見事に復活させたゴーン氏に「恩を仇で返す」結果となった日産の社員などはどう思っているのであろうか。心中を聞きたいものである。

 

国威発揚のためのオリンピックはやめよう。

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   いよいよオリンピックまで四百何日とかで、そのスケジュールも決まったようで、テレビは今やオリンピックの話の出ない日はない。今年の夏にはオリンピックの時の交通渋滞を見越した交通制限の予行演習までするようである。

 この写真はいつだったか、1年ぐらい前のテレビでのオリンピック開催についての解説場面である。政府の見解と一致しているのかどうか知らないが、このような5項目が挙げられていた。驚いたことに、第一が国威発揚とある。これはナチスヒトラーが、これを取り上げてベルリン大会を大々的に宣伝し、盛り上げたやり方で、戦後、反省されて、オリンピック憲章などでは禁止されているものである。

 憲章によれば、オリンピックはあくまでも運動競技であり、アスリート・ファーストで、国家間の競争ではないというのが基本的な立場とされている。にも関わらず、我が国の政府の対応はこの図に掲げられたもののようである。

 国威発揚の他、これを使って経済活性化をしよう。都市開発にも利用しよう。そうして少子高齢化、人口減少で停滞気味の経済に喝を入れ、米国覇権の停滞や、中国の台頭などの世界情勢の中で、日本の国際的な存在感を高めることにもオリンピックを利用しようというのが日本政府の思惑のようである。

 そのために政府は、誘致の最初の段階から、東日本大震災原発爆発による放射性物質の拡散などの影響は完全にコントロールされているとか、以前にもまして過酷になって来ている夏の7月末の会期を「競技に最も良い時期だ」とあからさまな嘘まで言い、こっそり五輪開催関係者に多額な賄賂まで払って、誘致しているのである。

 JOCの竹田会長がフランス政府にオリンピック誘致のための贈賄容疑で告発され、とうとう会長を辞任しなければならなくなっていることを見ても、かなり無理をして誘致したことを告白しているようなものである。

   今や、オリンピックのためといえば、何でも通るような風潮である。競技場をはじめとして、東京は建設ラッシュで、建設費をはじめとする準備の費用も予算を超えて湯水のようの使われ、会計検査院などでも問題になっている如くである。

  7月末の最も暑い季節を最適な季節と言ったばかりに、酷暑の中のマラソンなど野外でないと出来ない競技をどうするかが問題だが、季節を変えるわけにはいかないので、朝のまだ多少とも涼しい間にしなければ仕方がない。マラソンの出発時間は午前6時と決まったようだが、朝の競技の開始時間を早めるだけでは足りず、それに合わせてサマータイムの復活まで言いだされていた。

 流石に社会全体の時間まで変えるには問題も多く、サマータイム復活は取り止めになったようだが、実際に去年の夏のように熱帯夜が続き、連日40度にも及ぶ酷暑になったらどうするのであろうか心配になる。

  まだ来年のことなのに、テレビなどで見ていたら、まるで今年のことにしか思えない程の騒ぎ様である。スポーツの世界など、今やすべてがオリンピックのために動いているような気配さえする。 

 有望選手が白血病になって入院することがわかると、当人の病気を心配するより、オリンピックの試合が大変だと担当大臣が騒ぐ始末であった。体育の日も、スポーツの日に変えられるとも言われている。体育なら誰に取っても関係があるが、スポーツとなると、全くやらない人もいるし、関心のない人のいることも忘れないで欲しい。

 以前のオリンピックの選手であった有森裕子さんも「オリンピックに関係なく生きている人の方が山ほどいる。その人たちあってのオリンピック。その人たちの感覚を無視してはいけない。アスリートファーストという言葉もない方がいい。社会ファーストでしょ」と言っている。

 オリンピックはあくまでも、本来の姿に戻って、個人の選手の競い合いであり、国がそれを国威発揚や経済発展などのために利用するのは止めて欲しいものである。あくまでも、個々の優れた能力を持った選手たちが技を競うの祭典で、それを周りの人たちが支え、競技を楽しむ本来の姿でやって欲しいものである。

 オリンピックのために、関心のない人まで、無理やり協力させられたり、社会生活の変更を強いられたりすることないようにすべきである。日本人なら五輪に協力して当然。何しろ国民的行事なのだから」という無言の「圧力」が日に日に強まってくるのを感じる。日本社会に根強い同調圧力が一層強まりそうである。

「オリンピック、オリンピック」という政府指導の大きな声にすべてがかき消されてしまわんばかりであるが、オリンピックよりはるかに大事なことがあることにも注意をしてもらいたいものである。

  オリンピックはあくまでスポーツ選手の競う機会であり、それを応援する人たちが熱狂するのは良いが、決して国威発揚の場ではなく、スポーツにあまり関心のない国民の多いことも忘れないで欲しい。

 

 

老人の忙しいわけ

 世間一般では老人は暇だろうと思われている。しかし、実際は先日書いたように結構忙しいのである。ただし、忙しいからといって多くの仕事をこなしているわけではない。

 何をするにもスローで、能率が悪いので、大したことをしてなくても、必要なことをするだけで忙しくなるのである。体が言うことを聞いてくれないので、何をするにも時間がかかる。

 朝、目が覚めても若い時のようにぱっと起き上がるようなことは出来ない。ゆっくりと、しっかり目がさめるのを待って上体を起こし、布団をめくって、両足をベッドサイドに下ろして、おもむろにパジャマを着替える。

 それも若い時のようにパッと立ち上がって、さっと着替えるわけにはいかない。座ったまま、ゆっくりしか出来ない。無理に急いだりすると危険なのである。特に立ったままのパンツやズボンの着脱は要注意である。ズボンを着替える時に転倒して骨折を起こした友人も一人ではない。

 それに体の動きが遅いので、パジャマを脱ぐにも、シャツを着るにも時間がかかる。目が悪いので、シャツなどの前後を確かめるのも遅い。歳をとると指先の微妙な動きが悪くなるためか、ボタンの掛け外しがスムースにいかないことも多くなる。

 朝だけのことではない。一日中万事がこうなのである。普通の日常動作も、若い時のようにはスムースにいかない。今述べたように指先の感覚や動作が鈍くなるので、新聞を読む時にもページがめくり難い。二枚の面がなかなか分離してくれなくて苛立つことになる。お菓子などのプラスチックの包装も開け難くなる。

  新聞といえば、電気を明るくして老眼鏡をかけないと読めないのも困るが、老眼鏡の管理がまた大変なのである。老眼鏡を頭の上に回したまま「老眼鏡がない」と言って騒ぐのはまだ初老の仕草である。

 百円ストアで買った老眼鏡を至るところに置いていても、かけたまま移動するし、使った所や外した場所を覚えていないので、いくらあっても、やはり老眼鏡がないと探さねばならない運命にあるようである。そんなことで無駄な時間が費やされる。

 探し物はメガネだけではない。序でにとか、ひょいと置いたような物はたちまち記憶から消えてしまうので、始終探し物をしているような感じである。「人は探し物をするために生きている」と言っても良いぐらい。探し物をしていることすら忘れて、二階まで階段を上がって来て、「はて、何しに上がって来たのだろう」と訝しむこともある。

 階段といえば、老人の自宅の階段での転落事故も時に聞く。私の知人もやっている。勝手を知った自宅の階段と思って気を許してはいけない。家の階段は大抵急である。上りは手をついて上がれるから良いが、下りは必ず手すりを持って一段一段確かめながら降りるようにしなければ危険である。急ぐのが一番良くない。

 老人の事故で一番多いのは自分の家の中での事故だそうである。玄関の上がり框や階段の他でも起こる。布団の裾や敷居、畳のヘリにつまずいた事故なども多いそうでる。老人はゆっくり行動するべしと分かっていても、若い時からのせっかちな性格は変わらないから怖い。

 また老人が何処かへ出かけるとなると大変である。髭を剃り、服を着替えて、戸締りや火の元のチェックをし、財布や鍵、メガネ、ケイタイなどの持ち物を揃え、時間をかけて靴を履き、玄関のドアの鍵をするというルチーンのことをしっかりした積りでも、忘れたのではないかと不安になって、同じことをまた繰り返さなければならないことにもなる。

 一番困るのは、一旦ドアを閉めて鍵をかけて、歩き始めてから忘れ物に気がつくことである。ただでさえ動作が鈍いのに、また鍵を開けて、靴を脱いで、お出かけのやり直しをしなければならない。時間がかかるわけである。

 こうして出かけても、若い時のようにはさっさと歩けない。昔は他人を追い越して歩いていたのに、今やスピードが落ちて、女性にまで抜かれる。急いで歩けば躓いて転倒し易くなるので危険である。

 家にいても、最近はパソコンやスマホまで必需品となり、テレビやクーラー、洗濯機や電子レンジと、色々なものを使いこなさねばならない。しかもこれらは年々新しいものに置き変わったりするので、それを使いこなすのも大変である。ここでも老人はまごついたり、余分の時間を取られたりすることになる。

 たまに電子レンジを使おうとしても、使用方法がわかりにくくてまごつき、時間を取られるし、パソコンの便利な使い方がわからなかったり、キイボードのブラインドタッチが出来ないので、老眼での五月雨打ちでは時間もかかるし、間違いも多くなる。短い文章を打ち込むだけでも大変である。

 それに歳をとると疲れやすい。長時間の作業や長距離の移動では、間で休憩を挟むことが必要になるし、1日の生活の中でも、短時間でもknapを取った方が良いことが多い。これもゆったりしているように見えても、老人にとっては生活に不可欠な時間なのである。

 更には、年寄りは大抵排泄の方に人に、他人には言えない色々な問題を抱えていることが多いものである。夜間に何度も起きねばならないことだけでなく、昼間でも、排尿や排便障害、頻尿や失禁、下痢や便秘などは老人にはつきもので、それに悩まされるだけでなく、その処理にも時間を取られるわけである。

 こんなことが何やかやと重なってくるので、何もしないで呑気にしているように見えても、老人はそれなりに結構忙しいのである。それでも、生理的に何をするにも行動に時間がかかり、忘れやすくて行動に無駄が多くなって、それなりに忙しかったとしても、最早九十歳も越えておれば、それらが何とか賄えている間は良しとすべきではなかろうか。

 

 

とある喫茶店で

 箕面の滝まで歩いてきた帰りに、箕面の駅前にあるパン屋さんの喫茶室で休憩した。ちょうど電車に乗る前の一休みになるし、以前に入った時に食べた小さなチーズの詰まったようなパンが美味しかったことを思い出したのであった。

 パン売り場の横のスペースに、机や椅子を並べて、パンや飲み物が取れる小さな喫茶コーナーが設けられている。座った席のすぐ向こうの壁よりにも、いくつか席が設けられており、ほぼ満席であった。

 ゆっくりパンを食べ、コーヒーを飲みながら、必然的に近くの席の人々を観察することになった。すぐ対面のテーブルには、中年過ぎのおばちゃんが3人座って、それぞれに違ったパンや飲み物を取りながら話をしている。

 女3人寄れば喧しいというが、この3人も結構よく喋っていた。どのグループでも、大抵よく喋る人がいて、聞き手に回って相槌を打つ人もいて、話が盛り上がるようである。声が大きいので、ところどころ嫌でも話の内容が聞こえてくる。

 ちょうど選挙の時期なので、選挙の話が聞こえてきた。この駅前にある交番の後ろの方にも投票所があるらしい。3人とも近くの人らしく「あなたは近いからいいわね。私なんか市役所まで行かねばならないので遠いんよ」と聞こえて来る。

 そのうちに今度は「これまで一回350円だったのに450円になったのよ」と一人が言い、向かいの人が「そんなのもう行かんどき」と繰り返す。何の話かと思ったら、どうもひとりが膝か腰のリハビリに、最近どこにでもある鍼灸院のような所へ通っているらしい。

「そういう所は大抵毎日来なさいというのよ」「だけど毎日行く必要なんかないのよ。行かんどき、行かんどき」・・・「そこは整形外科なの」「ちゃうの?」「私の行ってる整形の**医院には、リハビリ室があって、そこは一回300円なんよ」等々と会話が続く。おばさん3人が集まれば、こんな会話が一番ポピュラーなのではなかろうか。

 彼女たちの会話を聞きながら、その隣の席を見ると、こちらは初老の女性が一人で来ている。黙って一人で机に向かって座っているが、どうも様子が普通ではない。コーヒーカップを片手で軽く持ち上げ、反対の手でスプーンをカップに突っ込んでは、しきりに何かを掬うようにしてはせっせと口に運んでいる。

 何を食べているにか見えなかったが、買ったパンをコーヒーに漬けて、それをスプーンで掬ってでも、食べていたのであろうか。歯が悪いのであろうか。変わったことをする人もいるものである。奇妙な行動が気になったが、詳しくはわからないまま最後のコーヒーをすすって終わりにしたようであった。

 その隣の席には、若い女学生風の二人が向かい合って座っていたが、大きい目の手提げバッグを椅子の真下に置いているのが目についた。昔なら若い女性がバッグを無造作に地べたに置く光景など見られなかったが、最近の若い人は電車の中でも、何処ででも、カバンを地面に置くなど普通のことになっているようである。

 もうこの頃は、日頃の生活で、上と下の区別がなくなってしまっているし、地面も綺麗になったので、持ち物を直接地面に置くことには何の抵抗もなく、当然の行為となっている。昔なら若い女性がそんな乱暴なことをするなど考えられないことだったのになあと思ったりした。

 こうして喫茶店などでゆっくり休憩している時などには、つい周囲の人たちを観察して、その外観や会話の内容などから、それらの人たちの素性や関係などを想像し、時には自分勝手なストーリーをでっち上げたりして、密かに楽しむことになったりするものである。

 そう言えば、最近はその機会が減ったが、以前には人との待ち合わせや、時間調整で少し長く喫茶店などにいる時には、本などを読んだりする間に、こっそりと近くの客などのクロッキーなどもしたものであった。

 野次馬だの、好奇心旺盛だの言われるが、ついつい止められないままに、いつもその癖が出てしまうのである。男女のカップルでもいたらもっと面白いストーリーが出来たかもしれなかったが、残念ながら、今日はそういうわけには行かなかった。

老人は忙しい

 若い時には、歳をとって仕事を辞めたら時間が充分あるので、大河のそばに寝そべって、時の経つのを忘れて、川の流れを一日中でもゆっくりと眺めているといった、身も心も悠々とゆとりのある、ゆったりとした時間が過ごせるのではないかと夢見ていたが、九十を超えても、そんなゆっくりとした時間は巡ってこないものである。

 もうほとんど仕事はしていないが、最近の私の1日の過ごし方を述べれば、このようなものになる。歳をとって、早寝早起きが益々昂じて、近頃は3時半に目が覚める。先ずはベッドの中でテレビをつける。この時間のテレビは案外面白い番組をやっている。どこかの都会の案内だとか、どこかの古い町の紹介、どこかの祭り、どこかの地場産業についてなど、色々と興味深いものを見せてくれる。そんなテレビを見ながらゆっくりと起きる。

 起き上がればすぐに書斎へ行って、パソコンの電源を入れて立ち上げる。立ち上がるのを待つ間に、洗面所で入れ歯を入れたり、顔を洗ったり、暖房を入れたりする。パソコンは先ずはメールを見て、次いでツイッターフェイスブックと目を通すことにしているが、これに随分時間を取られる。

 メールは出来るだけ必要以外のものはそのまま消すようにしているのだが、中に必要なものや、個人的な連絡などが混じっているので、一応全てに目を通さななければならない。医学情報や一般ニュースなどで見たいものも出てくるので、それらを開いて読んだりしていると、たちまち時間が経ってしまって、ツイッターフェースブックなどに行っている間に、気が付いたらもう5時になっている。

 年寄りで動作が遅いためもあるのだろうが、毎日のことで皆はどうしているのだろうかと気になる。私など仕事がないから時間を取られても良いようなものだけれど、仕事で忙しい人などはどう処理しているのだろうか。最近は電車の中でも、皆スマホを見ているが、忙しい人は電車の中でチェックを済ませているのであろうか。

 時代が悪いのだろうか。確かに今はインターネットなどが必須の時代となり、娘や孫たちとの連絡もパソコンやスマホでするし、医学的な情報もネットから得る割合が多くなったし、何処かへ出かける時も、何かを調べる時も、本を買う時も、皆インターネットのお世話になるので、見ないわけにはいかないが、それにかける時間がバカにならなくなってしまっている。

 5時になると、朝刊が来るのでそれを取り、新聞を見ながら朝飯を済ませ、トイレにも持ち込んで論説や文芸など読みたいページを破る。その後、およそ5時45分ぐらいからは、テレビを見ながら、腕立て伏せ25回に始まる自分なりの運動セットをこなし、6時25分からのラジオ体操につなぐことになる。およそ45分の運動時間である。体操が終われば、次は切り取った新聞の読みたいページを読む。その日によって違うが、凡そ7時半頃まではかかる。

 その後はまた書斎に引き返し、インターネットで残りのSNSを読んだり、ブログを書いたりしていると、忽ちもう9時になる。そこで一服してお茶を飲むことになるが、ここまでは毎日の朝の決まった手順のように済ますことになる。

 一服してからは、決まっているわけではないが、眠気があれば、30分ぐらいナップをとることが多い。そこから起きると、昼食の11時か11時半ぐらいまでの間は、またインターネットに戻ったり、写真のリタッチをパソコンでしたり、自画像を描いたり、本を読んだりといろいろのことをすることになる。しかし何をするにしてもすぐ昼食の時間になってしまう。

 そして午後はその日によって違うが、大抵は予定に従って、写真や絵の集まりが月に3回、医者の仕事が2〜3回、医師会などの講演会などが2〜3回、その他、たまには人と会ったり、画廊や美術館巡り、映画や音楽会、どこかの見学とか歩きに行くとかで、予定のある日が多い。出来るだけ歩くように心掛けているので、1日で7〜8千歩、多い時は1万4〜5千歩といったところになる。

 午後の予定は出来るだけ早く切り上げて帰宅するようにし、5時か6時には軽くアルコールを嗜んで夕食、入浴なども済ませて、少し本などを読んだりするが、たちまち7時のニュースの時間になる。それが済むと、朝の起床時間を考えればもう寝なければならない。

 その頃にはもう自然と体がだるく、眠くなってくるのである。8時頃には就寝ということになる。これがおおよその1日のスケジュールということである。一日中忙しくてなかなかゆっくりしている暇がない。

 あっという間に一日が経ってしまい、昨日のことかと思えば、もう一昨日のことになり、時は若い頃よりも加速度がついたように早く過ぎ去ってしまう。こんなにゆっくりしている暇もないように日が経っていき、このまま人生を終わってしまうのであろうかとふと思う。もう開き直っているので、このままでも良いが、ボケて自分がわからなくならないようにだけはして続けられればと思っている。

 

針中野

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 大阪の東住吉区針中野というところがある。近鉄にも針中野という駅があるので大阪の、殊にに南部に住んでいる人ならおそらく誰でも知っている地名ではなかろうか。

 私も若い頃に天王寺に住んでいたことがあるので、針中野という地名や場所はよく知っていたが、その名の由来などについては考えたこともなかった。

 ところが桜が見頃になった先日、同じ区内にある老人施設にいる姉を見舞い、女房と甥と三人で車椅子で連れ出し、花見旁々周辺を散歩した帰り道に、甥が案内してくれて、大きな旧家で、鍼で有名な中野家を教えてくれた。中野の中野家だし、家の大きさだけから想像しても土地の旧家で主人格であったことが窺われる。

 この中野家の歴史は古く、平安時代弘法大師の時代から続く有名な鍼師の家だそうで、中野の小児鍼として有名で、遠方から来る人も多く、そのための宿泊設備や、3階建の塔屋まであったようである。近くの道端には「でんしゃみち」「はりへ」と書かれた道標も残っている。

 この中野家は今の近鉄、当時の大阪鉄道が敷かれる時に協力し、そのために駅名を針中野とつけたのだそうで、それが針中野の地名の始まりなのだそうである。鍼の字では難しいので針にした由である。

 家に帰ってから、インターネットで調べてみると、色々出ているものである。中野家のあたりは昔環濠集落があったようで、延暦(782~805年)時代に弘法大師が布教の途次、ここに泊まり、遂穴偶像の木像と金針を授けられたのが始まりで、以来、代々受け継いで鍼治療を続け、中野降天鍼療院(ナカノアマクダルハリヤ)として鍼灸師の聖地とされてきたらしく、殊に小児鍼が有名で、江戸古地図にも中野村小児鍼として乗っているそうである。

 これまで考えたこともなく、単なる地名と思っていたが、その由来を聞き、それにまつわる事物を知ると、急に懐かしさが倍増し、人にも教えたい気持ちになる。

 たまたま亭主が針中野出身だという女性がいたので聞いてみたら、尋ねてみたが、そこで育っているのに、中野鍼や針中野の由来については何もは知らなかったという返事であった。

 平素何げなく当たり前のように使っている地名などでもその由来などを知ると楽しいものである。

 

 

 

が布教の途次ここに泊まり、