日本のメディアも頑張れ!!

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 アメリカ時間16日付の新聞やウェブサイトに全米の300社を超える新聞社が、トランプ大統領が「フェイク・ニュース」(うそのニュース)などとメディアの報道を攻撃する事に対し、抗議する社説を掲載しましたそうである。

 「ボストン・グローブ」の社説担当者の呼びかけに応じて、一斉に「言論の自由」を訴える社説を掲げたが、それに対しても反発するトランプ氏が改めてメディアを批判し、こうした民主主義の基本である報道の自由を軽視する最高権力者の姿勢に多くの米国民も困惑しているようである。

 これに対して翌朝PCを見ると、噺家立川談四楼さんがSNSに写真のようなものを乗せていたが、全く同感である。日本のメディアはどうしてこんなに情けないのであろうか。

 メディアによって色々な立場があって当然であるが、自民党の藤井氏の発言によっても、安倍政権のメディアに対する圧力は強いらしく、「潰してしまうぞ」というような恐喝まがいのことまであるようだが、メディアのオーナーがしばしば首相と会食したりしているようだし、最近では新聞もテレビの傾向を見ると、政府を忖度してか、政府批判は抑えられ、発言者は左遷させられ、政府に不都合なことは屡々放送されなくなってきて、次第に戦前に状態に近づいてきている。

 アメリカと日本では社会も違うし、歴史も異なるが、日本もアメリカを手本とした民主主義を唱えている国なのである。しかも戦前の、報道の抑圧が戦争に導いた苦い経験もあり、戦後には新聞社の中でもその反省が表明されていたのに、今また圧力に負けて、安易に政府に同調して来ているのは何としても情けない。

 この路線を続ければ、行き着くところは再び戦前の大本営発表に限られるようなファシズム容認の世界になるであろう。メデイアで働く人々の中にはまだまだ自由で立派な見識を持った人も多い。アメリカのメディアを少しは見習ってなんとか、政府の圧力を少しでもはねのけて、主張すべきことを主張して欲しい。

 ほとんどの国民は二度と戦前の自由な報道のない大政翼賛会の時代に戻らず、国民が自由に真実を知ることが出来、自由の物が言える社会を望んでいると思う。日本のメディアもアメリカのメディアに負けずに頑張ってくれることを切に希望するものである。

安倍首相の単独訪問68カ国、但し、中韓は実現せず

 8月15日の日経新聞によれば、安倍晋三首相は2012年12月に再登板してから「地球儀を俯瞰(ふかん)する戦略的な外交」を掲げ、5年8カ月間の外国出張の回数は平均で「月1回」ペースを維持し、訪問国数はすでに歴代最多の68ヶ国になるそうである。
 これだけ多くの国にいかねばならない必然性があったのかどうか疑問にも思うが、首相が多くの国と首脳外交をすることは悪いことではない。ただ、これだけ多くの国を訪れているにも関わらず、いまだに最も近くて大切な中国と韓国への単独訪問が実現していないことは問題で、図らずも、安倍外交の本質を表しているようである。
  戦後の日本外交は米国との同盟関係とともに、中国、韓国との関係を軸としてきたが、それにも関わらず、安倍首相の中韓両国への訪問は、国際会議や五輪にあわせた訪問を除けば、単独訪問は未だに実現しておらず、最後まで残されているのである。
 対米従属は安倍内閣になってから益々深まり、トランプ大統領の元へは大統領就任以前に真っ先に飛んで行き、その後もトランプ大統領に寄り添い、その言動に常に追随しているが、中国や韓国に対しては尖閣問題や慰安婦問題なども絡んで、非友好的、時には敵対的立場をさえ突きつけて、未だに良好な友好関係を確立出来ていない。国の外交にとって最も大事な近隣諸国との信頼関係が一番後回しになってしまっている。
 首脳の訪問国家数が多いことは首脳の嗜好にもよるが、未開発国家が広く自国を知って貰いたい時や、国連での投票数獲得などのあからさまな目的を抱えている時などであろう。そうでなければ、退潮する国が出来るだけ自国への関心を広く繋ぎ留めて置きたい時などということになるのであろうか。
 影響力の強い大国では、その時その時でポイントとなる国さえ押さえておけば良いし、向こうからやってくることが多いので、訪問国が多ければ多いほど良いというものではない、
 日本にとっては、宗主国であるアメリカとの関係はもちろん大事であるが、種々の利害関係が絡む近隣諸国との外交関係は何よりも大切にしなければならないことである。殊に、アメリカの退潮、アジアの興隆が起こりつつある現在においては、首脳の相互訪問などを含むしっかりとした外交をして、中国や韓国との友好関係を深めないと将来に禍根を残すことになりかねないことを知るべきであろう。
  国民も近隣諸国との友好関係を深め、平和を望んでいるのである。
 

 

 
 
 
 
 
 
 

山で転ばず、街で転ぶ

 8月初めに立山に行って、室堂あたりの遊歩道ではあるが、結構アップダウンもある山道を2時間ぐらい歩いてきた。天気に恵まれ、久し振りの素晴らしい山の景色を満喫出来たが、歳が歳なので脚力も衰えているし、平衡感覚も鈍くなっており、足元もおぼつかなくなっているので、元気な人には先に行って貰うようにして、出来るだけ注意しながら慎重に歩いた。そのせいか、少し息切れがしたぐらいで、道や階段などでつまずくこともなく何とか無事に歩き終えた。

 ところが、それから2〜3日した後に、今度は友人宅で4〜五人が集まって「暑気払い」と称して宴会を開いて飲んだが、その帰途に、いつも通る池田駅の通路の階段で転倒して、顔に大きな傷を負い、救急車で病院に運ばれる羽目になってしまった。

 通い慣れた通路の階段なので油断したために、酔いで足元が振らついているのに、いつものように無防備に階段を降りたのが悪かったのであろうか。階段を降りる時には必ず手すりを持つことは知らず知らずに励行していたようだが、せっかちな性分から平素手すりに手をやりながら、走るように階段を駆け降りる癖があり、恐らく酔っていたところにそうしたために、足元がふらつき階段を踏み外したものであろう。

 手すりを持っていたので、階段を転げ落ちることは避けられたのだが、足を踏み外して下方に向かう力と手摺を持った左手の支持力とのバランスで、体が大きく左へ曲がり側壁に頭を正面からぶつけることになったものであろう。

 従って、手足はかすり傷ひとつしなかったが。額の真っ正面に裂傷が起こり、血が流れた。一瞬のことは覚えていないが、通りがかりの女性がびっくりして声をかけてくれ、「大丈夫だから」と言って立ち上がって帰ろうとしたが、女性が血を見てびっくりしたのか、「じっとしていて下さい」救急車を呼びますからと言ったので、そのアドバイスに従うことにした。女性は親切にも自宅にも連絡してくれた。

 全く有り難いことで感謝すべきであるが、こうなるともうその親切心に答えるよりない。やがて救急車が到着し、女房も駆けつけてきて、救急車で病院に運ばれ、傷の手当てを受け、頭部の CTまでとって帰されることとなった。

 額の上から瞼の直上まで頭の真っ正面に大きなガーゼが当てられ、鼻の上にももうひとつ小さなガーゼが貼られている。翌日鏡を見ると、両方の眼瞼も晴れているし、我ながら見られた顔ではない、急に大怪我をした実感がしてきて、家で1日何もせずにじっと寝ているより仕方なかった。

 とんだ災難であったが、酔っ払い老人が階段から落ちたというのは昔からよく聞く話で、恥ずかしい限り。これこそまさしく「自己責任」というもので、誰に文句の言いようもない。それでも、日頃から階段を降りる時には手すりを持つという習慣がついていただけに、酔っていたにも関わらず、それが守られていて階段を転げ落ちるようなことにならなかったのが、不幸中の幸いだったと言わねばならないだろう。

 階段から落ちて死んだ老人の話も聞いたし、自宅の階段で二階から転げ落ちて寝たきりになって友人も知っている。私の場合、これだけの傷で済んだことはありがたいと思わなければならないであろう。

 それにしても87歳で心筋梗塞にかかり、今度が階段での転倒。次は3度目のの正直でとうとうお陀仏ということのなるのであろうか。これを機会にもう少し年に合わせて行動の仕方に注意すべきだと反省する次第。

 電車が駅についても、真っ先に降りるようなことをせず、他人に先を譲って後から降り、駅の階段は手摺を持つことは当然として、一段一段確かめながら、もっとゆっくり降りること。平地でも、せっかちな歩き方を止めて、時間をかけ、人に追い越されても構わず、ゆっくりとしたペースで歩くなど、今更性格までは変えられないが、安全のためには少し訂正すべきであろう。

 もういつ死んでもおかしくない年齢ではあるが、出来ることなら不慮の事故などは避けれれば、避けたいものである。ただし、元気になったらどういうことになるかまだ分からない。

東京医大の入試における女子減点は女性差別であり詐欺類似行為である

 最近の文部省の汚職事件で、官僚の息子に入試の便宜を図ったことから、東京医科大学の調べが進むうちに、同大学の入学試験で、以前から同窓生の子息には入試の点数に加算する便宜を図った来ていた前例があることが明らかになった。

 おそらく同窓会から子息の入学に対する強い要望があり、私立大学であり、同窓会に頼らなばならないようなことも多いので、初めは特別な例として便宜を図ったものの、一旦そのようなことを始めると、次からも断れず、次第に暗黙のルールのようなものとなっていたのではなかろうか。

 そんなところに、大学が世話になった官僚からの依頼があれば、特別な例として、従来からある同窓会指定の優先ルールを利用して便宜を図ることになりやすい。

 ところが調べが進むうちにこの大学では、その他にも、女子の方が相対的に入試の成績が良いので、女子の入学者数を減らすために、女子の入試の成績からはある係数で一律に減点するようにして、入学する男女の比率を調整していたことが明らかになり、問題になっている。

 私立大学であるから、入試の方式など、ある範囲では、大学の都合で自由に決められるであろうが、あらかじめルールを明らかにしておかなければ、公正であるべき大学の社会的な姿勢が問われることになるのは当然である。

 寄付をしてくれる人には入試の点数が足りなくても、入学させるというようなことはある程度許されるかも知れないが、何の公表もなく、男女によって成績を処理することで入学を左右させることは、男女同権の基本的な人権擁護の立場から許せない。それに公平な取り扱いを前提として入試を行なっているのに、裏でこっそりと操作をするとなると詐欺行為ともなる。

  どうしても女子の比率を減らしたければ、少なくとも、あらかじめ男女の定員を公表するなりして、入試のルールを明らかにすべきであろう。入学の可否の対象はあくまでも人間であり、単なる数ではないことを忘れてはならない。

 恐らく、ことの初めは同窓会子弟の優先入学があったので、男女の入学者数が問題になった時にも、深く本質的な思考もせずに、安易に同窓会子弟の制度に倣って、入試成績を操作して調整することにしたのであろう。

 医師の人材紹介会社「エムステージ」(東京都品川区)が医師を対象にアンケートをしたところ、一律減点を「理解できる」「ある程度理解できる」と答えた人が計65%に上ったことからもわかるように、医療現場の実情では、妊娠、出産、育児などによる女性医師に対する働く環境の対応が遅れているので、女性医師が煙たがられ、出来れば男子優先にしたい大学側の事情はわかる。

 しかし、その解決策は女性医師が出産後も働き続けられるよう、医療現場が根本的な働き方改革を進めることであり、女性の人権を無視して、安易に入試の成績などで操作して良いものではない。

 ところがこの大学当局者には女子の志願者の人権問題など頭になくて、女子入学者数の調整という大学の事情の方が優先して、そのための手続きとして、既存のルールの応用から、安易に入試成績から減点するというような発想が生まれてきたのであろう。

 大事なことはいかなる場合においても、人間としての基本的な立場から離れてはならないという倫理が身についているかどうかということである。安易に目先の解決策や利益のみしか見ないところに大きな落とし穴のあることに気をつけるべきだろう。

65年ぶりの立山

 立山は学生の頃、友達と初めて登った懐かしい山である。まだ戦後10年も経っていない頃で、まだ今のように登山がポピュラーな時代ではなく、従って登山道などの整備も進んでいなかった。

 その後 黒部ダムが出来て、その見学に何人かで行ったことがあるが、その時は黒部ダムの見学が主な目的だったので、鉄道やバスをを乗り継いで行った記憶はあるが、山道を殆ど歩きもしなかったので、山へ行ったという記憶は殆ど残っていない。

 そうすると、今回は学生時代の時以来の、実に65年振りの立山ということになる。尤も今回も、何せ九十歳の現在、山登りなどをしようという料簡で行った訳ではなく、今では簡単に行けるようになったので、センチメンタル・ジャーニーで、雄山の麓の室堂までバスで行って来ただけのことである。

 しかし、当然のことながら、60年以上も経てば、登山の事情も随分変わったものである。昔行った時には、まだケーブルなどなく、電車で立山の麓まで行き、そこから少し歩いて、八郎坂という急峻な坂道を2〜3時間もかけて登り、ようやく美女平から始まる高原地帯に辿り着いたものだった。

 どんな道だったかもうはっきりと覚えていないが、かなり急で険しい坂道を、随分時間をかけて、やっと上まで登りつめたという感じだけ今だに覚えている。途中で称名の滝という落差が300米以上もある滝を遠くに臨む事が出来た記憶もある。

 そこからまた随分歩いて、弥陀ヶ原を通って、室堂にあったヒュッテに一泊、翌日、早朝まだ暗いうちにに起きて、雄山の頂上の雄山神社まで登って、ご来光を仰いだものだった。富山から室堂に辿り着くだけで、丸一日かかったような気がしている。

 それが今は、富山の駅前からバスに乗れば、座ったままで室堂まで連れて行ってくれる。昔と今では雲泥の差があることを実感させられた。はじめは富山地鉄立山まで行き、そこからケーブルとバスを乗り継いで行かねばならないものとばかり思っていたが、たまたま富山の市電の中の広告で、直通バスのあることを知り、変更したものだった。乗り換えもなく、こんな楽なことはない。

 しかも、室堂に着いてまたびっくり。昔のかすかな記憶では小さなヒュッテがあっただけだったが、今やここは山岳バスの一大拠点の感があり、バスがたくさん止まっており、黒部ダムに向かうトンネルのトロリーバスの乗り継ぎ場所にもなっていて、乗り継ぎターミナルを兼ねたホテルもある立派な建物が建っている。それに中は都会並みの混雑であった。

 登山の途中から山にガスがかかり、室堂に着いた時には、目の前の立山連峰もすっかり雲の中で見えなかったが、幸い近くの旧火口湖のミクリガ池周辺を歩いているうちに霧が晴れ、青空の下に雄山も他の山もくっきりとその姿を現してくれ、山の景色を満喫させてくれた。

 ミクリガ池周辺から少し足を伸ばしてその周辺を歩いたが、そこでも驚いたのは、そこらの遊歩道は遠方まで全て石が埋め込まれ、両側には杭も打たれ、しっかりした歩道になっているし、階段などもよく整備されていることであった。これでは都会の近郊のハイキングコース並みである。しかも思いの外そこを歩く人も多い。

 昔、我々の若かった頃にも槍ヶ岳などアルプス銀座などという言葉もあったが、室堂あたりでも、夏の観光シーズンであるとはいえ、昔では考えられない人出である。しかも、見ていて面白いのは色々な人達が来ていることである。本格的な登山客のほか、旅行会社のバッチをつけた団体客、雷鳥観察などのグループ、個人旅行客など、いろいろで、それぞれに着ている服装や装備も違っている。子供連れも多いし、何より目立つのはこんな所までも外国人が多くなったことである。

 もう室堂から先、雄山の頂上でも目指すのでなければ、最早登山ではなく山のハイキングといった感じである。65年も経てばすっかり変わるのが当然であろうが、あまりの変容に、昔と同じところへ行って来たという印象も薄い。しかし、天気に恵まれ、山の景色も満喫出来たし十分満足な一日となった。ただ、称名滝は遠くから眺めて確かめられたが、八郎坂がどこらになるのかは帰ってGoogleで調べてみるまで分からなかった。

  やはり山は良いものである。景色が素晴らしいだけでなく、都会では味合えない天国に来たような清々しさがある。

八月はやっぱり特別な月

 昨年もこのブログで八月は特別の月と書いたが、今年も八月になるとどうしても特別に過去を振り替えざるを得なくなる。もう73年も前のことになるが、今でも8月6日の原子爆弾、15日の、天皇の聞き取りにくいラジオ放送のあった敗戦日が、昨日のことのように思い出される。

 原子爆弾の投下は8時15分、当時いた江田島海軍兵学校における朝の自習時間だった。突然ピカと閃光が光ったと思ったらやがて、ドウンという地響き、外へ出てみればあの原子雲が雲ひとつない青空にむくむくと空高く昇っていった。この光景は今も網膜に焼き付いたまま消えない。

 原爆についてはそれだけではない。8月24〜5日頃、兵学校から復員する時に通った広島の焼け跡、広大な一面の焼け跡の続く向こうの日々山が印象的だった。大阪などの焼け跡とは違った、何か燐の燃えるような匂いのした焼け跡、原子爆弾による内部被曝で腸管出血が起こっていたのを赤痢と思ったのか、焼け跡の焼け残りのひん曲がった鉄棒に結びつけられていた紙切れの「赤痢が流行っている生水飲むな」と書かれた文字や、背中一面が赤と白の斑点のようになった二人の生き残りの被爆者が互いに腕を組むようにして、幽霊の如くヨタヨタと去って行った姿など、宇品から広島駅までの間を歩いた時に見た景色が、敗戦に打ちひしがれていた私には、この世の終わりの景色のように思われたことを今でに忘れることが出来ない。

 そして、大阪へ帰ってからの世の急激な変化。それに伴った人々の豹変ぶり。急に変われる人も変われない人もいた。ただ大人たちの豹変振りに無性に腹が立って仕方がなかった。私にとっての敗戦は単に国が敗れただけではない。それまで私を支えてきた全てのものがなくなってしまったのである。突然、神も仏も失ってしまった私にはどうして良いのかわからず、完全に世の中の変化についていけず、ただ無意味に闇市をぶらついたりすることしか出来なかった。

 それが始まったのが八月だった。ここで私の人生はきっぱりと別けられるのである。八月は国の敗戦日であり、私の人生の分岐点なのである。この年にはお盆もお彼岸もなかった。闇市には復員軍人、傷痍軍人に混じって浮浪児があふれていた。あの混沌とした敗戦後の世の中、それが突然出現してきたのが敗戦に続く夏から秋のことであった。 

 今朝の新聞に浮浪児から生き残った人の手記が載っていたが、本当によく生き残られたものだと感心するとともに、あの終戦後の浮浪児たちの姿が思い出されて、なぜかその記事を読後も捨てることが出来なかった。

 私にとって敗戦までの17年とその後の73年とでは、後者の方がはるかに長く、殆どがそちらを生きてきたようにも思われるが、分岐点となった敗戦による衝撃は今なお尾を引いており、その時から根底に根付いてしまったニヒリズムが今なお私の闇の世界に横たわっているのをどうしようもないのである。

 狭い価値観を押し付けて敵を作って戦争するような愚には決して加担してはならない。

 

水道民営化の危険性

 日本の水道は高度成長時代に整備されたものが多いので、最近は設備の老朽化が進み、先日の北大阪の地震でも水道管の破裂が問題になったりしたが、広範に設備の更新を進めなければならない時期に来ているのだそうである。

 ところが水道は原則として市町村が経営して来ているので、自治体の規模によって、小規模の簡易水道から、大規模なものまでその事業体の規模もまちまちであるところに、最近は人口減少による料金収入減で、原価割れになり、水道料金の値上げが強いられているところが多いそうである。

 そんなことも関係して、今の時流に乗っ取ってか、あまり人々の関心を引かないうちに、最近水道の民営化が大した議論もないままに進められようとしている。すでに衆議院を通過した後、参議院で時間切れとなり継続審議になっている由である。

 大して問題もないのではないかと思われるかも知れないが、水は生存に欠かせない最も基本的なライフラインであり、人がそれなしに生きていけない「社会的共通資本」である。その値上げは直接国民生活に影響するもので、その確保は国民の最も基本的な権利である。これこそ採算が合わなくても国なり、自治体が税金を使ってやらなければならない責務である。

 私企業は採算の合わない事業を続ける事は出来ない。これまでの世界の経験を見ても、水道の民営化によってフイリピンの首都マニラでは、水道料金が5倍になり、南米のボリビアでは、飲み水の高騰や水質の悪化に対する不満が大規模な暴動に発展した。またフランスのパリでは1985年に民営化した結果2009年までに水道料金が265%も上昇し、再び公営に戻しているし、アメリカのアトランタ市やドイツのベルリンでも民営化で問題が起き再公営化している。

 一番ひどいのは南アフリカでは民営化による水道料金の高騰で貧困家庭では収入の30%以上の支払いを強いられ、一千万人以上の人たちが水道を止められ、汚染された川の水を組んで、コレラが蔓延した事件である。それにもかかわらず、水道会社はその間何もしなかったといわれる。

 世界の民営水道市場は、下水道も含め「水メジャー」と言われる三代資本による寡占状態で、これらが関与していることが多いようであるが、日本では自民党が以前から水道民営化をめざしてきたようで、2013年に麻生太郎氏はアメリカのシンクタンクCSIS(戦略国際問題研究所)で行われ た講演で、「水道の民営化」を目指すと断言しているのである。民営化といっても、「コンセッション方式」とかいって、自治体が水道事業の認可と施設の所有権を持ったまま、事業の運営権を民間企業に委ねるのだそうである。

 日本でも、やって見て悪ければ、また元へ戻せば良いという意見もあろうが、TPPなどの?通商関係の国際条約で、事業への参入の落札から外国資本を排除出来ないし、一旦外国企業が経営権を握れば、それを元に戻す事も国が自由に出来ないことになっていると言われる。

 そうだとすると、国民の生存にとって最も基本的な水の確保を、採算の面から、安易に民営化することは国民生活にとって極めて危険を伴うものと考えなければならないであろう。広範な議論もないまま、このような法案を国会が通すべきではない。本来国民の生存の基本を守るために国や自治体は存在するものである。

 鉄道や空港などの民営化とは違う。空気と共にに生存に不可欠な水の確保は、経済的な損得を超えた、国や自治体の基本的な義務であることを知るべきである。

 メデイアの報道も少ないので一般の関心も今ひとつの感があるが、これはやがて国民の生活に大きな影響を与える社会問題になる恐れがある。改正案には民間企業の運営に対するチェック機能の定めもないそうである。

 水道事業の赤字対策としては隣接自治体との事業統合などの工夫も必要であろうが、安易な民営化には、しっかりと事態を認識して水という「社会的共通資本」は投資の対象としてでなく、生存の基本条件として、あくまでも社会で守っていかねばならないのではなかろうか。

(この水道民営化の危険性については早くに書いていたので、その後、テレビなどでも特集的な解説などがあったようだが、夏休みによるblogの穴埋めに、ここに載せておくことにしたもの)