監視社会

 京都アニメーションセンター(京アニ)の放火事件関連記事が毎日のように新聞に出ているが、犯人の事件前の行動が逐一と言って良いぐらい画像に取られていて次々と報道されている。

 犯人の動向だから詳しくわかったら良いようなものだけれど、次々に報道される犯人の足取りの映像を見ていると、そこまで写っているのかと、何か恐ろし支え感じるのは私だけであろうか。

 犯人といえども、事件前は普通の市民の一人に過ぎない。その足取りがこれだけ時間を遡って記録されていて、暴露されるということは、一般市民も、もし、その気になって追求されることになれば、このぐらいまで簡単に過去の行動を暴露されうるということである。

 日本の一般市民の監視も、ここまで進んでいるということに驚かされる。毎日、誰しも監視カメラなど意識しないで、家から出て、電車に乗り、職場に行って仕事をし、終わって何処かへ寄って帰ってくるというような毎日を送っているが、その間、誰でもこの程度には、監視カメラに捕らえられていると考えるべきではなかろうか。

 こういう犯罪者の行動が追跡できることは悪いことではないであろうが、これが戦前の特高のような組織に利用され、目をつけた市民の動向を逐一調べられることになることも当然考えておかなければならないことであろう。

 こういう監視カメラのシステムを利用すれば、対象をいちいち尾行しなくても、どこかに座っていて、監視カメラの映像を分析するだけで、目星をつけた人物の行動を素早く分析することが出来ることにもなる。政府にとって不都合だと思われる人物の行動を分析し、公権力を行使するかどうかを決めるための極めて有力な手段となるであろう。

 普通あまり気づかれていないが、あの京アニの犯人の映像を見ていると、もう既に想像以上にあちこちに監視カメラが設置されており、市民の日常の映像が記録されており、おそらく犯罪予防の口実のもとに、すでに警察などでは普通に利用されているのではなかろうか。

 今年の春頃のことであたろうか。渋谷で若者が騒いだ事件で、何万人もいた広場で、車をひっくり返した犯人を映像だけからちゃんと識別して逮捕までしたのは警察の捜査能力のすごさにびっくりさせられた。

 今後A I は益々発展するであろうし、ビッグデータの利用も進むであろうから、国による個人の監視は今後益々進むことであろう。もう10年もすれば国がすべての国民の行動をいつでも掴むことが出来るようになっているのではなかろうか。 

 それが国民にとって便利で、都合の良いように利用されるのであれば良いが、今のように国家と国民の乖離が大きい場合には、国民にとって、かってない恐ろしい世の中が待ち受けていることになるのではなかろうか。