暴走する官僚機構

 朝日新聞のオピニオン欄の「耕論」に「もんじゅ漂流20年」としての3人の意見が載っていた。その中で作家の高村薫さんがもんじゅの漂流について「事業や計画は当然、常に見直さなければならないのにそれができず、走り出したら止まらない。なぜか。日本の官僚機構には事業を評価し責任を取るシステムがないからです。だから見直す理由がない。時代状況に合わなくなっても事故を起こしても、採算が取れなくなっも。・・・」

と述べられている。

 官僚機構の本質をついた発言であり全く同感である。これを読んでまず頭に浮かんできたことは、高村さんの思考とは逆方向に、官僚機構の構造はその一分野である原子力政策のみに限ったことではなく、日本の政治全体の根幹にかかわる構造の危険性である。

 アメリカの支配に強く結びついている日本の官僚機構はそれこそ「自己を評価し責任を取るシステムがないから」世界情勢が変わっても、アメリカにのみ追随した政策を見直すことができず、どこまでも既成路線を走り続けることになってしまっているようである。

 過去を振り返ってみても、何人もの政治家がこのアメリカ追随の官僚機構に政治生命を奪われてきたが、ここらで少しづつでも、この官僚機構にメスを入れ、少なくとももう少し政治家主導の政治として、世界情勢の変化、ことにアジア世界の変化に対応して少しづつでも国策を変えていかないと、アメリカにも捨てられアジアでも孤児となってこの国が行き詰まってしまう恐れがあるのではなかろうか。

 やがてアメリカは日本の頭越しに中国と取引し、用済みととなれば日本を見捨てないとは限らない。今から近隣諸国の強大化にうまく対応して敵対関係ではなく、外交力を鍛えて、相互の友好関係を築いていくことがこの国の将来にとって不可欠のことであろう。

 私はもうそれほど長く生きられるわけではないので、どうなろうと将来の姿を見ることはできないだろうが、この国に生きている限りやはり人々の幸せと国の将来を案じないではおれない。