ふたつの積極的平和主義

 今ノルウエーから「積極的平和主義」を早くから提唱している平和学者のヨハン・ガルトゥング博士が来日し、講演したり、新聞のインタビューに答えたりしている。

「積極的平和主義」というのはこの国では安倍首相が言い出して、その主張のもとに、今やアメリカ追随の「戦争法案」とも言われる安保関連法案を国会で強引に通そうとしているので知らない人はいない。

 しかし、本来の「積極的平和主義」と安倍首相のいう「積極的平和主義」というものは全く違うものと言うより、むしろ相反するものである。ガルトゥング博士らのいう「積極的平和主義」というのは、単に戦争がない状態である「消極的平和主義」では十分ではなく、貧困や差別といった構造的な暴力のない「積極的平和」を目指すべきだいうものだが、安倍首相らが唱える「積極的平和主義」というのは、「安全保障の基本理念として、国民の生命を守りつつ、世界の平和と安全のために積極的に取り組む」というもので、「消極的平和主義」よりもより戦争に近いところで平和に取り組もうというもので、両者は表現が全く同じでも本質は全く異なったものである。

 ガルトゥング博士らは「英語の表現では自分たちのいうの積極的平和主義というのはPositive Peaceであり、安倍首相のいうのは英訳すればProactive Contribution toPeaceと言うべきであり、言葉だけでなく、内容も全く異なる。「積極的平和主義」は博士らの言うように、本来、平和を深めるもので、軍事同盟を必要とせず、専守防衛を旨とするもので、安倍首相の言うそれはは平和の概念の誤用だ」と言っています。

 博士の話を聞くまでもなく、安倍首相の唱える「積極的平和主義」は、「平和を守るためには戦争も辞せず」に近く、戦前の「東洋平和のためならば」と言って戦争をした国策を思い出させる。多くの戦争が平和のためと称して行われたことを安倍首相は知らないのであろうか。平和について積極的であるならば、より深化した平和を望むのが当然であり、平和よりも戦争に近い、武力による平和は平和に対して積極的とは言えないであろう。

 しかも、アメリカのイラクアフガニスタンでの違法な侵略行為を知りながら、敢えてこの「積極的平和主義」を掲げてアメリカ追随政策を強め、自衛隊をアメリカの軍事力と一体化させ、中東での米国主導の作戦に従事させようとすることは、日本の平和主義に終止符を打ち、植民地主義に加担し、敵をつくり日本の安全保障を危うくすることは目に見えているではないか。

 参議院の安保関連法案の質問に立った生活の党の山本議員が指摘したように、現在進められている安保関連法案などの政府の目指す政策はすべてアメリカのアーミテージ提案に沿ったもので、憲法に反してまでも自国よりものはアメリカの要望に忠実に答えようとする政府の立場に異常感を覚えるのは私だけではない。