読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

三社廻り

 無神論者なので初詣というわけではないが、ここ何年かは元旦の朝には近くにある三つの神社を廻ることになっている。週に何回かは家の近くの猪名川の河原や少し離れた水月公園などを一時間ぐらい散歩することにしているが、正月なので少し違った所へ行こうとしてこんな習慣が出来たようである。

 朝のテレビ体操を済ませてから出掛けるのだが、まずは家から五十米ぐらいしか離れていない呉服神社に行く。ここは大昔に呉の国から呉羽、綾羽という織姫がやってきてこの国に織物を伝えたという伝説に由来する古い神社である。

 昔は田圃の中の鎮守の森と言った感じの社だったようだが、明治以来の池田の市街化に取り囲まれて神域も狭められ、古い大木も次々と切り倒されて森もなくなり、鳥居の中まで住宅地が拡がり、今やかろうじて神域を保っている有様である。

 しかし、先代の宮司さんの経営手腕?によって戦後の神社にとっての苦しい時代も乗り越え、祭りその他の行事を積極的に進め、昔は小さい祠に過ぎなかった恵比寿神社の社殿を大きく新築して戎祭りを盛大にやるなどして人気を集め、今では本殿も改築済みで、駅から近いこともあり、小さいながら近在では知られる神社として参拝客を集めている。

 近年は若者の神頼みの復活の流れにものって、正月などは参拝客が神社に入りきらず、駅の方の道路まで列をなして参拝順を待つ光景が見られる程である。昨日はまだ朝の暗い内だったのでそれ程ではなかったが、神社の前には次々とお参りに行く人、帰る人が途切れなかったし、境内の恒例の焚き火の周りにも人垣が出来ていた。

 ここを出て、まだ殆ど人気もない商店街を抜け、五月山の山麓にある伊居太神社へ向かった。ここは鳥居をくぐって五、六十段の階段を上がり、さらに傾斜道を百米ばかり進んだ奥にある立派な構えの神社である。長い参道の山にあるだけに深い森に覆われ、呉服神社よりはるかに神社らしいい幽玄とでも言えそうな所である。その代わり町の外れの山麓の神社といった感じで人々の認知度は低い。

 境内ではすでに焚き火が燃えていいたが、時間が早いためか参拝客はまだおらず、平服の宮司さんが一人で焚き火番をしていた。火にあたりながら少しばかり話したが、「境内が広く木が多いので掃除だけでも大変だがなかなか人に認めてもらえないし、氏子の高齢化も進み、神社の維持が大変だ」とこぼしておられた。

 町の中の呉服神社とは違い、駅からも遠く、特にこれといった特徴もない山の神社は素人目に見てもこれから先維持していくだけでも大変だろうなと思われた。地方の村の鎮守の森など私たち老人にとっては懐かしい場所であるが、今はなんとか維持出来ていてもやがては近隣に神社同士が合併するなりしてだんだんと消滅していく運命にあるのではないかと思わざるをえなかった。

 最後に訪れたのは町の南方に位置した八坂神社である。ここも恐らく昔は田畑の中に見える鎮守の森にような神社だったのであろうが、もともと早苗の森といわれていたようなので神域は呉羽神社より広かったのではなかろうか。

 ここも駅からは少し離れているが、今は住宅街に取り囲まれてしまっているにしても、まだ十年ほど前までは田畑も残っている土地だったこともあり、神域も呉服神社より広く、大きな古木も多いので神々しさが残っている。こちらを訪れた時にはすでに時間が経っていたこともあり参拝客もそこそこいてお神酒やおみくじの場所も開いていた。

 ここは神社の生き残りの力から言えば呉服神社と伊居太神社の間ぐらいであろうか。今後は神社も単に昔からの格式ばかりでは世に通用せず、その置かれた境遇や神社の経営努力、住民との結びつきの如何などによって格差が大きくなり、生き残る神社と消えてしまう神社とが別れていくのではなかろうか。三社を廻って得た感想である。