ホームレスの人たち(2)

 私の子供の頃は、お寺や神社の参道などでは、乞食とか物貰いと言われていた貧民を必ずといっても良いぐらい見かけたもので、子供連れなどもいたが、皆がホームレスと同じであったかどうかはわからない。当時はルンペンという言葉もあったが、そちらの方がホームレスに近いような感じであった。

 私が始めてルンペンの男をすぐ近くで見たのは、あの戦争が始まる少し以前のことであった。暮れかけた無人の天王寺公園で、全身垢に塗れ、髪や髭は伸び放題、ボロボロに破れて真っ黒に汚れたシャツと股引きのような格好で、一人でボソボソ歩いているのに遭遇したことがあった。戦時色が強くなり、社会の緊張度も高まっていた頃だったので、あの人はその後どうなったのだろうかと後まで気になったので、今なお忘れられない光景であった。

 その後、日米戦争が始まると、もうどこにもホームレスなど見られなくなり、「鬼畜米英」「天皇陛下の為なれば」という時代になって行ったが、やがては日本国中が焼け野が原となり、原爆まで落とされ、無数の人々が家を失い、家族と死に別れ、敗戦となった。

 占領軍が来るとともに、闇市が広がり、浮浪児や浮浪人、引揚者、兵隊帰り、特攻帰り、傷痍軍人、”第三国人” ヤクザなどで溢れ、ホームレスが当たり前のような時代となった。昼間の混乱に続いて、夜になると、地下道や駅舎など公共の利用出来る空間は、それらの人たちが眠る場所となり、通行人も通れないぐらいだった。

 今でも忘れられないのは、天王寺駅の地上の道路から地下に通じる階段の夜の光景であった。夜には地下にあるシャッターは下ろして通れないようにしていたが、その外の階段がホームレスの人たちの夜の睡眠場所となっていたのであった。

 この階段には屋根もあるし、大きな駅舎の建物のすぐ外の地下へ降りる階段なので風も来ない。一番下のステップから最上段の地上のステップまで、全てがすっかり人で埋まり、満員で、皆で座って夜を過ごしていたようであった。恐らく、古手のボスが一番下の風も当たらぬ所に陣取り、後から来た新入り程、風のあたる寒い上段しか席を取れなかったことであろう。大勢の人が隙間もなく座って階段を埋め、皆で少しでも寒さを避けて眠ていた姿が忘れられない。

 ホームレスが当たり前の様な時代であり、ヤクザがのさばり、闇の商売が当たり前で、庶民も買い出しや、闇取引で、何とか生き繋いでいた様な時代であった。ホームレスの全盛時代?だったのではなかろうか。