夏には蟻が群れをなしたり、行列を作ってを獲物を巣まで運んでいるのを見ることが多い。まるで皆が誰かの号令のもとで一斉に共同作業をしているように見える。こうして巣を作り、食糧を蓄え、子を養い、生活している姿は印象的である。
ただ、どこで見ても、同じように多くの蟻がいて、同じように働いて生活しているように見えるが、その時その時に見られる個々の蟻は同じように見えても、同じ蟻ではない。個々の蟻も生物であるから、生まれ、成長し、やがて死んでいく。その個々の蟻の一生のほんのひと時を垣間見ているに過ぎない。
こうして蟻の世界を眺めていると、人間社会を俯瞰しているような気にもさせられる。繁華街の交差点を渡る大勢の人の波も、事務所などで働く多くの人たちの姿も、その人たちの一生の間の、ほんの一刻の姿を捉えているに過ぎない。
蟻にしろ人にしろ、その社会での、無数とも言える生命の、あるひと時を見ているだけで、全く同じように見えても、生物は全て入れ替わり立ち替わり流動しているものであり、その過程のある瞬間を見ているに過ぎない。
それに同じ人間と言っても、いわゆる先進国と言われる国々に住んでいる人達もいるが、アフリカなどの遅れた発展段階の国々にに住んでいる人の方が多い。生活環境にも大きな差がある。政治や経済の実態の差も大きいし、宗教的にも多様で、それぞれに異なった環境で暮らし、経済的な発展段階も異なり、生活の内容にも大きな違いがある。
従って、今この80億の人々を皆同様に扱うことは困難であろうが、やがては人類全体の問題として、この80億人全てを同じ対象として捉えなければならない時がやってくるであろうし、それしか自然環境の変化に対応し、それを乗り越え人類の更なる発展を期待することが出来なくなるのではなかろうか。
それぞれの個人は人類全体の80億分の1の同じ権利を持って、人類全体の中で共に生き、共に幸福な運命を願っていることを知るべきであろう。