近頃つくずく感じるのは、時間の経つのがあまりにも速過ぎて、時間に追いまくられているような感じがしてならないことである。こんなことを書くと、仕事に追いまくられて超多忙な若い人のことかと思われそうだが、実際、歳をとると、あっという間に一日が終わってしまうものである。
現役で仕事をしている時には、することが多く、朝から晩までそれらをこなす事に追われて、あっという間に一日が終わってしまったような気がしていたが、仕事を辞めて殆ど家におり、しなければならないことも身の回りのことぐらいで、どうしてもこなさなければならない用事もないのに、どうして時間が経つのがこんなに速いのであろうか。
もう今は完全に引退して家にいるだけなので、することもなく時間を持て余すことはあっても、時間が速く経ち過ぎるなど考えられないと思われるかも知れないが、今度はすることがなさ過ぎるので、単調な時間が速く経ち過ぎるように感じるのではと思われるのかも知れない。
しかしそれより、こちらのすることが、何でも効率が悪くなって、決まった時間に出来ることが限られて来て、一日の処理能力が減ってしまい、何もしていない内に時間だけが経ち、毎日思っていたことも処理し切れないうちに、日が暮れてしまうことになっているからではなかろうか。
朝ベッドから起きるのだけでも、動作は緩慢、体を起こしベッドから立ち上がるだけでも「よっこらしょ」と掛け声をかけて、ゆっくりでないと起き上がれないし、服を着替えるにも時間がかかる。洗面歯磨きも若い時のようには行かない。新聞を撮りに行くのもヨタヨタだし、目が悪いので新聞を読むにも時間がかかる。
トイレに行くのも、若い時のようにサッと済ますわけにはいかない。昔は”はや喰い”が得意だった朝飯も、女房より時間がかかるようになった。朝の行事が終わるとナップを取ることにしている。
それからメールやインスタグラムなどSNSを見るが、パソコンの操作も遅いし、誤り、訂正が多いので時間がかかる。メールを見ているだけでも、時間がどんどん経ち、やっと済んで自分のブログを書いたりしていると、忽ち昼になってしまう。
昼食を済ませて少し歩かなければと思って散歩に出るが、服を着替えたり持ち物を揃えたりするのにも時間がかかる。やっと出かけても、歩行補助機に頼らねばならないので、ゆっくりしか歩けない。疲れ安いので、途中で休憩もしなければならない。遠く迄は出かけないのに、忽ち一時間や二時間は経ってしまう。
読みかけの本も読まねばならないが、目が悪いのでゆっくりしか読めないので時間がかかる。TVなどゆっくり見ている暇もなく、日が傾き、雨戸を閉めたりしているうちに、もはや夕食。女房や尋ねて来た娘と話ししながら食事を済ませると、テレビのニュースを見ている内に、早や、入浴の時間となる。朝からつけていた補聴器を外し、乾燥ケースに入れたりして、入浴となる。
風呂から上がると、もうすぐに寝なければならない。読書の時間もゆっくりは取れない。こうして忽ち1日が終わってしまう。まだ他にしたいこと、しなければならないことが残っていても、体はしんどくなるし、明日のことを考えれば、早く寝なければならない。こうして、あっという間に一日が終わり、毎日したいことや、するべきことも残して、ベッドに潜り込むことになる。
歳を取ればもっとゆっくりした時間があると期待していたのに、時間は歳とともに加速度がつくようである。