1969年1月2日皇居の一般参賀の日に、ニューギニア戦線からの復員兵であった奥崎謙三がポケットに持っていたパチンコ玉をパチンコで天皇に向けて発射した「皇居パチンコ事件」なるものがあったことを、最近の朝日新聞の日曜版の「歴史のダイヤグラム」という欄に原武史氏が載せていた。
事件当時、見逃したのか、もう忘れてしまっていたのか知らないが、ひとりの復員兵が皇居の一般参賀の日に、天皇のいる長和殿のバルコニーに向かってパチンコ玉を発射し、「山崎!天皇をピストルで撃て!」と繰り返し叫んだそうである。
山崎というのはニューギニアで餓死した戦友のことであった。ところが「私服、制服の警官も、周囲の群衆も、誰一人私を取り押さえようとしないので、演技の間が持てなくなってしまい、仕方ないのでポケットに硬貨と一緒にあったパチンコ玉を一個、パチンコで発射したそうである。当然、パチンコ玉はバルコニーの下に落ちたが、奥崎は逮捕され。暴行罪が適用されたそうである。
彼は多くの餓死者を出したあの悲惨なニューギニア戦線で敗戦を迎え、豪州軍の捕虜となった後に復員したが、戦後、家の賃貸に絡んで不動産屋を殺害し、10年間服役していた。一方、戦争責任を取るどころか、戦後も在位し続ける昭和天皇に反感を持ち、天皇制の廃止を求めて訴訟を6件起こすなどして、当局からマークされていたそうである。
今から思えば彼は戦争によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥っていたのではなかろうか。殺人事件もそれが関わっていたのかも知れない。陛下のために命を投げ出して戦い、飢餓に悩まされ、多くの戦友を失った無念さを持ち、捕虜生活にも耐えて、ようやく帰国すれば、そのために戦った天皇は責任を取るどころか、そのまま在位し続けているではないか。
敗戦までは天皇は神様であり、国民は何よりも先に忠義を尽くすことを強いられ、天皇のためには己の命は鴻毛より軽く、「天皇陛下万歳」と言って死ぬよう教育されたのであった。
そいう時代の中で、戦地へ送り出され、生死を分つ辛酸を舐め、やっと帰国すれば、そのために戦った天皇は「人間宣言」などして、いつまでもそのまま居座っていて、責任を取ろうとしなかった現実に、天皇制廃止を訴えたのは当然であったであろう。
戦争を知らない現在の多くの人たちには実感が湧かないかも知れないが、心の中で彼に同調した国民は決して少なくなかったと思う。私も大日本帝国の国粋主義に純粋培養されたような世代なのでよくわかる。当時は教育勅語の「君に忠、親に孝」の順序が当然な道徳であったのである。
もうこういう時代が二度と来ないことを願うばかりである。