生活保護は国民の権利

 

 国が2013~15年に生活保護費を引き下げたのは違法かどうかが争われた裁判がいくつも行われていたが、最終的に上告審判決で、最高裁第3小法廷(宇賀克也裁判長)減額を「違法」と認めて取り消し、受給者側の勝訴が確定した。

 厚生省が独自に算出した0811年の物価下落率(4.78%)を踏まえた「デフレ調整」や一般の低所得者世帯の生活水準などと比べて見直す「ゆがみ調整」で、「生活扶助費」を最大10%引き下げ、約670億円を削減したことに対する受給者らの反発であった。

 民主主義の国にあっては、生活保護は恵みや恩恵ではなく、国民の権利である。憲法第二十五条でも「生存権、国の社会的使命」として、「全ての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する。」と明記されているし、厚労省も、その制度の趣旨として「生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています」としている。

 今回の最高裁の判断でも「ゆがみ調整」は「合理性が認められる」としたが、「デフレ調整」では、「デフレ調整」による改定で、物価下落率のみを直接の指標とする合理性が認められず「専門的知見との整合性を欠いた」と判断。厚労相の判断過程や手続きには過誤や欠落があったと結論付けている。

 最近の軍事予算の増額などがどんどん進む中、肝心の国民の最低限の生活さえ切り詰めようとする政府の政策には生活保護制度受給者のみならず、全ての国民が反対せざるを得ないのではなかろうか。

 それにもかかわらず、政府はいまだに国民に対して謝罪すらしていない。それどころか、最高裁の判断にもかかわらず、専門家会議を立ち上げ、「ゆがみ調整」は「合理性が認められる」とした最高裁の判決を利用して、改めて保護費を減額しても、判決の拘束力に抵触しないとの考えを示し、あくまでも減額を通そうとしている。生活保護受給者たちへの補償も未だ手付かずのままである。

 生活保護に関しては、全ての国民が困った時の最後のセイフティ・ネットであるにもかかわらず、今なお権利ではなく、恩恵、お情けだとする誤解も残っており、その受給者に近い階層からの妬みや羨望による誤解や、その歴史の絡んだ偏見も残っており、そのため生活保護受給を拒む風潮さえ残っている。

 生活保護受給者の車の問題も、以前は車は「資産」と見なされていても、時代が移り、公共交通に恵まれず、車が生活に必須な場合まで、車のために生活保護を諦めさせるのは制度の意義にも反する。

 各役所職員の一般国民に対する接遇態度は、ここ半世紀で見違えるほど良くなっているが、生活保護行政に関する限り、今なお国民の権利を損なうが如き対応が報道されたり、見られるのはなぜであろうか。

 一人でも多くの国民が、生活保護法が国民の権利であることを知り、皆で積極的に活用し、守り育てていくべき施作であることを認識すべきであろう。厚労省は判決に基づいてもっと速やかに保障を進めるべきである。

 

日々の生活に困るリスクを抱える人が増えているからだ。